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葬儀業の歴史

あまり知られていないお葬式の業界について経営学の視点からお伝えしています。

葬儀の形の原型

  葬儀の起源は有史以前であり、ネアンデルタール人が死者を葬ったと思われる共同墓地も発見されている。日本においても、古事記や風土記には葬儀の様子や弔いの作法が紹介されている。
 碑文谷創著「葬儀概論」によると、近・現代の葬儀に通じる原型が出来たのは、平安時代中期とされている。
 「危篤状態で念仏を臨終作法として行ったこと、納棺に先立って沐浴(神・体を洗い清めることで後の湯灌と同じようなものであったと思われます)を行ったこと、納棺作業は僧侶も加わって行ったこと、納棺に際し近親者が形代(身代わりの人形のようなもの)を入れたこと、ここでは記されていませんが、当時既に遺体を北枕に変えていたこと、棺は輿に載せられ運ばれたこと、出棺に先立ち儀礼が行われたこと、出棺は通常の門以外から行われたこと、葬列が行われたこと、荼毘の前に儀礼を行ったこと、荼毘に立ち会ったこと、拾骨が行われたこと、帰宅の前に浄めを行ったこと、七七日の法事、一周忌の法事を行ったことなど、日本の葬送習俗の原型のようなものがほぼこの頃できあがっていたことがわかります。」(碑文谷.2013)
 現在と同じ仏教儀礼の式次第が整えられるのは江戸時代になってからで、在家、つまり出家をしていない一般の生活者の葬儀は、禅宗の考えを表した「禅苑清規」に記された、「亡僧喪儀法」から発展して制度化された。死者に読経して仏の覚りを得させ、剃髪し、戒名を授け引導を渡して成仏させる、没後作僧と呼ばれる儀式である。

葬儀業の起源

 儀礼の式次第が整えられるのと前後して、江戸時代には、葬儀を生業として生計を立てる者が出現した。それまでの葬儀は、集落などの共同体の役割の一つであり、「村八分」と言われる普段は共同体から除外されている世帯ですらも、葬儀に関してはその扶助を受けられていたとされている。
 江戸時代の後期には、桶屋、早桶屋と呼ばれる座棺(桶)を製作する職業の存在が確認されている。都市には地域の共同体としての機能ではなく、職業としての葬具貸出業もあったという記録も残っている。
 その後明治維新を経て身分制度が無くなると、それまで身分によって制限されていた葬儀が豪奢化されるようになり、その葬列の人夫手配、葬具の製作・貸出の需要が高まり、本格的な葬儀業者が出現した。全国的に様々な葬儀関連の仕事から葬儀業者が出現したが、起源は大きく分けて以下の4つに分類される。
①葬具貸出・製造を生業としていた者(桶屋などの棺製作・花屋などの造花製作)
②葬儀に関連するモノ・ヒトの取扱業(籠屋などの葬列の人夫手配)
③葬儀には何ら関係しない諸職業
④非商人・非職人の諸階級(身分制度で差別された階級)

(出所)田中大介「葬儀業のエスノグラフィ」. 2017年,東京大学出版会より筆者作成

戦前の葬儀業界

 大正期以降は、都市部から葬儀の形の変化が生じ、葬列の廃止や、供物の辞退等の簡素化が始まった。田中大介著「葬祭業のエスノグラフィ」( )では、簡素化が始まった背景は、主に、「景気の低迷」「交通手段の発達と生活意識の変化」「告別式という新しい葬儀形式の誕生」の3つを原因としている。
 「景気の低迷」とは、第一次世界大戦の影響による世界的な不況の結果や関東大震災による工業の弱体化である。「交通手段の発達と生活意識の変化」とは、自動車の普及や電車網の拡大により、葬列を行うことが難しくなり、またそれらへの影響を出さずに葬儀を行うべきという意識の発達を表している。「告別式」とは、葬式無用を希望した中栄兆民と、その意思を汲みつつ故人との別れの場を設けたいという周囲の意思の組み合わせによって考え出され、知識人を始め都市部で徐々に広がっていったとされる。
 告別式が社会的に浸透していくと、自宅・寺院・斎場といった式場での葬儀形式が必要となり、そのために象徴的な位置づけを与えられた新たなアイテムとして「祭壇」が発達した。祭壇は、葬列の時代には重要性の低い葬具であったが、式場という空間の演出が必要になったときに、中心的な葬具に据えられ、宗教的意義を込めた様々な装飾が施されるようになった。
 これらの変化は、葬儀業者同士が互いの動向を参考にしながら発展したことであり、葬儀業界としてのネットワークの構築につながったと考えられる。
 昭和期には、人的交流なども業者間で発展し、葬儀形式にも影響を及ぼすようになり、本格的な葬儀業界が形成されていった。
 田中大介著の「葬祭業のエスノグラフィ」によると、「昭和18(1943)年には商工組合法によって葬儀業者が統制組合として組織されることになるが、この時点ではすでに葬儀業者だけでなく葬具製造を手掛ける「関連業者」も存在しており、それらも同じく組合組織の中に含まれている」(田中.2017年)とあり、葬儀業界としての枠組みは強化されていったものと思われる。

戦後の葬儀業界

 現在の葬儀社の約7割は、第二次世界大戦後の創業といわれている。田中大介著の「葬祭業のエスノグラフィ」では、特に葬儀業界で変化が大きかった高度成長期について「霊柩車の全国普及」「大型祭壇の登場」「葬具メーカーの出現」「互助会の発生」「葬儀業のサービス業化」という5つの新機軸を挙げている。
 霊柩車の普及や祭壇の大型化は、戦前からの葬列の消失の流れを更に拡大させ、影響が遅れていた地方でも告別式の形式が広がっていった。
碑文谷創著「葬儀概論」でも、祭壇や葬具の変化によって制作・販売業者が全国的に営業を展開し、全国的な葬具の平準化につながったとしている。
 戦後まもなく、神奈川県に冠婚葬祭互助会が誕生し、新聞報道を機に全国に広まった。冠婚葬祭互助会は、戦後の経済状況から冠婚葬祭に費用が捻出しづらい生活者を支援するために、月々の掛け金を積み立てることで支出額をリーズナブルにする仕組みだが、全国に広がったことによりトラブルも続出し、当時の通産省の管轄の下、割賦販売法の適用と規制が行われた。
 また、戦後復興が進み経済が発展するとともに格差が拡大した影響で、新生活運動と言う「虚礼廃止」の名の下、葬儀が大きくなる原因である香典・香典返し・花環を廃止・自粛する運動が各地で広がった。一方で、この流れに反対する運動も各地で起きるとともに、業界における葬儀社の対策をきっかけに、専門葬儀社の全国的な組合である全日本葬祭業協同組合連合(全葬連)が誕生した。
 更に、農協や生活協同組合などが葬儀業を活発化させるなど、葬儀業者の種類の原型が作り上げられた。冠婚葬祭互助会の隆盛や新生活運動などは、葬儀料金の体系化・明朗化への歩みを進め、また葬儀形式の全国平準化を進めたと考えられ、葬儀業のサービス産業化に大きく影響した。

バブル期の葬儀業界

 碑文谷創著「葬儀概論」では、高度経済成長期には全国的に葬列がほとんど姿を消し、告別式中心の葬儀に移行し、参列者が全国に拡散していることが多いことが理由に、葬儀形式が通夜と葬儀・告別式の2日間に集中、短縮される傾向が強まったとしている。この結果、初七日法要も葬儀・告別式当日に繰り上げて行われることが一般的になった。
 バブル期の葬儀は、葬儀の社会的役割が最も強く機能しており、参列者が増大し、見栄・世間体の問題から大型化・豪奢化の傾向が強くなった。会葬者は、夜間の方が弔問しやすいことから通夜への参列が多く、本来故人との別れの場として設けられた告別式ではなく、通夜が弔問の場としての機能を強めた。
 また、葬儀の場所が自宅や地域共同体の集会所から、専用の葬儀施設に移ったのもこの時期である。式場だけでなく、遺族控室、会食室、仮眠設備、駐車設備なども取りそろえた葬儀施設の出現により、葬儀の大型化・豪奢化が進んだと考えられている。
 葬儀施設は公営や寺院の運営のものなどもあったが、主に増えたのは葬祭事業者が自社で運営する民営葬儀施設で、収容人数の多さや立地の利便性など、様々な項目で争うようになった。葬儀施設での葬儀が一般的になった影響は、葬儀の運営主体が地域の共同体から葬儀業者に移ることを促進した。

バブル崩壊後の葬儀業界

 葬儀業界は、他の業界に比べて、バブル崩壊の影響が出るまでには若干の期間を置くこととなり、当初はまだ大型・豪奢な葬儀が行われることも珍しくはなかった。
 しかし、バブル崩壊後の生活者の経済状況の急激な悪化が顕著になると、一転して葬儀の小型化が急速に進んだ。別節で述べた通り、経済的事由・社会的事由・技術的事由によって、葬儀の規模が縮小し「家族葬」が誕生する。葬儀の機能として社会的役割が大きく減退し、遺体の処理である物理的役割や遺族の悲嘆の処理である心理的役割が強くなった。
 葬儀形式は、従来の通夜と葬儀・告別式の2日間の日程を更に短縮し、葬儀・告別式のみの一日葬、火葬のみを行う直葬など様々な形式が選ばれるようになった。
 それに伴い、葬儀施設も小型化が進み、従来は大人数の会葬者に対応するための式場機能が重視されていたが、遺族が利用する控室などのもてなしの機能が重視されるようになっていった。
 少子高齢化の影響から、死亡数の増加によって市場規模は拡大傾向にあるとみられやすいため、様々な業種からの葬儀業界への参入が増えた。葬儀業者の形態も多様化し、紹介専門業が活発化している。

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