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マクベスと意思決定

キャリコンの勉強で最初に習うのがロジャーズ先生の来談者中心療法。これによればキャリア選択の面談過程では、キャリアコンサルタントは相談者に対し助言や情報提供、指導をすることはあっても最終的な選択は相談者本人の主体的な意思によることになります。

ところで僕はシェイクスピアの有名な戯曲『マクベス』が好きで、何度か読み返したり映画化された作品を観てきました。オーソン・ウエルズとかロマン・ポランスキーが映画化してますし、最近だとジョエル・コーエン監督の独特の世界観の映画もありました。我らが黒澤明監督も『蜘蛛の巣城』で三船敏郎主演で舞台を戦国時代にして見事な映画化をしています。

『マクベス』では冒頭で魔女が予言を告げ、それを聞いた将軍たちの運命は結果的にその通りになるのですが、面白いのはそれは決して魔女が予知能力を用いて予言を当てたのではなく、将軍たちの”主体的な意思決定”プロセスの結果悲劇的な結果が実現してしまう構造になっているところです。

キャリコン視点で詳しくみていきましょう。まず簡単なあらすじですが

深い森で魔女がマクベス将軍、盟友のバンクォーに対し、3つの予言を告げます。
(1)マクベスがコーダの領主となるであろう
(2)その後マクベスはスコットランドの王となるであろう
(3)バンクォーの子孫がスコットランドの王となるであろう
これを聞いたマクベス将軍と盟友のバンクォーは一度はそんなバカなと笑ってその場を離れるのですが、マクベスの悪妻がそそのかしたり、王や盟友バンクォー
に対する疑心暗鬼がどんどん膨れ上がり、結局マスベスは王を殺害し自分が王となります。さらに予言(3)が実現することを恐れ、盟友バンクォーを殺します。最後はマクベスがスコットランド王の息子に暗殺されてしまいます。

キャリコン視点でみると『マクベス』が面白いのは、魔女が心理とか情報をうまく操作することでマクベスに”行動変容”を促す構造になっている点にあります。
魔女は決して未来を予知する能力があったわけでもないし、超能力や魔術でマクベスを動かしたわけではありません。
しかしながら、魔女は情報や心理というものがいかに行動変容を通じて人を動かすのかについて深い理解を持っていたと考えられます。
武勲をあげ王に忠誠を誓った将軍のマクベスが徐々に暴君となり王も盟友も殺してしまうのは、マクベス自らが”気付き””主体的に行動変容”をすることによって悲劇的に転落していくのです。

まずこの予言を聞いてしまったという事実的情報、この情報が仮に王に漏れたら逆にマクベスが王に殺される、その前に王を始末しなければならない。
その結果、本当に予言(2)が実現し、マクベスが王になった。
ここでマクベスとしては”やっぱり魔女の予言は当たったんだ!”と認知の歪みを起こします。実際は予言が当たったのではなく、マクベスがそのように行動しただけなのですが、、、、

予言の恐ろしさを実感したマクベスは、(3)バンクォーの子孫が王になる、、つまり現在の王の自分をバンクォーが殺しにくると妄想が肥大化しとうとう盟友のバンクォーも殺してしまうのです。
整理すると『マクベス』では、

情報の非対称性>認知の歪み>行動変容

が生じています。それが悲劇につながる、、、、
シェイクスピアの生きた16世紀といえば魔女狩りの最盛期でもあり、本作の魔女を怪しげな魔術を操るものとして描写することも一定のリアリティを持ち得たと思いますが、シェイクスピアの凄いところは魔術的要素は一切出さずに、情報や心理といいったまさに現在的課題をこの魔女狩りの時代に描き切っている点です。

さて、キャリコンに話を戻しますと、、キャリア相談過程では魔女のように相談者が転落する方向に仕向けることはありえず、常に軌道修正しながら面談を進めるのですが『マクベス』を読むと、情報の提示や認知、行動変容というものがいかに人間の人生を変えてしまうのかについて考えさせられます。
また、相談者の主体性というものが本当の本当に真の意味で主体的なのか?もしその主体性の結果悲劇に至る場合はどう考えるのか?そもそも主体性ってなんだ??という哲学的にもどえらく大きな問題にも直面しますがこれはまた別の機会に考えてみたいと思います。
いろいろ自戒を込めて!

『マクベス』がいつの時代でも読まれるのは、権力を持った人間のエゴとか狂気とか、スコットランドの歴史などいろんな解釈ができるからだと思いますが、今回はキャリコン視点で解釈してみました、文学や映画作品はキャリコン視点で見直すと興味深いことが沢山ありますね、本作も一読をお勧めします。




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