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ビジョンの素地となる個人的経験

はじめに

当社のビジョン、「次世代のインベストメントチェーンを共に創る」の素地になっている、個人的な経験をまとめてみたいと思いました。最初の記事に現在の会社を始めてからの変遷を少し書いたので、今回は大学時代から独立するまでの話を書きたいと思います。自己紹介も兼ねています。

大学時代

大学2年生の時に、日産自動車がルノーに救済され、傘下に入ることがニュースになっていました。個人的に良い会社だと思っていた日産が、どうしてこうした状況になったのか疑問に思い、ファイナンスという枠組みで企業について理解しようと決めました。ゼミで学んだコーポレートガバナンス、資本コスト等の資本市場の論理は、自分が世の中を見る主要なレンズとなり、その後のキャリアに大きく影響(いい意味でも悪い意味でも)しました。また、ゼミで仲間と一緒に自主的に学び合った経験は、「共に創る」の原体験になっていると感じています。

投資銀行時代

大学で学んだファイナンスを実社会で活用してみたいと思い、投資銀行部門で働き始めました。厳しい環境で社会人としての基礎が鍛えられたと思っています。しかし5年が経ち、お金と出世に重きを置く価値観が合っていないと感じたこと、より知的好奇心が刺激される仕事をしたかったこと、優秀な人たちと競って勝ち残る自信が無かったことが理由で転職を考えました。引き続きファイナンスに関わる領域でのキャリアを考え、分析的な仕事が自分の強み(人との向き合いは弱み)だという認知もあり、上場株式投資家の道に進むことを決めました。当時の自分のストレスレベル(仕事を楽しんでおらず、よく顔色が悪いといじられた)や隠れた尊大さは、後々書くかもしれない金融業界にありがちな外発的な動機を強く刺激する同質的な組織の功罪について考えるきっかけになっています。

アクティビスト時代

上場株投資の仕事を始め、最初に所属したのはアクティビスト運用のチームでした。現在のビジョンからは想像できませんが、(フレンドリー)アクティビストとして、聞こえ良く言えば”バランスシート効率の改善”や”業界再編”といった提案を投資先企業に差し上げていました。いわゆる資本市場の論理に基づいて、その自覚が薄いまま自己利益を中心に考えた投資を自分自身が行っていたことは、インベストメントチェーンの課題について考える一つの起点になっています。
残念ながら、投資家として活動を始めて2年程で、日本でアクティビストに対する風当たりが強まったこと、世界金融危機が起こったこと等により、所属していたチームは解散となりました。一つの戦略に依存することの危うさ、顧客との信頼関係の重要性を実感しました。幸運にも私は中小型株式運用のチームで新たなチャンスをもらうことができました。

中小型株チームアナリスト時代

投資銀行でのスキルが一定活用できたアクティビストファンド時代とは違い、中小型株チームではとても苦労しました。一番大変だったのがそれまで身につけたもの脱学習です。個人的には、投資銀行での仕事や、アクティビストファンドのバリューアップ活動は、どちらかというと正解のある世界観に基づいていると感じています。一方、オーソドックスな株式投資では論理的に正しそうなことは既に株価に反映されており、自分が考えることが正しかったとしても、リターンが得られるとは限りません。この違いに自分を適応させるのに苦労しました。
中小型株チームは、決まった型を教え込むスタイルではなく、自分で考え自主的に行動する自由度が確保されていました。そのお陰で上司・同僚のアドバイスをもらいながら、試行錯誤を通じて自分なりのやり方を見つけることが出来たと思います。

中小型株チームファンドマネジャー時代

ファンドマネジャー時代は担当ファンドの受賞記念で個人投資家向けセミナーを国内5都市で行ったり、韓国リテール向けファンドの立ち上げを行ったり、関わる人の幅が広がっていきました。その中でも、あるお客さんに私の運用を面白がってもらい、熱く応援していただいたのはとても良い経験でした。後にインベストメントチェーンにおける顧客-運用者、運用者-企業経営者の関係性のあり方について考える起点になり、パフォーマンスの前に、ハートの部分が重要なのだと振り返って気が付きました。
もう一つ忘れられないのは、東日本大震災が起こり、最初に被災地の津波の映像を観た時のことです。私は当日神奈川県の企業に訪問し、工場を見学していました。地震の影響で自宅には帰れず、近くの友人の家に泊めてもらうことになりました。友人宅に着き、テレビで被災地の映像を見た瞬間、「これ明日株価めっちゃ下がるな」という考えが頭をよぎりました。そして、被災した人たちのことよりも株価のことを考えている自分にぞっとしました。株式市場というバーチャルな世界で、現実よりも数字に向き合っていることで投資家個人が社会から乖離し得る危険性を肌で感じたことは、「企業を支え応援する」という当社の投資方針にも大きく影響しています。

起業

2015年半ばに退職するまでの最後2年くらいは、ファンドマネジャーとしての成長が鈍化していることに悩みを感じていました。異なる戦略の運用を兼務させてもらう等、いろいろ試したのですが、無意識にパフォーマンスへの影響が出ることを恐れていた等の要因で、一度作った自分の型を大きく変えることができませんでした。
その頃に偶然、当社親会社創業者の諸藤から、上場株式投資会社の立ち上げに誘ってもらいました。「企業経営の視点から、長期株式投資を、アジアの市場で行う」という未体験のコンセプトが浮かんできて、とてもワクワクしました。
当時の職場は個人の自主性が尊重されており、投資に真剣に向き合う仲間がいる魅力があり、不満はありませんでした。また、挑戦した結果失敗する可能性があることに恐れも感じました。こうした葛藤を感じながら最終的には、自分の殻を破るきっかけになるかもしれないと感じたこと、この話を断ったら一生後悔するかもしれないと思ったことで、起業を決断しました。

キーワード

以上のような経験が当社のビジョンの素地になっています。その上で、「組織の在り方」、「働き方と幸せ」、「自己利益への固執の負」、「信頼関係」、「他者との繋がり」、といったものが次世代のインベストメントチェーンを共に創る上で、キーワードになり得ると考えています。これらについては、今後の記事で触れていきたいと思います。

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