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ローカルペーパーとの出会い

僕が最初にローカルペーパーと出会ったのは1995年夏のことだった。

情報は足で稼げ、そう学んでいた僕はともかくサマーセミナーが休みだったり、あるいはちょっとした待機時間ができるとリュックを背負い、スケッチブックを片手に街をうろうろしていた。スケッチブックは主に筆談用だ。英語でさえおぼつかない僕がドイツ語圏のこの地でコミュニケーションを取るにはスケッチブックしかなかった。

そうこうしているうち、全期間およそ一ヶ月も半分当たりまできた頃、相変わらずうろうろして街を練り歩く僕のすぐ横に一台の赤いオープンカーが停止して、運転席から金髪の若い女性が話しかけてきた。彼女はイタリア系で幸い英語も少しなら話せるという。

「あなた、さっきからうろうろしているけど町中の話題になってるわよ。」

「ああ、アジア人が珍しんでしょ。ウィーンからこんなに離れた山の奥なんだから。僕は日本人だよ。」

「ふふ。確かにね。でもなんで日本人がここにいるの?」

「デザインの勉強さ。デザインは色や形だけじゃなくて、時には街や街の未来を思い描くことさえあるんだよ。」

そう言った瞬間、一瞬彼女の目の奥が光ったような気がしたのですが、その後セミナーハウスの場所を聞かれ、それをメモった彼女は車を出そうとしました。それで僕は

「ちょっと待ってよ。道に迷ってるんで、できればその車に載せていってくれない?」

苦笑いした彼女は、僕をセミナーハウスでおろし、「ここね。確認になったし、まあいいか」みたいなことを言っていた。そして、なぜか別れ際に「サンキュー」って言ったんですよ。送ってもらったのは、僕だし、わけがわからなかった。なんでさんきゅーなのかってね。

そのすぐ翌日、(だったと思う。とても早いなと思ったから。※でも10日くらいはあったのかも)

僕たちのサマーセミナーはオーストリア西部の片田舎のローカルペーパで取り上げられ、一躍メンバーたちも含め田舎のスターダム(なのか?)にのし上がったのです。(いや、どうだか 笑)


二つの記事

世界中のコンピュータデータ処理エキスパートが集う

ビジョンプラス 1995 電子コミュニケーションのためのデザイン」というのが、世界 中から集まったコンピュータデータ処理エキスパートたちが参加した、フォアアルルベルク 経済パークで開催された国際的学際シンポジウムの名称だ。

初日の晩は遊覧船「Stadt Bregenz(シュタット・ブレゲンツ)」でランゲンアルゲンまで航行し、モントフォール城 でディナーとなった。遊覧船上で、フォアアルルベルク工業専門学校理事のマルクス・リン ハルトは、以下のゲストを歓迎した。

ペーター・ジムリンガー(ウィーン)、ローラント・ マンゴルト(ドルンビルン)、フレッド・ミュレル(ダラス)、ルートヴィヒ・ラウト(ウ ィーン)、ゲルハルト・シュヴェルツラー(ドルンビルン)、ディヴィッド・スレス(キャ ンベラ)、ズザンネ・デハント(ウィーン)、フレデリック・ヨン・ブアバッハ(チューリ ヒ)、カレン・ブリンクー(コペンハーゲン)、マルティン・カルドナッチ(フェルトキル ヒ)、ルディ・フォイアーシュタイン(ドルンビルン)、ミヒャエル・ハルト(ザールブリ ュッケン)、パメラ・ミード(ボストン)、ジルヴィア・ガロス(アイゼンシュタット)、 ラグ・コリ(デルフト)、ロモコ・イチカワ(シカゴ)、ハリー・ヒンネベルク(ウィー ン)、ペーター・ハスベルク(ケルン)、ブリギッテ・ハルトヴィヒ(ベルリン)、ヴォル フガング・クレムザー(ドルンビルン)、ロジャー・ヒュー(ロンドン)、ヴォルフガン グ・イルク(フェルトキルヒ)、ジェッティ・フンホウト(ウトレヒト)、レギーナ・ヘン ツェ(バート・ホムブルク)、クリストフ・レンク(米国、プロビデンス)、ジェイ・ルタ ーフォード(ワイマール)、ジークフリート・ラモザー(ドルンビルン)、ユミコ・ナガイ (東京)、ハシンタ・ネリガン(オーストラリア、カーティン)、ジム・ルドルフ(チュー リヒ)、エゴン・ニーダーアッハー(ドルンビルン)、ローラント・シュテヒャー(ゲツィ ス)、クラウス・シュミーダー(イスニィ)、サンドロ・シェルリング(ドルンビルン)、 アンドリュー・シェーンフェルト(ウィーン)、ジル・スコット(ロンドン)、クラス・ミ ヒャエル・ゼムラー(ハンブルク)、テョーマス・シュテッフェス(ミュンヘン)、タケ シ・スナガ(東京)、ロブ・ウォラー(ニューポート・パグネル)、オリヴァー・ヴレーデ (ケルン)、クーノ・ヴォールゲナント(ゲツィス)、ハーム・ツワガ(ウトレヒト)、ヒロシ・ヤマモト(東京)
元記事はこちら:

フェルトキルヒ駅を情報ノードに

世界中のエキスパートがドルンビルンでプロジェクト提案書を共同作成
                    エルネスト・F・エンツェルベルガー

ドルンビルン(VN=フォアアルルベルク・ナハリヒテン)―電子コミュニケーションのた めのデザインをテーマとしたサマープログラムの枠組の中で、3 日にわたるシンポジウム (VNが報道)の他に、4 週間に及ぶワークショップが行われた。本日ドルンビルンにて、 情報デザインの専門家がフェルトキルヒ駅で実現できるあろうあらゆるアイデアが披露される。

ここで重要となっているビジョンは、この交通の要所を、交通・観光・文化・通商・産業に ついての情報集約点の見本に変身させることである。

ワークショップの学術指導者であるデイヴィッド・スレス(オーストラリア、キャンベラ) 教授が、昨日本誌に対して語ったところによると、世界各地から集まった学生 9 人と専門家 5 人が過去数週間で成し遂げたことは以下のものである。


 完全な、インタラクティブのマルチメディアシステムの開発。
 このシステムによって、フェルトキルヒ駅ではコンソールから、公共交通機関(時刻表、乗換案内、接続など)やショッピング案内、文化的なプログラム、飲食店、 ホテル、経済などについてのありとあらゆる情報を得ることが可能になる。
付随的措置
 これらの措置に加えて、フェルトキルヒ駅におけるさらなる補足的措置が取られる (ボックス参照)。
 専門家らによるプレゼン後、システムは段階的に拡張される予定である。第一段階 では、フォアアルルベルクに関する情報のみであったが、目標は、世界的な情報提 供(例:チューリヒ行き列車、飛行機接続、目的地に関する情報など)だ。
 システムの段階的拡張としては、アクセシビリティが考えられている。すなわち、 駅のコンソールからだけではなく、PCからもアクセス可能にすることだ。
 コストの見積もりは難しい。主要コストは、情報収集とそれらの常時更新が占めるだろう。ユーザーには、システムは無料で利用可能でなければならない。
「ビジョンプラス」のイベントは、国際情報デザイン研究所(IIID)のペーター・ジムリンガーの発案に基づいている。主な共催者は、フォアアルルベルク工業専門学校とユネスコ・ パリ支部だった。このほか、OBB、フェルトキルヒ市、AEG およびフォアアルルベルク州が プロジェクトパートナーとなっていた。

---------ボックス----------------------- フェルトキルヒ駅即時開発措置
 OBB の乗車券販売所は、本来の事業内容とは関係のない情報にあふれているため、 これらを除去する。
 OBB の部門では、「駅(Bahnhof)」と「番線(Gleis)」などの用語がごちゃ混ぜに 使用されていて混乱を招いている。今後は乗客に重要な「番線(Gleis)」のみが使 用されることになる。
 プラットホーム上にある情報にはまとまりがない。車両位置情報は時刻表と組み合 わせることが好ましい。
 カートレイン向けの道案内や標識は分かりにくく、欠陥がある。駅に向かう道路領 域に分かりやすい道案内を設け、また駅前広場における明確な交通誘導を導入すべ きである。
 1 番線の入り口同様に、駅舎出口にも時刻表が設置されている。これは除去し、代わ りに市内地図や交通概要などを設置するべきである。
 短期的に自動券売機が計画されている場合は、OBB の乗車券だけではなく、接続す る他機関の乗車券も取り扱うようにすべきである。

元記事はこちら


ローカルペーパーとの出会い

part 2はこちら https://note.com/hiro_yamaneko/n/n96456fc7cc53

part 3はこちら https://note.com/hiro_yamaneko/n/n14e00286a18c


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