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1991年のスピッツ

今日はご縁があってとある新人バンドのライブを見に行くことになった。そのバンドはとても歌詞の世界を大事にしていることが感じられるような楽曲作りで、楽曲自体はもうひとりのメンバーである鍵盤奏者の持ち味であるジャズやブルースの要素も多いものの、ハイトーンでハスキーなヴォーカルの声は1991年4月に見ることが出来たデビュー直後のスピッツを思い出させてくれた。

フィッシュマンズのデビューは1991年4月だがスピッツのデビューシングル「ヒバリのこころ」はその1ヶ月前の3月リリースだ。その年はいわゆるバンド・ブームの最後期でありまた90年代のJ-POPブームになっていくアーティストやバンドたちも多数デビューした転換期でもあり非常に豊作と言われた年でもあった。そんな中でもスピッツとフィッシュマンズは一緒に取り上げられることが多く、またどちらのグループも「歌謡曲的なセンスを持ったポップな楽曲が持ち味」的なことを当時のレビューで数多く書かれていた記憶もあり、全国のイベンターが発行していた小冊子「STAGE GUIDE」では1991年の注目アーティストは1位:電気グルーヴ、2位:スピッツ、3位:フィッシュマンズと上げられていた。個人的にもスピッツの1stと2ndアルバムは会社の資料棚にあったのでよく聴いたし最初から独自の世界観を持っているバンドだと思っていた。

そのことが確信出来たのはそのデビュー直後のスピッツのライブを見れたことからだ。年表データを調べると恐らく1991年4月の新宿シアター・サンモール。当時はフィッシュマンズのライバルと言われていたバンドのライブを片っ端から見まくっていた頃で知り合ったばかりのポリドールのプロモーターの方にお願いして入れてもらったのだろうか、どうやって入り込んだのかあまり記憶がない。スピッツのライブ自体も当時は三輪さんのギターと崎山さんのドラムがかなりハードロック気味でどの曲もドカドカ、ギャーンとかなりパワーで全編を押しまくっていた印象がある。それでも草野さんのヴォーカルと楽曲の世界は独特な空気を放っておりファンタジックな歌詞の世界が客席にもそのまま伝わってくることにとても驚いた記憶がある。そしてその伝わり方のスピードの速さとあまりにもダイレクトさに「このグループはすぐ売れちゃうだろうな」と思ったことも事実だ。だがその予想は外れスピッツも「ロビンソン」でブレイクするまで丸々4年かかっている。

その間のスピッツの曲はFMラジオでかかっている曲を聴いているレベルだからあまり熱心に聴いていたわけではないが「君が思い出になる前に」や「スパイダー」「青い車」もずっとデビューアルバムの頃から草野さんが持っている世界観と変わっていないなと感じていた。周りのバンドのサウンドが洗練されて徐々に聴こえやすくなってきていたのは確かだが、スピッツはずっと自分たちのサウンドを変えないで「ロビンソン」でついに世の中の方を自分たちの土俵に引き寄せてブレイクに結びつけたと思っていたが「映画フィッシュマンズ」のパンフレットに寄せてくれた草野さんのコメントの中に「スピッツもセルアウトを狙ってどポップ(のつもり)な曲を頑張って作ったことがありまして・・・」と書かれていてスピッツにも同様な葛藤があったことがとても意外だなと感じたことを思い出した。

今日の新人バンドの話題に戻ってのライブの終演後、メインのソングライターであるヴォーカルの方に少しだけお話することできた。曲の作り方について聞いてみると「ギターで作っていて昔はけっこう詞が先だったのですが最近はキーボードのやつと共作することも多くなったので後から詞を考えることが多くなりましたね」。彼が作る詞の世界はスピッツのものとは厳密には違うものだが伝わり方のスピードとダイレクトさは30年前のシアター・サンモールで見たスピッツと同じものを感じた。COVID-19でリアルライブを見る機会も減ってしまったこの1年半、この先の未来がとても楽しみなアーティストに会えてとても嬉しくなりウキウキと家路につくことが出来た。

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!