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つらつら日記~会話を哲学する~

〇要約会話 = コミュニケーション + マニュピレーション コミュニケーションとは、明言することによる約束事の成立のこと マニュピレーションとは、示唆やほのめかしのこと。言葉の裏側のこと コミュニケーションでは、力の不均衡が現れる場合がある(コミュニケーションの暴力) マニュピレーションでは、差別的なニュアンスを意識的にも無意識的にも伝える可能性がある 〇本書の紹介  会話を哲学する/三木那由他  会話をコミュニケーションとマニュピレーションの構成であることを説明

    • つらつら日記~「帝王学」講義~

      1 要点(1) リーダーとは、能力と徳をもち、実績を積んだ人を指す。 (2) 能力とは、洞察力(智)と決断力(勇)である。 (3) 徳とは、仁・信・謙・寛・義である。 (4) 仁とは、人を大切にする思想。 (5) 信とは、約束を必ず守ること。 (6) 謙とは、人と争わないこと。 (7) 寛とは、許すこと。清濁併せ飲む度量。 (8) 義とは、人として踏み行わなければならない道。(人道) 2 本書の紹介著書名:「帝王学」講義/著者:守屋 洋 (1)本書の構成 ・本書は、中国

      • つらつら日記~決断の奴隷~

        本:暇と退屈の倫理学 國分功一郎〇筆者は、ハイデッガーの退屈論を批判しながらこの話をしている。 〇ハイッガーの退屈論とは、退屈を3つの形式に分けている。  1 第一形式:暇で退屈している状態  2 第ニ形式:暇ではないが退屈している状態  3 第三形式:なんとなく退屈 〇ハイデッガーは第三形式の退屈が一番深い退屈であるとしている。なぜなら、そこでは、気晴らしができないからである。そして、気晴らしができない退屈は苦痛を伴う。対処のしようがないからだ。 〇そこで、ハイデガーは第三

        • つらつら日記~暇と退屈の倫理学~

          要点人が退屈するのは、様々な経験ができるからである。(「あれもできるし、これもできるのだが、しかし俺はこんなことをしている……」p356) 退屈と気晴らしが入り混じった生が人間の本質にほかならない。(「なんとなく退屈だ」) 退屈しないためには、一つの世界に<とらわれる>必要がある。ただし、決断して<とらわれる>状態になってはいけない。それは、決断の奴隷となることだから。 決断の奴隷となることなく、一つの世界に<とらわれる>ためには、贅沢を取り戻す必要がある。 贅沢とは

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