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ビル・ブルーフォード→アラン・ホワイトへの交代劇が音楽人生を変えたこと

先日逝去したイエスを長年に渡り支えてきた名ドラマー、アラン・ホワイト(Alan white)。ネットやツイッター上でもアラン・ホワイト追悼のタイムラインがけっこう上がられていて思いのほか人気が高いことに驚く。日本のプログレリアルタイム後半世代である自分の年代ではキング・クリムゾンもジェネシスもUKも経験したプログレ界の代表的ドラマーであるビル・ブルーフォード(ビル・ブラッフォード)に比べて、無個性なドラミングのアラン・ホワイトとか言われてけっこう散々な扱いだった印象がある。

当時のシンコーミュージックから発行されていたイエスの書籍でのライナーノーツ(本編は伊藤政則先生が書いていた)でのたかみひろし先生の「初来日のイエスではまだこなしている程度」「個人的にアラン・ホワイトのドラムはどうも好きになれない、もっとイエスにふさわしいドラマーが他にいるのに」とかその頃の評論家の皆さんのアラン・ホワイト評はけっこう手厳しいものが多かった気がする。1970年代の日本ではビル・ブルーフォードの生演奏が実現していなかったこともあったかも知れない。しかしながら1983年に「ロンリー・ハート」という大ヒットもあったので自分のチョイ下世代、ラッシュやヘヴィメタルを経過したいわゆる団塊ジュニア世代にとっては「イエスのドラマーと言えばアラン・ホワイト」という認識で定着しているようだ。

キング・クリムゾンで初来日したビル・ブルーフォードの個人的な思い出記事はこちら。

アラン・ホワイトの追悼記事を色々読むことで厨房時代の多感な時期のことを思い出す。クィーン、キッス、エアロスミス、(エンジェル)の当時の洋楽4大グループからディープ・パープル、レッド・ツェッペリンと言った先輩たちが聴いていたハードロックの大物を経ていよいよプログレッシヴ・ロックに突入する頃、中学生だからあまりお金がないのでロック好きな数人の友達同士でどのアルバムを買うかシェアしたことがある。ピンク・フロイド、EL&P、キング・クリムゾンは他の友人が購入してくれたので自分はイエスの「イエスソングス」を購入した。ご存知、3枚組超大作ライブ・アルバムで当時5000円以上した記憶がする。お年玉を投入した気がするがずいぶんと思い切ったものだ。

最初に「イエスソングス」を選んだのも運命的な気がする。イエスのいろいろな要素が含まれている「イエスソングス」であるがいちばん重要なことは「ビル・ブルーフォード→アラン・ホワイトへのドラマー交代劇」をライブ盤中でも収めていることだ。プログレファンは御存知の通り「イエスソングス」はアラン・ホワイトが参加後しばらくした1972年秋の北米ツアーから選ばれたテイクで構成されている(再発盤の片山伸さんのライナーによるとイエスはこの年夏から秋にかけて3回も北米ツアーを実施しているらしい。後の北米での長いイエス人気を裏付ることになる事案だ)。当時の中学生の耳ではすぐにはドラマーの違いを聞き分けることが出来なかったがしばらくして「パペチュアル・チェンジ」「遥かなる想い出〜ザ・フィッシュ」はドラマーが違うことに気づく。この3曲はビル・ブルーフォードが参加していた頃のテイクで「パペチュアル・チェンジ」にはドラムソロが、「ザ・フィッシュ」にはベースソロが入っていることが理解できるようになる。当時はあのベンベンやりながら急に音が大きくなったりしてあれがベースの音だなんてわからなかったな。「イエスソングス」は編集も巧みで複数の会場で収録されたこともわからないぐらい丁寧に編集とミックスされていた。

そこから高校生になりギターを始めてバンドを組みたくなり無謀にもイエスをやってみたいと思うようになった。高校時代のバンドのことを詳しく書くと長くなるが、一緒に組んだドラム担当のM野君は初心者ながら研究熱心な男で元より運動神経も良かったことから驚くほどドラムが上達していってまた彼と一緒にドラムの奏法やビートの分析、様々なドラマーのことを研究するのが楽しかった。高校生になってジャズ・フュージョンに興味を持ったのもM野君の存在が大きい。そんな無謀は挑戦であったが「ラウンドアバウト」をアラン・ホワイトの「イエスソングス」版とビル・ブルーフォードの「こわれもの」版を繰り返し研究したのが「ドラマーによる音楽表現の違い」に興味を持った人生最初の分岐点である。このことは後に「リズムによるポピュラー音楽の変遷」へと繋がり今も変わらない大きな人生の研究テーマになっている。すごく個人的なことだがアラン・ホワイトさんの逝去でそんな昔の経験を思い出させてもらった。

さらに今回、アラン・ホワイトのことを調べていくうちに始めてプラスティック・オノ・バンドの「Live Peace In Tronto 1969」や「インスタント・カーマ」などイエス参加以前のアラン・ホワイトのキャリア初期の音源を触れることが出来た。トロントライブはライブ前日にジョン・レノン本人から急に電話がかかってきたエピソードは最高だ!

ニコニコ動画で見つけた「インスタント・カーマ」の若き日のアラン・ホワイトのイケメンぶりと全体を支えるような大きなドラミングに驚かされる。2020年代のドラミングといってもおかしくないぐらいのグルーヴだ。アラン・ホワイトは音楽全体を捉える人だったことやジョン・レノンやジョージ・ハリスン、ジョー・コッカーと言った超一流のアーティストらに若いのにバリバリ使われたのも分かる。


またビル・ブルーフォードのFacebookにアランへの追悼文が載せてある。8人イエスの「結晶」ツアーのインタビューとかで「あいつは音がデカいから一緒にやるのはイヤだ」とか毒舌吐いてたビルだが、文章家として素晴らしい詩的な文章を残している。


イエスでのアランが参加したレパートリーについてはこの記事のチョイスは納得、個人的には変拍子を感じさせない究極の変拍子曲「究極」とシンプルな8ビートにクリス・スクワイアとのコンビネーションを聴かせ、当時のニューウェイブブームに反旗を翻す「リリース・リリース」が推しだ。

あと最後に一つ、例のイエス本でもたかみひろし先生が「アラン・ホワイトが伸び伸びと叩いていてこういう音楽なら合っているのに」と言われた元フリーのギタリスト、ポール・コゾフの初ソロ作「Back Street Crawler」での片面を使った大作ジャム「Tuesday Morning」を引用していく。
普通のロックジャムからどんどん表情が変わるアランのドラミングがかっこいい。途中にダブとかカリブ海っぽいリズムになるのもアラン・ホワイトの幅広い音楽性を示すものであり実は1972年のイエスに求められていたものを表しているのではと個人的に思います。R.I.P Alan White.


最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!