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視点が変わったようです

注意:ネタバレ多数を含みます。困る人は読まないでね。


パニック映画の定番

〜人間模様をオムニバスしながら描く〜

ハリウッドの70年代頃から始まったパニック映画の定番として、炎に包まれる超高層ビル、制御不能に陥る巨大な旅客機などの修羅場に、たまたま居合わせてしまった人々の人生をオムニバス的に俯瞰しながら描いて、カタストロフィーに突入するというパターンがあるなと漠然と考えていました。

そのような映画では、不測の出来事に巻き込まれた様々な立場の人々が、生き抜くために団結または分裂していく様子、主人公もしくは他の登場人物が勇敢に行動・決断をするリーダー像、場合によっては自己犠牲的な行動をとる姿などを描き出していきます。

このような作品を観ていた頃を思い出すと、登場する様々な立場や職業の人々の人間模様がストーリーにリアリティを与えることでパニックの緊張感がより高まっていったような気がします。

同時に制作側にとっても人間ドラマを豊かに表現する手法として広く受け入れられてきたようです。

『タワーリング・インフェルノ』 (The Towering Inferno) - 1974年
『ポセイドン・アドベンチャー』 (The Poseidon Adventure) - 1972年
『エアポート』 (Airport) - 1970年
『アースクエイク』 (Earthquake) - 1974年
『ザ・チャイナ・シンドローム』 (The China Syndrome) - 1979年
『ブリッジ・オン・ザ・リバー・クワイ』 (The Bridge on the River Kwai) - 1957年(一部要素が該当)
『アウトランダー』 (Outland) - 1981年
『ディープ・インパクト』 (Deep Impact) - 1998年
『アルマゲドン』 (Armageddon) - 1998年・『2012』 - 2009年

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などなど、この流れはあげればキリがありません。

以後、この文章では簡略のためにこのような形式を「人生のオムニバス形式」と呼ぶことにします。

社会の中の群像が生み出すストーリー

「人生のオムニバス形式」の映画では、特に70年代の映画によく見られることですが、社会性のある批判やテーマを織り交ぜている場合もありました。

『ザ・チャイナ・シンドローム』 (The China Syndrome) - 1979年:
原子力発電所事故を描いた物語の中で、原子力エネルギー産業に対する懸念や批判を投影し、産業と政府の不正や隠蔽、原発の危険性に対する社会的なメッセージを発しました。

『アースクエイク』 (Earthquake) - 1974年:
地震を主題に、一部では都市の建築基準の甘さや災害時の政府の対応の悪さや無力さを風刺しています。地震の発生後、混乱が広がり、主人公たちは効果的な救援が行われない現実を直視します。

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2000年代に入ると、国家間や国家内部での格差の拡大が広がっていったことが背景にあるとは思いますが、これら社会的な不平等に対し、批判的な視点を提示しているのか、あるいは肯定または受容しているのか、はっきりは言わないのでわかりずらくなってきている気がするものもあります。

『2012』 - 2009年:
地球規模の災害を描き、政府や富裕層が特定の人々を救うために計画を進め、他の人々を見捨てるといったストーリーがさらりと描かれています。

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70年代のアメリカ

70年代のハリウッドがこのような災害や危機に関するストーリーを多く制作した理由にはいくつかの要因が考えられそうです。

1. 社会の不安と反映

70年代は社会的な変動や不安定な時期で、ベトナム戦争やウォーターゲート事件などが国内外で混乱を招いていました。映画はそのような不安定な時代背景を反映し、観客に現実の危機や不安に対処する方法を考えさせました。

2. 石油危機とエネルギー危機

1970年代初頭には石油危機が発生し、エネルギー供給への不安が高まりました。これは『アースクエイク』や『ザ・チャイナ・シンドローム』などのエネルギー危機に関連する映画に影響を与えました。

3. 環境問題への関心と意識

70年代には環境問題が広く認識され、社会的な議論の対象となりました。『ザ・チャイナ・シンドローム』のような映画は、環境問題に対する意識を高め、視聴者に対して環境への責任を考えさせました。

4. 映画技術の進歩と発達

1970年代には特殊効果や映画製作の技術が進歩し、リアルな災害や危機の再現が可能になりました。これが映画製作者たちによって積極的に活用され、迫力のある災害映画が制作されました。

総じて、70年代のハリウッドは社会的な変動や不安を映画を通じて探求し、視聴者に現実の問題に対峙し、その解決策を考えさせる作品を制作することに重点を置いていました。

映画以外での人生のオムニバス形式


調べてみると「人生のオムニバス形式」は、かなり昔から映画に限らずあらゆる芸術の分野で使われてきたようです。

『椿姫』- ジュゼッペ・ヴェルディによる歌劇 (1853年) - 貴族の男と花魁の女の悲恋を描く。ヒロインは結核で死亡し、愛する男性も悲しみに暮れる。

『ウォーラム・ピース』 レフ・トルストイによる小説 (1869年) - ロシア社会を背景にした愛と戦争の叙事詩。主人公たちは成長し、愛と平和が勝利する。

『アイーダ』- ジウゼッペ・ヴェルディによるオペラ (1871年) - 愛と国家の対立に翻弄されるエジプトの将軍とエチオピアの王女。アイーダとラダメスは愛と犠牲を選び、死別する。

『ラ・ボエーム』- ジャコモ・プッチーニによるオペラ (1896年) - パリの貧しい芸術家たちの友情と愛のドラマ。ミミが結核で死亡し、芸術家たちは喪失感に包まれる。

『トスカ』- ジャコモ・プッチーニによるオペラ (1900年) - 女性歌手トスカが愛と犠牲の物語を織りなす。トスカは絶望的な結末を迎え、悲劇的なラストを迎える。

『アンドロメダ病原体』- ミヒャエル・クライトンによる小説 (1969年) - 宇宙からの微生物が地球に到来し、科学者たちが対抗する。科学者たちは微生物を制御し、人類は危機を脱する。  『大地震』- ジョン・ウィントンによる小説 (1974年) - カリフォルニアでの大地震が起き、市民たちは生き抜くために奮闘する。ヒーローたちは協力して生き残り、救助が到着する。

『ポンペイ最後の日』- ロバート・ハリスによる小説 (2003年) - ポンペイの噴火に巻き込まれる人々の生き様。ポンペイの人々は噴火により壊滅し、絶望的な結末。

『スウェプト・アウェイ』- タンディ・ニュートンによる舞台ミュージカル (2016年) - 海難事故に遭遇した2人の人間関係が描かれる。 2人は助かり、新たな一歩を踏み出す。

『ヴォイニッチ手稿』- グレゴリオ・パニャによる歌劇 (2018年) - 謎の手稿をめぐり、歌劇が展開される。手稿の謎が解けず、謎めいた終わりを迎える。

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個人の内側にあるストーリー

一方で最近の傾向として、たったひとりの主人公、もしくはその家族・友人など一人もしくは数名が災難にみまわれるような、パニック・スリラー・感染・オカルト映画が増えてきたような気がしていました。

スピードとゼログラビティ

そんなことに気づいたきっかけとなったのは自分の場合、『ゼログラビティ』(Gravity)2013年 を見た時だったと思います。

主演の女優は『スピード』(Speed)- 1994年 でキアヌ・リーブスと共演したサンドラ・ブロック(Sandra Bullock)です。

『スピード』(Speed)は、1994年に公開されたアメリカのアクション映画。ボンバーによって仕掛けられた爆弾が積まれたバスは一定の速度を保たねばならず、スピードを下げると爆発してしまうという危機的な設定下にあります。サンドラ・ブロックはアナベス・ヘムウェイ(Annie Hawthorne)として登場し、たまたまこのバスに乗り合わせ、バスを運転し続けなければならないハメになります。キアヌ・リーブスは彼女を救助しようと格闘する警官のジャック・トラヴェン(Jack Traven)を演じていました。

『スピード』はその緊迫感あるプロット、迫力のあるアクションシーン、そしてサンドラ・ブロックとキアヌ・リーブスの演技により成功を収め、アクション映画の傑作とされているそうです。

全編を通じてストーリーの骨子を正義が貫いていて、ピンチのヒロインをヒーローが助けに行くといった、鉄板でわかりやすい痛快な内容でした。

一方で『ゼロ・グラビティ』(Gravity)2013年 はというと、同じくサンドラブロックがピンチに陥るという点では一緒なんですが、様子がかなり違っていました。

女性宇宙飛行士が、宇宙空間で船外作業中にスペースデブリに遭遇。宇宙空間に宇宙服だけで放り出されてしまいます。絶望的な状況の中、生存を試み、苦難の末に地球に生還するというストーリーでした。

同じパニックモノ、同じ女優で、この対照的な2作品を比較して、何が違うのかなあと漠然と考えていたのです。

そして視点なんだ、と気づいたのです。

「スピード」はどちらかというと「人生のオムニバス形式」のパニックの描き方なんだと思います。

社会があって、街があって、治安を守る警察がいて、悪人がいて、その悪巧みによってピンチに追い込まれる人がいて、最後は悪者を倒して正義を貫くという。

一方で「ゼロ・グラビティ」はストーン博士(サンドラブロック)の視点から、内面の葛藤をパニック映画の形式を借りて暗喩的に描いているように思えたのでした。

冒頭のスペースデブリによる襲来で、シャトルがメチャクチャになり激しくあらゆる方向に角運動する様は、その高い映像表現のクオリティに加え、予期することも避けることもできない運命に翻弄されて、単身投げ出されてしまうストーン博士の状況を、恐ろしく、そして見事に表現していたと思います。

彼女の最大の窮地を救うヒーロー役の同僚マット(ジョージ・クルーニー)も現れますが…朦朧とした意識の中での死んだはずの同僚との再会であり、それが現実なのか、彼女の夢なのか定かではありませんでした。

個人的には、やはりこのくだりは彼女一人の心の中だけの出来事だったのだと思います。

この映画を見たあと、ふと「最近なんだか、こういう感じの映画増えたよな」と考えました。孤立している主人公モノを始めとして、カップル、友人どうしなど極々小さなグループが災難に見舞われる、といったストーリーが増加しているのではないかと疑問を持ちました。

他にもあったっけ?といろいろ調べてみたら…

たくさんのものが思いあたりました。また、後から気づいたことですが、この路線も実は結構昔から存在することに気がつきました。

『コンタクト』 (Contact) - 1997年    - 地球外生命体との接触を試みる科学者のサバイバル。主人公が新たな知識をもたらす。 

『カスト・アウェイ』 (Cast Away) - 2000年 - 飛行機事故で孤立した主人公が無人島でのサバイバルに挑む。救助され、帰還後に新しい人生を歩む。  

『セルラー』Cellular (2004)
何者かに誘拐された女性が、古い携帯電話だけを頼りに、脱出を試みる。

『127時間』 127 Hours (2010)
 登山家が岩に挟まれて孤立し、生き延びるために奮闘する。

『バーレッド』 Buried(2010)
軍事請負業者がイラクで地下に埋められ、脱出を試みる。

『エンジェルウォーズ』Sucker Punch(2011)
少女たちが現実から逃避するために創り上げた架空世界での果てなき戦い。

『パイの物語 トラと漂流した227日』 Life of Pi(2012)船が転覆し、少年パイはベンガルトラと太平洋で漂流し、船上で壮絶で、奇妙で、神秘的な体験をする。

『ゼロ・グラビティ』 Gravity (2013)
※前述

『オール・イズ・ロスト/最後の手紙』 All Is Lost (2013)
船が嵐で沈没し、老船長が無人の海で生き抜く。謎めいたが印象的な結末。

『火星の人』 The Martian (2015)『ダンケルク』 Dunkirk (2017)
火星で遭難した宇宙飛行士が生存戦略を駆使して地球に帰還を目指す。

『アドリフト 41日間の漂流』 Adrift (2018) 船がハリケーンに襲われ、2人の船乗りが生き残りをかけて戦う。

『アークティック』 Arctic (2018) 飛行機事故で極地に取り残された男が生き延びを図る。

『エスケープ・ルーム』 Escape Room (2019) 謎の脱出ゲームで参加者たちが生死をかけて謎を解く。

『ミッドナイト・スカイ』 The Midnight Sky (2020) 大気汚染が進んだ未来で、科学者が極地で衛星基地を目指して脱出する。

ChatPGT3.5、プラス補足いくつか

個視点開花はなぜおこったのか?

80年代以降に映画の傾向が変化し、個人の内面や感情に焦点を当てた作品が増加したようです。いくつかの社会的な背景がこの変化に寄与しているのではないでしょうか?

1. ポストモダン主義の影響

80年代にはポストモダン主義の影響が強まり、伝統的な物語の構造に挑戦する傾向が見られました。個々のキャラクターの内面や心理が複雑に描かれ、主観的な視点や非線形な物語が重要視されました。

2. 個人主義の隆盛

80年代は個人主義や成功への焦点が強調された時代で、映画もそれに合わせて個々のキャラクターの成長や達成を描くことが一般的になりました。成功や富、愛の追求が物語の中心に位置づけられました。

3. ジャンルの多様化

80年代にはさまざまな映画ジャンルが隆盛しました。アクション、SF、コメディ、ホラーなどが多様な視点で制作され、個人の物語が異なるコンテキストで探求されました。

4. 感情移入とエンターテインメント重視

映画製作者は観客の感情移入を促進し、エンターテインメント性を強調する方向に舵を切りました。観客が映画に共感しやすく、感動や興奮を味わえるような作品が重要視されました。

これにより、80年代以降は映画がより個人的で感情的な要素に焦点を当て、多様なジャンルやスタイルで物語が展開されるようになったのではないでしょうか?

結果、パニック映画が内包していたはずの本来人が持つべきヒューマニズムや、社会批判の視点が抜け落ちてしまい、ただただ残酷であったり無慈悲なシーンだけを羅列するといったような映画も一部見受けられます。

ここで誤解なきようあえて記しておきますが、私は「社会性のある」芸術が優れているなどというつもりは毛頭ありません。

かの巨匠アルフレッド・ヒッチコックの有名な言葉の一つを借りるとすれば「物語は単なる結末を迎えるためだけにあるわけではない。物語は、どれだけ面白く、どれだけ興奮させられるかが重要だ」というものがあります。

これは、物語の結末が重要ではなく、観客を引き込んで興奮・緊張感を与えることが重要だというヒッチコックのスタンスを表しています。

私もエンタメとは元来そういうものであり、そこが1番大切なところなんじゃないかと個人的には思っています。

エンタメは社会性を帯びることはあるけれどそれが全てではない、ということです。

今は80年代以降、映画の多様化やエンターテインメント志向の強まりにより、一部の映画では人間性や社会的なテーマが相対的に弱まる傾向がある、という点にスポットを当てています。

制作側が抱える諸事情

この理由について、制作側からのいくつかの要因を考えてみました。

1. 商業的成功と大作志向

大作映画が注目を浴び、興行的な成功が強調されるようになりました。この傾向が一部の映画制作者に、感動や深いテーマ性よりも派手なアクションやビジュアル効果を追求させることがあったのかもしれない。

2. 視聴者が求めるエンターテインメント

視聴者の嗜好も考慮され、スリリングで派手なシーンや無慈悲な描写が、一定の需要に応えると見なされるようになりました。これにより、ヒューマニズムや社会的なメッセージが二次的な要素とされることがあったのかもしれません。

3. ポストモダン的なアプローチ

80年代以降、一部の映画では過去の確立した物語構造や価値観に挑戦する傾向があり、これが伝統的なヒューマニズムや社会批判的な視点を希薄させる結果となったのかもしれません。

新しいアプローチ


確かに、パニック映画の中には一見無慈悲で残酷な要素があるものの、深いヒューマンドラマや良質なテーマが絡む作品も存在します。

これらの作品は災害や危機を背景にしながらも、人間の深層心理や絆、人類の生き抜く力を描いており、エンディングや全体のメッセージには感動や希望が込められています。

ゲームは関係する?

chatGPTに「このような一人称、もしくはごく少人数が危機に立ち向かうような作品が多く作られる最近の映画の制作傾向に、ゲーム世代が社会の中核を担っていることと関係あるかな?」と質問してみたら、以下の考察を得ました。

昨今の映画の傾向が一人称もしくはごく少人数が危機に立ち向かうものが多いのは、ゲーム世代が社会の中核を担っていることと関連している可能性があります。ゲームはプレイヤーに個別の冒険や挑戦を提供し、個人の視点や経験が重要です。これが映画においても、視聴者が主人公と感情的に結びつき、危機を乗り越える個人の成長や奮闘を追体験することにつながっているかもしれません。

ゲーム世代が映画の受け手として重要な位置にあることで、個別のストーリー、キャラクターの内面描写、リアリティへの追求が強調され、これが一人称もしくはごく少人数の物語の増加に繋がっているかもしれません。

個から見た社会

ここ数年のハリウッドやディズニー映画のトレンドとして、個を一人称で描く形式が顕著になっている気がします。

主観的な視点や主人公の内面に焦点を当て、観客により深い感情移入を促すこのスタイルでは、キャラクターの感情や経験が直接的に伝えられ、物語がより情緒的で個別的なものになってきます。

個々のキャラクターの成長や心情を物語の中心に据えつつある一方で、社会的なテーマや問題にも焦点を当てる作品も増加しています。

一人称で描かれた物語が、個々のキャラクターの個人的な心の旅だけでなく、他者やより広い社会や文化との対立・齟齬・和解・妥協・融和・受容・共感などをたどるプロセスも描かれています。

あれ?一人称や個別のキャラクターの内面描写、そこから発展して社会的なテーマ性を強調する傾向は、昭和の時代から日本のアニメや戦隊モノ、ラノベでよくみかけたよな、とも思いました。

日本のアニメは、キャラクターの感情や成長に焦点を当てつつ、しばしば深い社会的洞察を提供し、個人の経験を通じて普遍的なテーマを描写してきました。

昨今の映画の傾向がこれに似ていることは、アニメやゲームの中で日本のストーリーテリングスタイルが国際的に評価され、影響を与えている可能性もあるかもしれません。

文化的な交流や異なるメディア形式からの学びが、映画制作において新しいアプローチを促進している可能性もあります。

まあ、ニワトリが先か?卵が先かの議論は不毛で意味はないと思うのでここらへんにしておきましょう。

映画に限らず、あらゆる創作や芸術の産物は古来から国境を超えて社会の変化や個人の内面と密接に呼応してきたことに間違いはないのですから。

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見ながら、そんなことを夢想していたお正月でした。



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