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世界を創る

おはようございます。

ひろteamNです。

「人生において自分は物語の主人公である」

という考え方はそれはそれで良いと思います。

ただ自分が主人公ということは、

他の登場人物は脇役ということになりますね。

例えば、家族(妻や子供)、

広く言えば、すれ違う人々まで。

でも、その人それぞれに人生があり、

皆んな自分の人生を歩んでいる。

そう考えると、皆んなが「主人公」である、

という考え方ができるのではないか。

逆に言えば、

「自分もその世界の登場人物の一人」

ということになります。

広く「世界」という視野で見た場合、

自分という存在が、どうなるかを考察してみます。

自分でさえ登場人物の一人

自分に主観を当てるのか、

広く世界観で物事をみるのか、

で考え方が変わってきます。

「自分がその物語の主人公である」

「自分の物語は自分で創る」

そう捉えることで新しいことに挑戦できるマインドを

得られるのは事実です。

現に私もそう思い自分を奮い立たせています。

それは確かにそれで良いのですが、

そう捉えた場合、自分以外の人々は

全て自分を引き立てる為の脇役になる。

これは自分中心に捉えるとそうなのですが、

逆に周りからみれば、皆がそれぞれ自分の人生の主人公。

自分はその脇役の一人になります。

何が言いたいかというと、

自分にとって大それた事でも、

広く世界からみれば小さい事なのだ

という事です。

世界観で全体を捉える

例をあげると、

RPGゲームでは自分はその物語の主人公になって

ゲームを進行させますよね。

ただ本当にその主人公になった訳ではありません。

敵にやられて仮に死亡したとしても、

またセーブしたところからやり直すことができるのです。

つまり物語の主人公になりきっているだけで、

本当の自分はそのゲームをプレイしているコントローラーなのです。

いつでも、始められるし、終わらせることができる。

そのゲームの世界を支配していると言っても過言ではありません。

これを自分の人生に当てはめるとどうでしょう。

もし何か大きな失敗をしたとして、

酷く落胆し落ち込んでいたとしても、

広く世界で捉えた場合、

そんな大きな問題ではありません。

つまり気にすることないのです。

失敗したらまたやり直せばいい。

何事においてもいつでも始められるし、

いつもで終わらせることができる。

自分をその世界の登場人物の一人と

捉えた場合、

本当の自分はその世界を支配している

コントローラーになります。

登場人物である自分に

何をやらせてもいい。

どこに向かわせて、何を目標にさせて

その為に何をさせるのか。

自分でコントロールしていい。

仮に失敗したと思ったとしても

またやり直せばいい。

長い人生でみた場合、

それはたいしたことではありません。

人生を長く捉え、俯瞰する

もし今、何か不安に駆られている、

やりたいことがあるけど踏み出せない。

などと思っていたら広く世界で見てみたら

どうでしょう。

今の悩みなど小さいことかもしれません。

あと5年後、10年後、しいては

人生の終焉までも見据えて、

今やりたいことをやってみてはどうでしょうか。

案外今の悩みは小さいことかも知れませんよ。

最後までご愛読ありがとうございました。

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