見出し画像

アラン・ホワイトさんに想うこと

先日亡くなったイエスのドラマー、アラン・ホワイト(Alan whiite)について書いた前回の記事がめっちゃ読まれている。noteにこんなにアラン・ホワイトのファンがいたのかとびっくりするぐらいのアクセス数だ。自分もアランの訃報からイエスやアラン・ホワイトの演奏を掘り返して聞いたりしているうちにまた少し思うことがあったので書いてみたいと想う。大変取り留めもない文章になることをお許しいただきたい。それにしてもネットですぐ検索して集中的に聴けるから本当にいい時代だ。

そして前回の記事との間にアラン・ホワイトの家族から正式なステイトメントがあったようだ。イエス参加以前のキャリアについても触れられている。

有名なジョン・レノンとのトロントライブの終盤の映像、オノ・ヨーコのスクリーミングとバンドのインプロに突入する箇所。リハーサル不足とフェス出演の契約時間をクリアするために引き伸ばし的な意図もあったのかと邪推してしまう。今見るとめっちゃサイケで面白いがビートルズから来ている人たちはみんな引いてただろうな。。。
john lennon and the plastic ono band sweet toronto 1969

60年代〜70年代のイギリスロック事情に詳しいchopさんのツイートから
1971年のテリー・リード・バンドでのアラン・ホワイトがイケメン過ぎる!後半はかなり攻めたドラミングだ!

Bell+Arcもかっこいい。英国ブルー・アイド・ソウルの文脈は唯一のソロ・アルバム「Ramshackled」でも伺われるように、アラン・ホワイトの主軸の音楽だったと思う。

参加しているバンドがほとんどプログレと関係なかったがイエス参加直前のアラン・ホワイトの演奏技術や出音はすでに一流で、この辺りの映像や音源を聴くと20歳そこそこでこれだけ叩けていいグルーヴを出せるドラマーは英国内では中々いなかったのだと想う。かつての北村昌士先生のクリムゾン本でも、イエスでのビル・ブルーフォードの後任にクリムゾンの初代ドラマー、マイケル・ジャイルズの名前が上がったことと同じように1972年1月にキング・クリムゾンでのイアン・ウォーレスの後任にアラン・ホワイトの名前が上がっていた当時の英国メディアでの記述も残っている。マイケル・ジャイルズの起用はメディア側の盛り記事っぽい気もするが、後にアランとイエスのエンジニアであるエディ・オフォードがルームメイトであった事実も漏れてくるとイエス加入は若干周到な人事異動戦略だったようにも思える。アラン・ホワイトの「太陽と戦慄」もちょっと見てみたかった気がする。

(追記:ごく初期のイエスのライブにブルーフォードの代わりにイアン・ウォーレスがドラムを叩いたことがあったらしい。〜ウィキペディアに書いてあった、ジョン・アンダーソンのバン友だもんな)。

自分がイエスのライブを直接みたのは2回だろうか。実はイエスのライブはあまり印象に残っていない。1988年の「Big Generator Tour」を代々木で、「キーズ・トゥ・アセンション」が良かったので1998年のツアーを大阪で見ているはずだがあまり憶えていないのだ。1998年ツアーはすでにハウ先生の演奏がやや怪しくなっていた記憶があり、その頃はゴングやマグマ、バンコ、アシュラテンペルとかのプログレ初来日アーティストのインパクトが有りすぎた気がする。1990年のABWHも見たけどあまり記憶に残っていないなあ。

とは言うものの最近のストリーミングで「YES SHOWS」「The World Is Live」などのライブ音源を改めて聴き直したが、圧巻だったのは1972年の北米ツアー7公演のライブテイクが全部収録された「Progeny 1972」で「Yessongs」の元ネタになったライブだ。それを1972年10月31日のトロントから11月20日NYナッソーコロシアムまで各曲日付順でプレイリストを並べて聴いてみた(「I've Seen~」と「Clap」は除く)。


どの公演も「Yessongs」より録り音ダイレクトな生々しさでメンバーそれぞれにちょいちょい修正前のミスタッチとかもあったりするのだがアラン・ホワイトがだんだん馴染んでくる感じがわかって興味深い。特にウェイクマンのソロ曲「ヘンリー8世と六人の妻からの抜粋」はアラン・ホワイトがリックのキーボード・ソロにたいしてドラムでチャチャ入れたりアンコールの「ユアズ・イズ・ノー・ディズグレイス」のイントロの生ピアノとハイハットの絡みとかだんだん調子がのってくることが分かる。ライブとしては終盤ちょっと前の11月15日テネシーノックスヴィル公演が一番出来が良いだろうか。それにしても「Yessongs」が膨大な編集とリミックスで完成されていることが改めてよく分かるライブ集でもある。

そして改めてアラン・ホワイトの唯一のソロ・アルバム「Ramshackled」を聴き直して、アラン・ホワイトの音楽家としての素晴らしさに(今更)感服した。このことは別の記事にしようと思う(続く〜引っ張ってすみません、アラン・ホワイトのドラミングがイエスをニューウエイブブームを乗り越え80年代に再びヒット曲をリリースする秘密が隠されている気がします)。

この記事が参加している募集

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!