引き継いだものを伝える努力

 昨日、定例の研究会があった。
 わたしはいつも通り責任者として参加したが、一つ、確かめたいことがあった。
 自分のブログには書いたのだが、10年前に同じ学校に勤務していて、現在同じ研究会で研究をしているS先生が、くも膜下出血で倒れて現在入院中であるということの真偽である。まあ、情報源が同僚の大先輩、多分間違いないライン(おそらくはS先生の配偶者等)だろうから、真偽も何もなかったのかもしれないが。
 簡単に言おう、事実だった。大きなショックを受けた。
 くも膜下出血、今までも多くの人間の命を奪ってきた、非常に予後の悪い疾患である。原因はくも膜の内側で出血が起こったことによる。出血の原因は多々あるが、その説明は医療系サイトに譲るとして。S先生は学校で頭痛を訴えた後帰宅、その後救急車で運ばれたものの、家族から例のあれに感染。その後無事に手術を受けることができ、成功したとのことだった。意識はあるとも。陽性者の開頭手術、一地方である本県の医療機関は必死だっただろう。全力で取り組んでくださったに違いなく、命を救ってくださったことに心よりの敬意を表したい。
 ただ、先ほど書いた通り、この疾患は非常に予後が悪い。
 何事もなく日常生活に戻れるひとは約3分の1、障害が残る方が約3分の1。いずれにしてもS先生はこれからリハビリをして、日常生活への復帰をめざすことになるのだろう。定年退職の日を職場で迎えることは、叶わなくなってしまった。わたしが研究会の場でお礼と見送りをすることもまた、叶わなくなった。
 とてもやさしい先生だ。わたしはS先生と一緒に勤務していたときに適応障害を発症。7ヶ月の休職を余儀なくされた。「病気で」休職とアナウンスされていただろう自分の職場、なんの病気かも一切伝わらなかったか、あるいは精神疾患だと皆知っていてか、復帰後のわたしに声をかけてくれる人間は少なくて、わたしとしては好都合だった。異動希望を出していたからだ。
 あと50日、カウントダウンをしながら過ごすわたしにも、その前にパニック発作や過換気発作で何度も倒れたわたしにも、同じように接してくださったのはS先生だけだった。わたしが異動した後も同じように接してくださったS先生とは、この3年間、一緒に月1回の定例研究会の時間を共にした。
 県での研究会がある、大勢の人数がいるところへ出席するのもリハビリだと思ってわたしが研究部長をしていたが、
「もし、当日やっぱり怖くって桜崎さんが行けなかったら困るでしょう、だからあたしが副部長になっとけば、ほら、すぐにバトンタッチできるじゃない?」
 とおっしゃって、3年間、副部長に名を連ねてくださった。結果的に急遽代役をお願いすることはなかった。
 でも不在になった今思う。S先生がいらっしゃる、それだけでわたしにとっては何よりも強くて太い、こころの柱だったのだ。精神的に支えていただいた、先生からいただいた恩を、わたしは今後、後輩に返していくことになる。



 上記の記事は、本当は昨日まとめた方がよかった(昨日は頭もまともだったし)。しかし昨日とても執筆する気にはなれなかった。ただ、過酷すぎるこの先を思うと、連絡先は知っていても軽々しく連絡することも叶わず、ただ回復を祈るしかないと諦めていた。
 ただ回復を祈ることすら許されないことが、今日ひとつ、はっきりした。


 わたしが新採用でお世話になった、K先生が亡くなった。享年62。
 今朝の地方紙、わたしは毎朝新聞を事細かに…読めればいいのだが、平日はなかなかそうもいかない。ただ本県の教員がよくするだろう、「お誕生・結婚・お悔やみ」欄だけはきちんと確認する。(考えればお誕生もご結婚もわたしたちにはあまり関わりがないのだが。役所で届けを出すときに、新聞掲載を取りやめることもできる)
 その、お悔やみ欄で知った。
 激しく動揺した。最後にお会いしたのが2019年11月だったと記憶している。わたしが責任者をしていた例の演奏会のときだった。K先生は出演校の管理職として、ホールへ足を運んでくださったのだ。
 わたしは今その地区を離れている。誰に連絡すればいいだろう、咄嗟に連絡したのが、当時の上司だったT先生だった。T先生が飲みに行くと聞けば、進んで車を出すくらいには親しかった(その飲み会にわたしが参加しなくても車は出すという、考えたら謎な親しさだった)。
 いわゆる無尽で一緒だったと言う。酒飲んであれしてゴルフする仲だった、同い年だとは知らなかったが、
「すっごい、T先生とK先生らしいですね」
 と思わず言ってしまうくらい、“酒飲んでゴルフ“はありそうな話だった。
「何があったんですか」
 と聞くと、T先生は、K先生の様子を知っている範囲でお話してくださった。端的に、癌だった。
 6月にわたしはNHKフォーラムに参加した。ティモンディの二人が出演するということ、オンラインだということで参加が叶ったのだが、そのときのテーマが「がん」だった。
 癌は治る病気だ、治った方も出演された、でも現実には、一度消え去ったはずの癌が転移してK先生は亡くなられたのである。
「明日わたし、行きます」
 とわたしはT先生に言った。わたしの過呼吸発作と精神的不安定による、子どもじゃないが不登校というか、出勤できない状態になっていたのは、T先生と一緒だった2年間。
「大丈夫か」
 通夜は午後5時から。勤務は前倒して帰らせてもらう。土曜参観の準備もあるが、わたしは担任ではないし、わたしの分担の準備は終わっている。そう考えると11月2日に苦労して同僚と会場の看板を仕上げたこともまた、明日の夕方の時間を空けるための何かが働いたのだろうか。
「はい。父が一緒に行ってくれます」
「わかった。じゃあまた明日。気をつけて」
 会場はわかっている。4年間住んでいた場所だ。斎場がどことどこにあるのかも、駐車場の様子も、時間帯的に混雑することも理解している。会場近くになったら運転を父に代わってもらえばいい。
 本当は、時勢がもう少し落ち着いたら、ご挨拶がてら行くつもりでいた。ティモンディがなぜかやたらとそっち方面にバス旅に出たり観光スポットを紹介したりしていて、わたしが知らないものもたくさんできている。最後に行ったのが5年くらい前になるか。住んでいたのなど15年くらい前だ。様子は変わっていて当たり前。
 今回電話に出てくださったT先生にも、
 そして、亡くなられたK先生も、会いたいひとのリストに入っていた。回復すら祈れない状況だと、昨日のS先生のことと照らし合わせた。 


 今日は休みで、でも朝から購読マガジンの更新通知があり、わたしは布団の中で彼の文章を読んだ。
 その後訃報を知り、もう一度読み直して筆を執った。読みながら筆を走らせた。
 最後に書いたことばを、正確には書けないだろうけれども、それがたぶん、今のわたしの心情をもっともよくあらわしていることと思う。
「できることをしていくしかない、そのためには自分の幸せなど、わたしにはどうでもいいことだ。」

 初任者の1年間、わたしのクラスの算数の時間、チーム・ティーチング(TT)に入ってくださった。
 わたしは1年間毎日、わすれるときもたぶんあっただろうが、ノートに書いた簡単な指導案をコピーして、K先生の机の上に置き続けた。直接渡すのは避けていた記憶がある。ちょっと怖かったからだ。怒られたわけではないけれども、自分より20も年上の先生が自分の学級に来て、きっと授業の進め方など厳しく指導されるに違いない、そう思っていたからだ。現に期間採用のときには、突然授業を覗きにきた学年主任や、障害のある子に付き添っていつも自分のクラスにいた支援員の先生に怒られていたのだから。
 結論から言おう。K先生は叱らなかった。怒ることはもちろんなかった。わたしからの指導案のコピーを持って、算数に来てくれた。時々、
「桜崎さん、ここの答え間違ってるぞ」
 と、授業中、笑いながら教えてくれた。決して嫌な感じではない。子どもたちには、わたしがこの日の授業の内容を書いたものをK先生に毎回渡していると伝わったことだろう。
「すみませ〜ん。やっぱり計算苦手で…」
 と言うと子どもたちもどっと笑った。情けないエピソードだが、今思い出せば懐かしい。この指導案が、わたしに「継続することの大切さ」を教えてくれた。
 拙い指導案を出し続けていいのか迷っていた頃。他の先生から、
「桜崎先生、毎日K先生に指導案出してるんだって?」
 と聞かれた。なんで知ってるんだろうと思っていたら、他でもないK先生が、飲み会の席でわたしの話をしたのだと聞いた。
「あれだけできるやつはいない、感心してるんだ」
 と言った、もう20年前だからうろ覚えだが、K先生がそう言ってくださっていたのを知った。その後忘年会だったか、実際ご本人からも、
「よくやるな」
 と褒めていただいた。本当に嬉しかった。
「先生、間違っていたらいつでも教えてください。3学期もよろしくお願いします」
 270時間超の算数の時間、そのほとんどに来てくださり、ときにはいろいろなことを教えてくださった。あの1年間の積み重ねが、今のわたしの一部を、間違いなくつくっている。

 継続は力だ。
 継続は必ず自分のためになる。

 その大切さを教えてくださったK先生に、明日最後の別れを告げてくる。
 先生方が後輩であるわたしに教えてくださったこと、残してくださった精神を、わたしは後輩に、伝える義務を負う。
 さて、どうやって伝えていこうか。明日からもまた、試行錯誤の日々が続く。




 S先生、そのうちお手紙書きます。退職したらカフェを開く、以前「山小屋を建てました」と言ってたのは、カフェのためだったんですね。開店したら必ず行きます。

 K先生、今まで本当にありがとうございました。先生の優しさ、厳しさ、温かさをわすれません。そしてわたしは、これからも継続して努力することを誓います。


追記。
明日少し早く終われませんかと連絡をした保護者から先ほど連絡をもらった。
先生、明日お休みでいいですよ。うちの子は大丈夫です。明日遠くに行きますから気をつけて、お別れしてきてください。

わたしの20代は、宝だった。
40代の今、それを大事にしていいと言ってくださる保護者がいる。
K先生、明日、時間を気にしないでお伺いします。最後に「ちゃんとやってます!」というわたしの話を、少しだけお聞きくださいね。
わたしはこれからも背筋を伸ばして、先生に教えていただいたことを大切に、全身全霊でがんばります。

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