見出し画像

飛鳥山を歩き、様々な事業に関われる世の中になったのだと気づく

先日上野公園を出歩き、都民・かつ散歩好きの割に、都内の公園を出歩くことが少なかったなと気づきました。

てことで先日東京都北区にある「飛鳥山公園」界隈を歩いてみました。


江戸でも屈指の読み難い石碑

飛鳥山公園は、明治6年3月に「日本最初の公園に指定されたうちの1つ」です(上野公園もその1つ)。そして来月発行される新1万円札の顔となる渋沢栄一邸があったことでも知られています。

アクセスはJR・都電荒川線などの王子駅に隣接しています。

王子駅南口を出てすぐ、公園の入口があります

公園内に「飛鳥山の歴史」なる昭和55年に設置された石碑があります。

飛鳥山の歴史碑

読んでみると「1737年徳川吉宗の時代に、荒れ地を整備して桜や松、楓などを植えて、それ以降桜の名所になった」のだそうです。

面白いと思ったのが、その次に書いてある「その説明は右手の石碑に詳しく刻まれていますが、この文字がとても難しく、すでにその当時から読み難い石碑の代表になっていました」と、江戸時代からある石碑を軽くディスってるところですw

「読み難い石碑の代表」

今も昔も、読みやすい・読みにくい文というのがあるんだなあと感じました。読みやすい文を書けるよう、心がけていきたいものです。

資本主義の父も、自然豊かな場所に居を構えた

飛鳥山公園の一角に、渋沢栄一の邸宅だった敷地を一般開放している「旧渋沢庭園」というエリアがあります。

残念ながら母屋と呼べる部分は太平洋戦争時の空襲で焼失してしまったそうですが、焼失を免れた「晩香廬(ばんこうろ)」や「青淵文庫(せいえんぶんこ)」といった建物は国の重要文化財となっており、有料(後述する渋沢史料館のチケットが必要)ですが中に入ることもできます。

庭園内の林
西洋風茶室の晩香廬
晩香廬の中から。ここでお茶したい
(椅子には座れませんw)
青淵文庫
ここが23区内の駅チカとは思えぬ風情です

渋沢栄一がこの地に家を建て始めた(最初は別荘の位置づけ)のは1879年、39歳の頃ということで、ちょうど今の私と同年代・・・。
業績は比較になりませんが「日本の資本主義の父」と呼ばれた彼が自然豊かな飛鳥山に拠点を置いたことは、自然好きな私としてはシンパシーを感じるところです。

渋沢史料館で、事業への関わり方の変遷を感じる

公園の敷地内には、3つの博物館があります。「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」、そして「渋沢史料館」です。

今回は時間の都合上、渋沢史料館しか見ていないのですが、産業史にも興味があるので残り2つの博物館にも近いうちに再訪しようと思います。

渋沢史料館は、渋沢栄一の生涯を1年ごとに追いかける構成の展示がされています。

大河ドラマ「青天を衝け」が3年前に放映されていて比較的記憶に新しいところですが、そこでも描かれていたように、彼の人生は商家→武士→役人→企業家→社会事業家(並走している時期あり)と、時代の大きな動きを見ながら、世の中に必要とされるものを次々に生み出していきました。

関わり方としては自ら事業を興すというばかりではなく、「セメント王」浅野総一郎など、ほかの事業家を支援する形で、多くの産業を世に興していっていることは興味深いです。

史料館内部
展示の上についている数字が渋沢栄一の年齢です

展示を見ると、毎年のように「今も残る企業」の創業に関わっており「半端なさ」が伝わってきますが、現代はテクノロジーの発展もあり、少額の寄付・あるいは「ネット証券から株を買う」といった形でも「世の中に必要」と思える活動に関われるようになりました。

私も細々と個別企業株を買ってみたり、木下斉さんのVoicy経由等で共感を持った活動に寄付してみたりしています(直近ですと、育て上げネットの工藤さん↓)

渋沢栄一のようなインパクトを与えられるかは別として、市民ひとりひとりが事業を興す・支えることに関われる時代になったということは、彼の時代から大きく前進したことのように思えます。

渋沢栄一の映像を眺め、AIが出てきても、何かを書く・しゃべることの意味を考える

こちらの史料館が面白いと思ったのは「渋沢栄一の肉声」や「動く渋沢栄一の映像」も見ることができる点です。

日本初の映画館が出来たのが1896年だそうで、渋沢栄一が56歳の頃。
よって彼の晩年は、こういった技術の発展で、映像に残すことができたのだと思われます。

スピーチする渋沢翁の映像

そこから100年ちょっとが経過し、テキストも音声もAIが生成できるようになってきています。
ある意味「ヒトが何かを書いたり、しゃべったりしなくても済む」時代になってきているとも言えます。

ではあるものの、「渋沢史料館の展示を見て、別の体験と組み合わせて何かを書く」というのは現時点のAIには難しい芸当かと思います。
こういったことを考えるのも、自ら書いてみるからこそ気づくことなのかと。

商業的に書く人にとっては受難で、そもそもAI以前に動画に取って代わられており「テキストはオワコン」と言われたりもしますが、気づきを別のところで活かせれば全くオワコンで無い気がします。

ということで、飛鳥山の散歩~渋沢史料館を見て感じたことをツラツラ書いてみました。

やはり散歩してみると色々発見があり面白いですね、もう少し渋沢史料館での発見(出会い)があったのですが、長くなったので次回にしたいと思います!

では今回はこのへんで。


もしサポートを頂けましたら、インプット(書籍、旅など)の原資として活用させていただきます!