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中秋の名月

『月が綺麗ですね』
文字通り月を讃えるこの言葉は、益体もない文脈の付加により、今日では恋人への愛を語るイディオムと化している。
こうなったのは古の文豪の戯言のせいか、はたまたインターネットに渦巻く紊乱風紀の仕業か。

燦然と輝く月を眺め、野良犬のションベンの臭いを嗅ぎながら一服、神聖な光を俗な煙で穢す快楽を覚える。

初秋の夜風の中、秋の虫たちがリンリンとけたたましく鳴いている。
お前らの演出などなくとも、私の人生はいつも秋冬モノだ、馬鹿野郎め。

この中秋の月の下、一体幾人の貴公子たちが姫君に愛を囁いているのだろうか。
財宝の展示を守るレーザートラップのように、この街には『恋の赤い糸』とやらが張り巡らされている。
その糸で私の柔らかい心が亀甲縛りになるのもお構いなしに、男女たちは糸を結び合わせ、ほくほくと愛を抱きしめあっている。
今すぐにでもホームセンターに鎌を買いに行き、その赤糸をざくりざくりとぶった斬りに出かけたいものだ。
一体なぜコーナンもケイヨーデイツーも24時間営業をしていないのだろうか。お前らも私の敵か。そう思った。


ため息混じりの紫煙を吐き出しながら、私は手近な花壇に腰を下ろしつつ、一発の屁を放いた。
この神聖かつ爛れた夜に、私の尻も一矢報いようとしたのかもしれない。
私の味方は案外近くにいたのだが、しかし味方がこいつだけとあってはいかにも心許ない。
私を苛む敵は、私と私の尻の二人がかりではどうにもならぬ程、余りにも強大だ。

月を眺め、乙女に恋をささやき、その身を抱き寄せることの一体何がそこまで高尚か。
刺し殺してやる。

そんな私の戦意は、肺から全身に駆け巡るニコチンで緩やかに宥められ、全てがどうでも良くなってくる。
世に平和のあらんことを。
腰元に放ったロングピースのソフトパックが、月明かりを受けててかてかと光っている。

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