テストの答えの定義 #34
今でもたまに思い出すテスト問題があります。
中学二年の理科でした。
引用:http://www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/aturyoku.html
上図のような問題でした。
瓶のような形のものがスポンジの上にあり、Aは瓶の口が上になって置かれ、Bは瓶の口が下向きに置かれています。
問題内容は「AとBは何が違いますか?」というものです。
私は自信をもって、「瓶の向きが違う」と書きました。
答えは「底面積が違う」でした。
この問題だけ罰をもらって98点でした。
まぁ100点取れなかった悔しさももちろんありますが、自分が間違えていないと思うことが間違いと決められたときのショックは大きいものでした。
その後どうしたのかはよく覚えていないのですが、直談判に行っても1回目はダメで、若い女の先生を泣かせるくらいぎゃーぎゃー叫んで△にしてもらったような気がします。
答えは一つじゃない
今となれば、理科のテストで「瓶の向きが違う」なんて問題にするわけがないとも思いますが、当時は全く意味がわかりませんでした。
ただ、いつ振り返っても「間違ってはいない」のです。
「何が違うか」という問いには、いくらでも答えがあります。
音楽のテストでも似たようなことがありました。
モーツァルトだか誰だかの曲を聴いて、作者の気持ちを答えよというものでした。
感性がない私は真剣に考えて答えたのですが、先生には真っ向から否定されました。
それ以来、音楽の授業は大っ嫌いになりました。
小学生くらいまでは音楽は嫌いじゃなかったのですが、普段もあまり聞かなくなってしまいました。
なので、カラオケでもなんとなくのメロディで歌います。
すると妻に怒られたのです。もっと原曲聞いて練習してと。
もうこの価値観が全く分からないです。
誰かにお金をもらって歌うわけでもないのに、なんで聞かせるレベルまで練習せにゃならんのかと。
さらに音楽が嫌いになりました。
あと、算数のテストで小数点が抜けてるとかそんなどうでもいいことで×をつける教育もよくないと思います。
算数を通して何を教えたいのでしょう?
育てたいのは、論理的思考より、ミスをしないスキルですか?
答えなんて一つじゃないのです。
前々から日本の教育は見直されるべきだとよく聞きますが、私が子供の頃よりは良くなったのでしょうか。
テストの点数だけでなく、一人ひとりが答えを見つけ出すプロセスを大切に育ててほしいと思う今日この頃です。
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