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【胃がんサバイバー日記】あの日から一年

それぞれのあの日

「あの日」それは2/20

あの日から1年経った。

胃がんを宣告されたその瞬間2021.2.20

阪神淡路大震災や東日本大地震を体験した人にもあの日がある。家族や大切な誰かを失った日があの日にもなる。新型コロナウイルスが蔓延した時期があの日になった人も大勢いるだろう。生活が一変した日があの日になる。俺も自分の病気がわかった日が「あの日」になっている。

「あの日」からちょうど一年

たくさんの経験をした。たくさんの言葉をもらった。たくさんの感情が生まれては消え、消えては生まれた。喜びも悲しみも苦しみも、全ては覚えていないが、その全てが俺のものである。

胃体中部小弯がん(胃がん)と検査専門の消化器内科で言われたときは、ショックという感覚も不安も何もなく、感情はフラットで医師からの説明を一人で冷静に受けることができた。その時に浮かんだ疑問に対しての質問をして、心のどこかで「安堵」の感情が芽生えていた。それは「もう頑張りすぎなくてもいい」と同義のような感覚だと思う。


スタートは「覚悟」があった

その日にnoteをスタートした。「あの日」から明記されてはいないが急に訪れた「いつかくる日」へのカウントダウンへ向かっての自分なりの「覚悟」をもって、こちら側の残る人、と向こう側の旅だった人との「いつかくる日」以降にこちら側だった時の感情を、経験を見てきたことを、言葉をカタチにして残したいと思った。「いつかくる日」がいつかはわからないし、これくらいと医師から言われているわけではないが、遠くだったものが、振り向いたらすぐ後ろにいたような感覚はある。


最後に欲しかったのは治療、医療行為とは違うものだった。

胃がん発覚後、紹介状と画像データCDを携えて、大きな病院へと向かい、様々な検査、診察を受け治療方針を検討する中で「切除」を基準にどこまで切って、どう再建するのか?が俺の症状に対しての"標準治療"だった。

標準治療とは、科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者さんに行われることが推奨される治療をいいます。
一方、推奨される治療という意味ではなく、一般的に広く行われている治療という意味で「標準治療」という言葉が使われることもあるので、どちらの意味で使われているか注意する必要があります。なお、医療において、「最先端の治療」が最も優れているとは限りません。最先端の治療は、開発中の試験的な治療として、その効果や副作用などを調べる臨床試験で評価され、それまでの標準治療より優れていることが証明され推奨されれば、その治療が新たな「標準治療」となります。
国立がんセンターHPより

今後も「今までの日常」を続けていけるようにたくさんの方々の時間や労力を借りて、「もう大丈夫」になるように尽力していただけた。
比較的早期だったこともあり、寛解へ向けて希望が持てるレベルと判断され治療を受けさせていただけた。退院後の時のが、がん宣告時よりよほど心は不安定で常に怯えていた。

術後の体に対しての丁寧な説明をしていただいていたが、体の変化が聞いていたことと著しく逸れていると感じる時、ネットで調べても「標準」とは違うと感じるときはその傾向が酷く心は揺れ動いた。自分の体なのに自分の体ではないかのように、"ジキルとハイド"の如く違和感を感じていた。

そうなると、もう自分では対処できなくなるので大きな病院で診察してもらうのだが言われることは大抵「心配しすぎ」であった。治療、医療行為はもう存分にしてもらっていて"もう大丈夫"になっているはずなのに「安心感」を得られることはなかった。最近は何か感じるとオンライン医療相談を利用し、また他人の質問を読み漁っている。


3つの柱


ある人の言葉がとても刺さった。以下要約。

がんになっても三つの柱があると、人生が折れにくい崩れにくい。ある人とない人とでは明暗が分かれる
1.が大きすぎる人は手段と目的を履き違えてないか?

1.治療(痛み苦しさをなくす、安心材料になる)
※手段であって目的ではない

2.収入(生活保護という手段もある)

3.役に立つ事⇆お荷物感、役割がなくなる

1.がん関係のコミュニティにいくつか入っているが、その中で「闘病」という言葉を目にすることがある。俺はその言葉に違和感を覚えていた。それを使うことを否定するつもりはないが、がん細胞は元々自分の中にあった細胞。それが劣化して新しい細胞を作り出す時にコピーしなければならないものを間違えてがん細胞になってしまう、そして、それ自体は誰しも毎日起こっていることだが、間違えてしまったがん細胞は免疫細胞によって、排除されるシステムになっている。そのシステムが体の免疫力低下やさまざまな要因によって残ってしまい成長してしまったものが「がん」となる。種類は違うが免疫異常や自分の細胞が自分の体を傷つけてしまうのはアトピー性皮膚炎と似ているのかなとも思った。(疾患持ち)

闘病とは、命をかけての戦いで病に負けてしまった方を→悪、弱い、努力が足りない、治して然るべきもの。のように思えてしまい、健康な"強者"のマウンティングに感じてしまう。誰かに対して"強者"になっているかもしれないと自戒の意味を込めてこの言葉を使わないと決めた。

俺は幸いに治療、医療行為を満足に受けさせていただいたが、場合によってはそれを受けることができない方々もいる。その人たちは悪いのであろうか?弱いのであろうか?努力が足りないのであろうか?と

安心できる満足行く治療に出会えることも、受けることも運の要素や地域的環境、タイミング、困っていると口に出す勇気など何が欠けても届かないものなのかと思う。

2.退院後仕事復帰して、今でも続けて働けているので、収入に関しては困ってはいない。が
自由診療や先進医療など働くこともできない状態で治療を受けるのは心理的にも経済的にもとても大きな負担になるのだろうと容易に想像できる、そしてまた、"自分もいつそうなるかわからない"とコップの淵を歩いている状態なのだろうと思う。

3.1.2を今は問題なく享受できているからだろうか?役に立つということに対して渇望している気がする。少し前に取得した終活ライフケアアドバイザーの資格もそんな思いから始めたものだ。副業として始めようと思ったが大きく方向転換しようと思う。大きな理由は時間と信用の問題。多少の変化はあっても通勤残業込みで13時間ほど日々仕事に拘束されている。今後はほぼ全ての土曜まで仕事になる予定になってしまった。副業として本業の会社に申請する時に副業時間と合わせて残業時間月に80時間までの制約やそれ以前に上役までの面談、業務実施時は報告書作成、明細の提出、実績の報告、労働時間の管理計画書提出etc...いや、時間足らん!ってなってしまったので見直してみた。

そしたら

副業として申請が不要なもの
年間所得が20万円以下と見込まれる事業性の低い公的な活動や趣味などのもの

年間20万円超えなかったら、即実行可能との判断から無償にすることにした。準備にかける時間があるなら行動する時間にしたい。そもそもお金が欲しくて始めようと思ったわけではなく、役に立ちたい、会社のルールに従うための副業だっので、その判断となった。だが、大々的に宣伝しても、時間の資源は増えないのでこれを読んでくれた方のみに伝えることにした。

anshin.syukatu@gmail.com

ここで終活相談受付をします。話を聞いて欲しい方に届くことを願います。だからといって拡散など望んでいません。noteでやりとりをしたり、なんとなくお互いのことがわかる方の相談を第一と考えます。もちろんいきなりの相談でも構いません。基本的には話を聞いてアドバイスや注意事項を伝えるようなことをする。どんなことができるの?そんな説明のためにホームページを作成していたが、それも止まったまま。はじめだすにはあまりにも無責任かもしれないが、Siriや Alexa、エクセルのイルカのように、ふと聞いてみたい時にただ質問する相手としての拠り所として初めてみたい。自分が再発などしてしまったときに"仕事"となると依頼者にご迷惑をかけてしまう可能性があるとも思った。しかし、ただより高いものはない、そうならないための対価を考えた、それはこれを読んでの「スキ」を押してもらうことだ。それ以上は求めていない、誰かの安心感が増えたらそれでいいのだ。求められたことに対して答えるだけ、こちらから行動することことはしないことにした。


その後に続くもの

とても素晴らしいと感じた。「どうせ」の後に続く言葉で、相手のことを想像する事で、その先の展開は、想像を超えるほど変わる。間違った想像は相手を傷つけてしまう行為にもなりうる。相手を傷つけないようにしているが、どれだけ言葉を尽くしても届かないかもしれないことは忘れずにいたい。

去年の今頃の"その時を"取り戻そうとしているのか、手術前に3ミリに刈り上げた髪をなんとなくずっと伸ばしている。何故だか胃と一緒に天然パーマも無くなった。切らないのは棋士の 村山聖氏 のことが頭にあったからなのかもしれない。がんになった時、治療の役に立てたらと思い献血をしようとした、が、がんになったら条件をクリアできないと献血ができないことがわかった。では何ができるのか?と思った時に「どうせ切って捨ててしまうもの」なら同じ、何かの理由で必要としている人にヘアドネーションさせてもらおうと思いたった。それまで禿げないでいてくれるといいなと願う。今では後ろで少し縛れるくらい髪が伸びた。


「やめる」をやってみる

がんが消えていく生き方   船戸崇史氏著


この本の中にがんになる原因は「悪」ではなく「無理」であるとし、無意識のうちに「3G」をしている、とある。

3Gとは「我慢して、頑張る、頑固者」

前述したようにがん宣告の時に感じた「安堵」はその象徴なのかと感じた。「無理」していたのか、と。

noteの毎月更新も"しなければならない"を手放して書きたいときに書こう、そう思った時が今日だった。仕事や生活面ではどうしても「頑張る」ことがあったりするが、それも何かしらの手段で少しずつ辞めていける部分は手放していきたい。

これは大切にしたい!と思ったことも日々の忙殺を言い訳に忘れてしまいがちで、この3Gに対しても同じだった。つい、"いつも"をしようとしてしまう。ただ、忘れないように、それはまるで"庭に生えた雑草をとり続けるような行為"
気がついたときに、またそこからやり直したい。

時間は不可逆的なもので、過ぎた時間はもう取り戻すことはできない。切除した胃も現時点ではどうやっても再生も移植もできない。それでも生きている。生かされている。これさえできれば万事解決などない。それはつながっていて常に変化している。明日世界が終わるとしても今日りんごの木を植える。そんな気持ちをもち続けたい。


最後に

赤裸々にと書いたので最近の体の具合についても記そうと思う。食事はありがたいことによく食べられる、アルコールを飲むこともできる。では、全ていいか?と言われるとそうではない。最近も何度目かのひどいダンピングと言う後遺症に見舞われ家で倒れてしまった。

原因は多分バナナチップの食べ過ぎ。糖分の多いバナナチップを食べ過ぎたことにより糖分を分解吸収するためインスリンが腸に一気に集まり、頭の血液が不足して低血糖の症状となり、目の前が暗くなり倒れてしまった。幸い家族に対応してもらい"飴ちゃん"を舐めることで大事には至らず30分ほど寒い廊下で冷や汗の池を作るが如くうずくまるだけですんだ。意識が飛ぶほどだったら緊急搬送されていたのかもしれない。何度目かの死ぬかと思った経験をした。

又、シモの話になるが、消化器系の手術後のあるあるでオナラがよく出る。それによって下着を汚してしまうことも増えたのは悲しい。

冒頭に最初は「覚悟」があったと書いた。"いつかくる日"の後に残るものとして始めた。それがいつしか「より良いものを書きたい」と、自分の中で他のnoterさんと比べてしまっていたのを反省した。がんサバイバーという群からでて個としてみられたいと。生業ではなく、想いを綴る場所なのだと忘れないで続けたい。

最後の最後に、いつも読んでくださる方々、スキをくださる方々、コメントをくださる方々、サポートをくださった方々、治療、仕事、生活など全てに関わってくださる方々への感謝を伝えたいと思います。有り難う御座います😊

次回は、4月の一年検診のことを書こうかと思っています。胃がない人の胃カメラとは?3年以内の再発率が70%と言われるので、一年目の検診を無事に乗り越えられることを祈ります。
それではまた

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