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もう少し生きられそうだ

<御礼>
いつも応援いただいている方々にお礼を申し上げます。自分のためだけ書いているつもりの、この駄文です。お読みいただいているだけでも面はゆく、それにもまして「スキ」をいただき、恐縮しております。
毎日のテーマを探すだけで必死ですが、いけるところまで書き進めていくつもりです。ほんとうにありがとうございます。 

 近所のクリニックで、ふた月ごとの検診の日だった。高血圧とコレステロールの薬の処方箋をもらい、調剤薬局で薬を受け取る。2、3日前から緊張する。コロッと忘れそうで、ふた月ごとに緊張してしまうのだ。幸い、まだ、忘れたことはないが……。

 きょうは2か月前におこなった「成人健康検査」がわかる日でもある。いっしょに大腸がんや肺がんの検査もやっている。簡単な人間ドックなのだろう。もっと早く結果が出ているはずだ。何かあっても狼狽はしないで冷静に聞こうと決めてクリニックに出かけた。
 
 この春、中学時代の同期生3人と食事をする機会があった。かつての仲間たちが大勢、鬼籍に入っているのを知って愕然とした。ぼくの同期は、終戦の年に生まれている。翌年の3月までに生まれている者もいるが、同じようにあの食糧難の戦後を生き抜いてきた。

 小学校では二部授業も経験し、それでも教室が足りなくて、たしか4年生のときには、玄関を教室にしたところで授業を受けた。寒かった。2年生のときの給食が素うどんで、外は冷たい雨が降っていて、ふるえながら冷めたツユにひたして食べた。

 そんな時代を生き延びてきたからというわけではないが、ぼくより元気だった人間なのに後期高齢あたりを境にしてたくさん亡くなっていた。もう、自分はそういう年齢なのだと悟らざるをえない。したがって、検査の結果がどうあれ従容として受け入れる覚悟は容易にできていた。

 75歳まで厄介になった会社では、後半の数年間、健康診断のあと、決まって精密検査のために新宿のはずれにある病院へ通った。コレステロールの数値が境界線直前にあるためである。だが、毎年、「要観察」のままで治療にはいたっていない。

 リタイア後、近くのクリニックの医師のすすめで、境界線上にある高血圧とコレステロールの薬を飲みはじめた。おかげで、医学的にはもう少し生きていけるらしい。

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