自由とは何か
【自由とは何か】
不自由な暮らしを余儀なくされて、自由だったんだなぁと、つくづく思う。
言論の自由、生活の自由、恋愛の自由、
仕事を選ぶこと、結婚をするとかしないとか、
私たちは今まで、そういうことに自由を求めてきたんだろうけど
こんなにも行動を制限されて初めて、「不自由」ってこういう事だったんだなって思う。
モダンタイムスは、割とルールが厳しくて、合わない子は合わない。
「こんな軍隊みたいなとこいやだ!」
と言われたこともあるし
「もっと自由に働きたいんですよ。」
と言われたこともある。
そのたびに、自由って何だろうって考えて
「自由と無秩序は違うんですよ。」
そう言ってきた気がする。
まず、挨拶や礼儀、立ち方、歩き方、しゃべり方・・・これは自分が矯正された時に、すごく窮屈に感じたんだけど、今思うと、指導してくれた先生方に感謝だし、
やっぱり、社会人は社会人としての立ち振る舞いというのがあって、それを身に着けておくことは・・・
なんだろなぁ、「品格」というか、
「この子はちゃんと教育を受けてきた子なんだな。」
という印象を与える。
それ以前に、気持ちよく挨拶ができたり、礼儀をわきまえた行動というのは
相手を心地よくさせる。
お客さん、ミュージシャン、取引先・・・だけでなく、スタッフ同士も、
ちょっとした心配りが大切で
そうすることで、やっぱり、いろんな仕事がうまくいったりするものなのだ。
そしてルールの問題。
最近は、だいぶん緩くなってしまったなぁと思うけど、昔はもっとルールがたくさんあって、みんなそれをピシっと守ることができた。
あ・・・できない子が一人いてすごくもめた(笑)
「もっと自由に働きたい。」
たとえば、どのルートを通ってお客さんに物を運ぶか、とか、グラスの置き場所だったりとか、ビールのつぎ方だったりとか、お客さんが並んだ時にどう対処するかとか。
なぜルールがあるかっていうと、
「いろんな失敗や経験の結果、ルールを決めておくと、失敗を防ぐことができる。」
もしくは
「ものごとがスムーズに運ぶ。」
からだ。それをいちいち、本人たちが経験して、失敗してから行動に移していたら、果てしない時間がかかるし、お客さんに迷惑がかかるから、先にルールとして決めてしまうのだ。
まぁ本来、自分で気づいてくれるのが一番いいんだけど。
気づく子は気づくけど、気づかない子は、一生気づかないだろうしね。
グラスを使いやすいように並べる、よく使うものは手前に置く、お客さんがいっぱいいるときは、注文聞く係、グラスと氷を用意する係、ドリンクを注ぐ係など立ち位置を決めて、できるだけ、動かない・・・
あとは、お客さんに失礼なことを言わないとか。
まぁ、交通ルールと同じだ。
事故らないように、右側通行だとか、赤信号では止まるとか決めておく感じ。
「僕は左側通行がいいんです!」
と言ったところで、その都度お互いがぶつかって、スタッフ同士がイライラしだすし、こっちがもたもたして困るのは・・・結局、お客さんなのである。
無秩序と、自由は違うんですよ。
ルールは、結局、自分たちが気分よく働くために決められているんですよ。
・・・
さて、では、私たちが今、強いられている「ルール」に、なぜ反発が起きるのか。
なぜ、「不自由さ」を感じてしまうのか。
それはその先に、「快適な生活」「他人との心地よい関係」を描けないからである。
「コロナの感染を止める」
という大きな目標と
「しっかり働いて豊かな暮らしをする」
美味しいものを食べる、花見をする、旅行をする、買い物をする、宴会をする
音楽を楽しむ・・・
といった、快適な暮らしをしたいという、今まで当たり前だった人としての目標が、
対極にあるからである。
コロナの感染を止めることで、また、自由な暮らしが戻ってくるわけなんだけど、じゃぁ、
「どうやったら、コロナが終わるのか」
それが誰にもわかっていないからである。
今すぐ快適な暮らしを取り戻したいと思う、そもそも、コロナなんかに奪われたくないと思う人と
自分は感染したくない、広めたくない、迷惑を掛けたくない、叩かれるのがいやだ、と思う人。
いくら感染が止まっても、お金が無くなって路頭に迷ったら、それは幸せな日々とは言えないし、
仕事やスポーツ、たとえ趣味であっても、今まで頑張ってきたすべてが無駄になったら、やっぱり悔しいし
正しいかわからないから、もやもやするのである。
今、ルールを守りさえすれば
絶対に幸せな日々がやってくる。
誰にも言い切れないから、不自由さを感じてしまうのである。
今は、明日の事すら、どうなるかわからないけれど・・・
それでも、負けずに
強く描くのだ。
いつか必ず取り戻すことができる、自由な日々を。
幸せな未来を。
2021年4月23日(金)ModernTimesヒロ
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