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洞窟ブレーキ説

食事のとき、うっかり室内灯をつけ忘れると、例え室内が十分に明るくても、料理の色はくすみ、華やかさや楽しさが失われてしまう。人の脳は70%が視覚からの刺激で動作しているらしいので、光量が減ればそれだけ細部の情報量が減り、仕事・読書も含め物事もぼんやりとしか考えられなくなるだろう。


逆に夕食や夕食後、照明を落として穏やかな気分で過ごしたいことがある。間接照明など使って、あえて自分を取り巻く情報量を減らして脳を休ませるのだ。


ラスコープロジェクトで手形を集めているが、当時壁画を描いた人々も辛い寒さや、激しい野生動物との格闘や、僅かながらの植物を凍える手でかき集めた後の疲労をゆっくりいたわり、癒す時間が必要だったに違いない。そして穏やかな気持ちで次の日の猟・漁や採集に向け心を一つにする時間が必要だった。そこで壁画や手形がコミュニティへの帰属意識を互いに確認し合うツールとして使用されたに違いないと思う。


人類が長い歴史の中でその黎明期に一時暗い洞窟に住む必要があったのは偶然ではなく必然だったと考えている。この狩猟採集の期間に、やがては築かれる農耕文明へ向けて、宗教観や思想の芽となるものが形成され、オキテなどのルールづくり、合意形成の練習などを通じて、互いの心が耕がされていったのだと思う。


もし人類にこの期間がなければ、ただでさえ厄介事を生み出しかねない双刃の剣「道具」を手にしたばかりに、その使い方を誤り、互いに殺しあってあっという間に滅んでいたかもしれない。洞窟は脳のブレーキだったのではないだろうか。

(210405加筆)
翻って現在世界中に混乱と分断をもたらしている目に見えない人類共通の敵のせいで、人と人が集うことを制限されてているこの有り様を、ある意味まさに洞窟に閉じ込められていると捉えることもできる。


ならば今この時期こそAIやロボティクスという従来とは次元の違う新たな「道具」を手にした人類が何かを「学ぶ」ための準備期間だとはいえないだろうか?

手形アートプロジェクトに興味ある人はこれも読んで欲しい。

https://ameblo.jp/yamanekosummer2020/entry-12640669149.html



写真は関係ないけど上志津原のふれあいどおりの夜間ライトアップ。昼間は明るい銀杏並木が夜になると一変してなんだか別世界。ちょっと前に撮った写真だけどまだやってるかな?



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