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有言実行について考える

なにかをやろうとしているときにそれを口に出して言うか言わないかでその後の行動が大きく変わる人は多いのかなと思います。

※注)書いてから気づいたけど、とりとめもない謎noteになりました😂

有言実行

(「不言実行」をもじって作られた語)一度口に出して言ったことは必ず実行すること。 -広辞苑-

不言実行

あれこれ(文句や理屈を)言わずに黙って実行すること。
-広辞苑-

なるほど。有言実行は不言実行から生まれてきた言葉であると。

男は黙って○○する!
背中で語る
姿勢で見せる

不言実行は長い間日本人の美徳として親しまれてきた気風なんだろうなと思います。

まぁ、そこを深堀りしたり反論したりしたいわけじゃないのでこれはただの感想でした😂

さて、有言実行の辞書的な意味は先に記述したとおりですが、それ以外にも個人的にはいくつかの要素が乗っかってくると思います。

・自身に強制力を働かせる
・共感を得る
・応援してもらえる
  ...etc

自分がよくやるのは1つ目のパターンですね。誰かにむかってでもいいし、だれともなくtwitterとかでもいいけれど「〜〜する!」って宣言することで自分を追い込んできちんとそれをやるための力に変えます。

逆に言うと、宣言しなかったことでやらないことが山程あります😂笑

自分は大きな夢を描いたり、語ることがとても苦手な性格をしているようなので、有言実行として宣言することもだいたいはやればできること、もしくは少し背伸びしたらできそうなことを書くことが多いです。

まぁ、「夢を語る」と「有言実行」は、一緒にしたらおかしいかもしれませんね🤔

口に出した言葉には言霊が宿ると言われています。

言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。 -広辞苑-

不吉なことを言ったり、油断したようなことを言ったときにフラグが経ったりするアレです(?)

辞書の意味からすると「もたらされる」なので、有言実行の文脈と結びつけると受動的なことになって若干おかしいですけど・・・😨

要は有言実行として宣言した言葉には言霊が宿る、すなわち何かしらの力が働くんだろうなということを考えながら生きてます。

なので、なにをするにしても自分が「やる」ということを発言する際には本当にそれができるのかどうか、やりたいかどうか、いつやれるかなどの実現性を頭の中で吟味してから口に出しています。

この考え方が普段の自分にどう影響してくるのか?
それは以下のようなところに現れてきます。

・社交辞令やお世辞が苦手
・冗談はすぐ真に受ける
・嘘はつくのもつかれるのも苦手

「今度〜〜しよう」とか「〜〜いこう」とか、何気ない約束ってあると思うんですけど、それを自分から持ちかけるときは社交辞令ではなく本当にやるのですぐにでも日程を決めたいと思っています。
逆に誘われたときに「いいね、やろう」ってなった場合には、本当にそれをやると思っているのでいつそれをやるんだろう?って頭の片隅でずっと気になります。

コミュニケーションを円滑にするために「どうですか?今度一杯?」「ぜひぜひ〜!」みたいな社交辞令があるけれど、上に書いたような理由があるので自分はできないんですよね🙄

冗談も真に受けるし、嘘も全然見破れないのでいつか詐欺にやられちゃうんじゃないかと戦々恐々とした毎日…は言い過ぎですけど、そんなことを思う日もあります😂


まぁなにがいいたいかというと、これは個人的な話だし、人に押し付けることでもないんですけど、やるって宣言したこと、決めたことについては自分じゃなくてもやってほしいなって思っちゃいます。

やってみた結果できなかったは全然よくて、やらないことで自分を、言霊を裏切っている、自分に嘘をついている、自分自身の信用を失っているっていうように感じるので。

だから、だれかがこれやる!って宣言したことに対して、それが全然やられてなかったときには、なんかもったいないなぁ〜、残念だなって気持ちになってしまいます。

その人からしてみたら「お前がそうおもってても知らんがな」って話ですけどね😂

自分一人のことならそれでも全然いいと思うんですけど、他の人を巻き込んでいる場合には、なおさらもったいないなぁという思いが強くなりますね。

なので、自分がなにかをやると宣言した場合には、それが誰かを巻き込んでいるときは特に「なにをやるのか」「いつやるのか」を明確にしてちゃんと実行していこうと心を新たにしました🔥

おしまい。


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