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直して、使い続ける。モノも身体も。

手にちょっと大きい怪我をした。全治1ヶ月、といったところ。
なんとかなる範囲ではあるものの、割と不自由だし、下手に動かすと痛い。

ここ最近の1年くらい、ちょこちょこ怪我をしている。ぶつからないと思っていたところに身体をぶつけてしまうことが多い。なんだか身体の使い方がうまくできなくなってきているような、そんな気がしている。

いろいろと気をつけないといけないのは確か

怪我をしている期間、いろいろと制約が出てしまうことを考えると、なんともいえない気分になる。なにかしようとしてもちょっと躊躇してしまうというか、たとえば思いっきり身体を動かして遊ぶような体験をしようと思っても、怪我があるのでそういうのは避けないといけないとか、そういう心理が働く。可能性が狭まって、経験を回避してしまうような力学が働いている、というような。

とはいえ嘆いていても仕方がないので、できる範囲で行動するしかないのだけど。

ところで、この怪我はどれくらいで治るのだろうか、と考えてみる。1ヶ月くらいというのは概ねの目安であって、過去の経験から考えると、痛みがなくなっても違和感はまだしばらくは残りそうな気がする。とはいえ、1,2ヶ月もすればだいたい元通りになって、以前と同じような生活ができるようにはなるはずだ、と考えられる。

自分の身体の治癒力を信じて待つしかない。ただ、これが人間の身体だから自然治癒力があるけれど、モノの場合はどうするかと考えたら、壊れたら修理するだろうな、と。何を当たり前のことを、一瞬考えるけれど、そういえば修理せずに捨ててしまう人もいるか、と。モノにもよるけれど、自分の場合は、まず修理できるかどうかから考える。

壊れても修理して使い続けることが、昔から割と好きな方だったことに思い至る。修理のスキルが高いかといわれると全然そんなことはないのだけど、特殊な工具とかなしでできる範囲でならなるべく直すし、使えなくなっても別の用途に使ったり、例えばパーツ単位で分けて別のものに使ったり。自分で直したことも多いし、誰かにお願いして直してもらったこともある。

買い替えたほうが安いという場合はたくさんあって、もちろんそうすることもあるのだけれど。100均とかで買うものとかはさておいて、何かを買うときは本当に必要かどうか結構考えてから買うことが多いから、大抵のものは気に入ったものを買っているので、メンテナンスして長く使うことが優先になる。服とか、食器とか、PC周りのデバイスとかでも。

お気に入りだった服がダメになってしまったので、生地を再利用して作ったコースター

そう、モノの場合はメンテナンスや修理をして、長く使うことになる。そうすることが好き。

一方で、自分はモノの扱いがちょっと丁寧ではない、という自覚もあって。無意識に放ってしまってちょっと欠けさせてしまったり、ちゃんと置いたり立てかけたりしたつもりでもしっかり安定した状態にできていなくて倒れてしまったり、単純に不注意で落としてしまったり。

壊す、というところまで行くことはそこまで多くはないので全体的に物持ちは悪い方ではないけれど、自分のぞんざいな扱いで傷つけてしまったりすることが多い。なので、修理したりして長く使ってやらないと、なんというか申し訳ない気がしているのかもしれない。もっと永らえたはずだ、天寿を全うするのはまだ先のはずだ、と。

自分の身体も、同じなのかもしれない。

不注意で傷つけてしまうことが多い。けど、その分を帳消しにすべくメンテナンスには時間と労力を割く。多少壊れても修理して、治癒力を高める努力をして、なんとかして自分を永らえる。そうせざるをえない、というだけな気もするけれど。

たぶん自分の場合は、どれだけ自分で気をつけても、ある一定以上の注意力は発揮できないのだと思う。どこまでいっても注意散漫なまま、なので、怪我をなくすことはたぶんできない。

傷ついたら直せばいい。そういう心持ちでも、まあなんとかなりそうな気はしている。ただ、それにも限度ってものがあって。確実に老化していって治癒力は落ちるし、取り返しのつかない怪我をしたら、こうはいかない。そういう重症にはならないように最低限は気をつけないといけない。

でも、それさえ気をつけていれば、あとはまあ多分なんとかなる。
そう思っていないと、萎縮して何もできなくなってしまうので。

ぼんやりと自分の怪我のことを考えていたら、自分の好きな方向性というか、自分の特性みたいなものが垣間見れた気がして、自分を再発見した。


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