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なぜあの時直ぐに山下達郎に行かなかったのか。1979年のカシオペアと初代ドラマー佐々木隆さん

おかげさまで山下達郎さん関連の記事のアクセス数がすごい。そして昨日見た元ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットのジェネシスの彼の在籍時のアルバムを再現するライブでやはり1979年に初めて聴いた「月影の騎士」のレパートリーに感銘し自分の中での1979年ブームは最高潮に達している。そんな状態で書くので本当に個人的な想いと思い込みの記事になってしまうことを予めお許しいただきたい(いつもそうだけど)。

前の記事でも書いたように1979年8月は、自分の音楽史上でも最も影響を受けた強力なライブを3本立て続けに体験した月だ。ネットの時代はすごい!日本のライブハウス文化の先駆けであるロフト(LOFT)が都内にあった全てのロフトの歴史とブッキングスケジュールがデータベース化されており、その中に西新宿の小滝橋通りにあった新宿ロフトのスケジュールが当然載っている。


それによると
8月14日(火) カシオペア
8月17日(金) 新月

山下達郎さんの「新星堂ROCK IN ’79)」が8月11日(土)なのでなんと1週間以内に全ての出来事が起こっている!この3つのライブから受けたインスパイアを全て受け止めていたのかと改めて自分を褒めてあげたくなるぐらい10代の頃の感受性のキャパシティは凄い。とは言え当時はまだ子供ゆえライブコンサートの経験値が非常に少なかった。初めて体験した山下達郎さんのライブも今までに体験したことのない「異形の音楽」と思いながらこれが国内最高レベルであることが分かったのは10年以上経って90年代に入り音楽業界で仕事を初めて再び山下達郎さんのコンサートを見てからである。またこのnoteでは初めて記述する日本の伝説のプログレッシヴ・ロック・グループ、新月のライブもやはり体験したことのないやはり「異形の音楽」だったが、これも2度と見ることが出来ない日本最高峰のものだったと分かるのはさらに遅く2000年以降だった。自分が凄いものを見たことは分かるのだがそれが世界で最高で唯一のものであることが理解するまであまりにも経験値が少なく子供過ぎた。

そんな中8月14日に見たカシオペアのライブは凄かった。ビル・ブルーフォードとアラン・ホワイトの記事の時にも書いた友人のドラマー、M野君と見に行った。埼玉県の高校生が新宿のライブハウスに行くだけでも当時の自分としてはけっこうな冒険だった。小滝橋通りの新宿ロフト前にはたくさんの人だかり。オシャレな感じの大学生のお兄さんお姉さんたちばかりで、後の小説「なんとなくクリスタル」のような華やかな世界だった(後に同小説のヒロインの恋人役が所属していたフュージョングループのモデルがカシオペアだったと言われていた)。確か入場料はわずか800円、ドリンク代も300円ぐらいだったと思う。3日後の経験する同じ会場の「新月」のライブでの客層の違いに非常に驚くのだがそれはまた別の機会に。

当時のカシオペアはデビューアルバムを5月リリースしてロフトではすでに数回ワンマンを行っていた頃。当時のロフトはまだ着席形式、と言うかまだ日本ではスタンディングライブは浸透していない頃だったが、客席はいっぱいだった。コンサートは2部形式で前半の1部はギターの野呂さんのMCで淡々と進んでいくのだが2部はキーボードの向谷さんが後の「司会屋みのる」と異名を取る絶妙なトークスキルでテクニカルなインストゥルメンタル演奏とは裏腹に笑いに満ちた楽しいライブで、その辺りがジャズ/フュージョンというジャンルであっても若い女性客が多いことを裏付けていたと思う。当時10代半ばの自分にとってカシオペアがいかに魅力的だったかを書くにはたくさん要素がありすぎて書ききれないほどだ。山下達郎さんが最近出演された「関ジャム」で「昔の日本はバンドの花形はギター、ヴォーカルなんて楽器のできないやつがやるもの」とおっしゃっていたが当時の自分もそんな風に考えていたこともあり2日前に見た達郎さんのライブの衝撃はどこに行ったやらですっかりカシオペアに夢中になってしまった。

カシオペアと言えば今や世界的なドラマーとなり現在もレギュラーサポートを務める天才ドラマー・神保彰さんの印象の方がほとんどであろう。神保さんについては書くことがありすぎて別の機会にさせていただくことにして、自分にとってのカシオペアのドラマーは初代ドラマーである佐々木隆さんであった。カシオペアは曲がとてもポップで親しみやすいのもあったとのと同時に佐々木隆さんのドラミングが他の国内フュージョンバンドと違っていて、当時としては最新鋭のリズムである16ビートを体現していた。そして当時の超人気ドラマーであるスティーブ・ガッドのプレイ・スタイルに日本人としては最も近かったように思えた。当時人気だった国内の若手フュージョングループ〜プリズム、スペース・サーカス、スクエアと違っていたし、また少し先輩にあたる高中正義さんや山岸潤史さん、大村憲司さんたちや渡辺香津美さん秋山一将さん、ネイティブ・サンらジャズシーンの人たちとも違っていた(渡辺香津美さんは海外勢との共演も多かったが)。他のアーティストのライブを全部見ていたわけでもないし子供なので非常に狭い範囲でしか聴けていなかったわけだが、今思えばカシオペアの登場前と(神保彰さん参加後の)カシオペア以降で起こる日本のリズムシーンの変化を微妙に感じていたのかもしれない。

「スリル、スピード、テクニック!」と評されたカシオペアの1979年のデビューアルバムで聴ける佐々木隆さんが叩く4本の手足バラバラなコンビネーションパターンと細やかなフィンガーテクニック、そしてガッド風フレーズと併せて見せるビリー・コブハムばりの速いストロークのタム回しがカッコよかった。あと曲がポップであるという点は後に発行された野呂さんの自叙伝を読むとアマチュア時代のカシオペアは山下達郎さんに『野呂君、曲にはフック、つかみがないとダメなんだよ』と説教されていたらしい。山下達郎さんがジャズ/フュージョン系のミュージシャンと交流があったことはよく知られているが当時からすでに交流があり野呂さんがこんなアドバイスを受けていたとは興味深いしカシオペアが楽曲のポップさを武器にいち早くフュージョングループの中で抜きん出たことも頷ける。カシオペアの楽曲に特徴についてはまた別の機会に書いてみたい。

そして今では信じられないことだが当時はまだ録音も撮影も自由に出来た。子供だったから見逃してもらったのかもしれないが当時何故か持っていたポータブルのステレオカセットデッキを持ち込んでコンサートを丸々収録している。この自分が初めて見たカシオペアのライブのテープもあるはずなのだが見つけられていないがカシオペアはもう1本、自分が録音していた音源がYoutubeに上がっている。

Casiopea - 31/12/1979 - Roppongi Pit Inn, Tokyo [AUD]

これは以前、自分が実験的にYoutubeに音源を上がれるか試したものでAmazonで買った中国製のカセットテープをmp3化するプレイヤーでやってみたのだがデータが飛びまくったりよれたりであまり上手くいかないでほって置いたものをどなたかが一本化し音質まで補正して再アップしてくれたものだ。元の録音はカセットながらポータブルデッキ並の性能だったので悪くはないはずだがデータ化する際のノイズが酷かった。テープの劣化が怖くて再アップもしなくてしばらく忘れていたのだがカシオペア 1979年で検索すると出てきた。そしてこの音源はカシオペアの初代ドラマー・佐々木隆さんの恐らく最後のカシオペアでのライブだったはずだ。JALのキャンペーンソング「I LOVE NEW YORK」も先行シングル、2ndアルバム「スーパー・フライト」をリリースし順調だったカシオペア。2ndアルバムで少しドラムのミックスがおとなしいかなと感じていたが当時は佐々木さんが脱退してしまうなんてそんなことは知るよしもない。この大晦日のライブは深夜23時ごろからスタートし新年超えのところで向谷さんの後輩である子供バンドのうじきつよし氏が乱入するハプニングも収められている。向谷氏のMCも絶好調で(Youtubeではだいぶカットされているが)ダブルアンコール含め2時間以上の熱演だ。6月25日の山下達郎@松山ライブの前に松山空港から市内へ移動し愛媛県民文化会館に入る直前までずっと聴いていたことで1979年頃の自分の体験したことを鮮明に思い出すトリガーになった。

この時は冬休みだったので自分のバンドだけじゃなくて他の楽器やってる高校の仲間総勢6人ぐらいで行ったので、「スワロー」での佐々木さんのドラム・ソロのパートにうちのドラマーだったM野君が掛け声をかけている様子も聴ける。後半に行くにつれ佐々木さんのプレイがややラフに大げさになっていく感じも伺える。会場が六本木ピットインだったからだろうか少しガラの悪いジャズ親父っぽい人たちの悪口も入っているのが聞こえたりもする。アンコール開けの向谷さんのMCで神保彰さんお披露目ライブ、後の「サンダー・ライブ」の元音源となる芝ABC会館でのワンマンライブの告知をしていて少し寂しい。実はこのライブの後、とても積極的なベーシストのM君に連れられて楽屋側に押し入り片付けをしていたカシオペアメンバーにインタビューするという図々しい音源も残っていて、そこで佐々木さんに「また観に来てください!」と言ってもらっていたのを今改めて聞くと切なくなる。1時間31分からの「セイリング・アローン」でのドラム・ソロは佐々木さん一世一代の名演だと思うので聴いてほしい。そしてこのYoutubeのコメントに多くの海外の方から「ジンボも素晴らしいがササキタカシの演奏も素晴らしかった。音源あげてくれてありがとう!」とコメントを寄せてくれていて少しだけ救われる気持ちになる。

佐々木隆から神保彰へのドラマー交代により変化するカシオペアのサウンドでまたしてもドラマーが変化するとどうなるのかを学ぶことになる。ちょうどこの頃に松原みきさんの「真夜中のドア」が発売されたんだなあ、当時は全く気づいていなかった。自分がリアルタイムで体験していた日本の音楽シーンの変化が後に大きな流れになっていたことに気づくのにはまだまだ幼過ぎた1979年の年の瀬、そして1980年の幕開けだった。

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!