命の期限に気付くとき
本日も記事をご覧いただきありがとうございます。ひろです。
人について考える。
本日のテーマは、
「父の日」
です。
以前、飲食店で働いていた時。こんな出来事がありました。
「何見てるんですか?」
休憩時間。スマホを眺めている僕に、後輩の男の子が声をかけてきました。
「ああ、父の日のプレゼント。何にしようかと思って」
「へぇ~! 親父と仲良いんですね」
彼は興味ありげに聞いてくる。
「いや、正直、そんなに仲は良くないけどね。そっちは仲いいの?」
「全然です。実家帰っても、親父と話す事ってないですもん」
父親と話すのは、息子でも少し抵抗があったりする。
「仲良くないのにプレゼントするんですか?」
「うーん。どちらかというと、仲良くないからプレゼントする感じかな」
どういう意味ですか。彼はそう言って、仕事に戻っていく。
お店も終わって閉店作業に入る。
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様ー」
バイトの子達はあがって、社員のみでの閉店作業が始まる。
「お疲れ様です。親父さんのプレゼント決まりましたか?」
昼間に会話した男の子が話しかけてくる。
「決まったね」
「ちなみに何にしたんですか?」
スマホの画面を見せる。
「うなぎっすか!」
「うん。昔からうなぎはご馳走って言ってたから。色々考えてプレゼントしてきたけど、、結局うなぎに戻っちゃうんだよね」
父親と一緒にうなぎを食べに行った思い出が、もしかしたらそうさせるのかもしれない。
「一つ聞いていいですか?」
「なに?」
「昼間の話。仲良くないからプレゼントするって言われてたんで。少し気になってて」
ああ。そうか。
「君が昼間言ってた事と一緒。実家帰っても父親と話すことなんてほとんどないから」
「そうですよね」
「だから、話のネタになるかなって」
毎年のプレゼントはそのためでもある。
「へぇ~! すごいっすね。そんな風に考えた事なんてなかったですよ。やっぱり先輩はちゃんとしてるんですね」
うーん。
「まぁ、生きてるうちにちゃんとしてあげないと後悔するからね」
「あ、親父さん。病気か何かですか?」
気まずそうに彼は聞いてくる。
「いや、ピンピンしてるよ。ただ、祖母が亡くなった時。何もしてあげられなかったと思って」
人の命には限りがある。
「あ、そうだったんですね」
「おじいちゃん、おばあちゃんは元気?」
「あ、親父の方はピンピンしてます。母さんの方は、おばあさんがなくなってますね。まぁ、会ったことなかったんですけど」
「そうなんだ」
お互いに静かな時間が流れる。
「それじゃ、気をつけて」
「はい。何か父の日考えてみますね! あ、オススメあります?」
「うなぎかな?」
「候補に入れときます(笑)」
彼は家に帰っていったのでした・・・。
追伸
いつも当たり前に存在する。
そう思っていたものがなくなってしまうと、人は痛みを感じることがあります。
僕の場合は、それがおばあちゃんだったんですよね。
昔から僕をさんざん甘やかしていたおばあちゃん。
両親に怒られても、いつも味方をしてくれたおばあちゃん。
進学で大阪に出る時「いつでも帰っておいで」笑顔で送り出してくれたおばあちゃん。
さんざんお世話になったのに、僕は大阪に出てからの2年間。1度も実家に帰ることなく、祖母は亡くなりました。
お葬式に出た時、祖母が実家にいないという事実を。その存在の大きさを初めて理解しました。
もっとこうしておけば、ああしておけば。
そう考えても、時間を取り戻す事はできません。
ただ、生きている人に対しては取り戻せる。
今思えば、父の日・母の日のプレゼントは、そこから始まったのかもしれませんね。
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