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働くことに意味を見出せない苦しみ

アロマンティック・アセクシャルとして労働するということ

 生きるためには働かなくていけない。でも、生きる力を失った時にはどうすれば良いのだろう。良い企業に勤めているか、悪い企業に勤めているかといった労働環境以前に、きっとこれは愛の問題なのだ。
 ノンバイナリー(現在は男性、女性そのどちらでも無いと認識している)でアロマンティック・アセクシャル(恋愛感情も性的感情も他者に対して抱かない)私にとって働くことの意味は何なのだろう。
 二人の愛の生活を維持するために互いに協力しながら社会の一員として働き、人生を共に歩んでいく……。そのような人生を歩めない私は永遠に子供のままのような気がする。
 先ほど性的指向はアロマンティック・アセクシャルであると述べたが、これに至るまで様々な経緯があり虹のように複雑な人間の性にまだ若い私は混乱している。自分がアロマンティック・アセクシャルだと本当に名乗って良いのか分からない。
 なぜなら、学生時代には他者に恋をしたこともあるからだ。しかし、その恋が実らなくて幸いだったと今では感じている。恋は肉体的にも精神的にも傷つけられ、全身に炎症を起こし、回復はしても過去の自分には二度と戻れない。そのことを考えた時、私は永遠に子供のままでいたいと思った。恋という炎症物質を他者から持ち込まれたくも無いし、自分も決して持ち込みたく無い。
 しかし、色彩の無い人生を生きることなど、私にはできるのだろうか?誰とも愛を分かち合えない自分は、生きていても何の意味も無く、労働も自分が生きるためだけの労働で、ただ苦しいだけなのだから、今日にでも死んだ方がマシだと思う。労働で得られるものはお金だけで、愛する人との深い魂の交流など無く、永遠に子供のままなのだから……。
 職場の人間関係の中で学び成長できることも勿論ある。でも、もっと魂の奥深くまでの人と人との交流は労働では満たされない。孤独に叫び、虚しさを感じると同時に他者に恋愛感情、性的感情を抱く自分を憎み、呪っている自分がいることも真実だ。魂の寂しさを痛いほど感じつつも、恋なんて殺してやると思っている。
 知らず知らずのうちに誰かの心に自分という存在が恋愛的、性的な意味で入り込んでいたら……。と思うと自分自身が恐ろしくて仕方ないのだ。相手が男性であっても女性であっても、誰かの心を奪うことが怖いのだ。だから、男性でも女性でもなく真の人間になりたい。真の人間とは何か?そんなことは神にしか分からない。とにかくエデンの園に今すぐ帰らせてくれ!!ただ、それだけを祈っている……。
 来年の今日は生きているだろうか。今年も生きられたのだから、来年もきっと神が生かしてくださるだろう。

 愛する天の父なる神様、この記事が誰にも読まれなかったとしても、天の父であるあなたが読んでくださるなら幸いです。でも、誰かお一人でもお読みくださったなら、私の生きる力になります。地上で生きる力をお与えください。止めることができないほどの溢れ出る書く力をお与えください。私の書く言葉に読者をお与えください。今は心も肉体も力が抜けて倒れそうです。激しく死にたい時があっても、魂の内側から、あなたがお支えくださいますようにお願いいたします。この祈りを主イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。アーメン。

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