無償の愛が分からない
「無償の愛ってわかる?」
上司に聞かれてハッとした。
───恐らく、見返りを求めず、人を、本当の意味で、本気で愛したことがないのだ。何と薄情なことだろう。
今まで、7人の人とお付き合いをしたことがあるが、みんな腰周りが細い男性であった。腰周りが細い男性が好みだからである。
以前のブログで恋愛の先生になりたいなどとほざいておきながら、今まで外装の美にとらわれた恋愛しかしてこなかった薄っぺらい人生である。
以下、以前のブログ
自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。
20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので、わずか3年で両親は離婚した。
愛着形成が上手くいかなかったために、私は対人関係形成においての障害が出てしまっている。
例えば、私は、人のことを大きく4つにカテゴライズしている。
【好きで信用している人】……安全基地である。依存性を発揮し、距離感にバグが起きる。
女性にはお菓子をあげるなど献身的に尽くし、
男性には既婚者と彼女もちの人には大胆に愛情表現をしてしまう。(私のことを好きにならないからである。)
そして、LINEや、電話、ご飯、ドライブ等、その人と濃い時間を過ごすと、刹那的に一番好きな人に昇格する。これを恋としてきた。
【嫌いで信用している人】……好きの裏返しなので、結局好きである。すごく気になるけど、嫌なことをされたりと、気に入らない人はここに入る。泣いたり怒ったりと感情もよく動く。そのため、優しくされると簡単に好きな人に昇格する。ここにいる人には、試し行動をして、様子を伺ってしまうので、周りは気をつかっていると思う。大変申し訳ないことである。
【どうでもよくて、いい人に思われていた方が都合がいい人】……好きでも嫌いでもどちらでもなく、どうでもいいのだけど、とりあえずいい人に見られていた方が都合がいいから、とりあえず愛想良く振る舞う対象の人である。本当に自分の人生においてどうでもいい人はここに入る。
【無関心すぎて、もはやどう思われても構わない人】……基本、目を合わせず、「はい」か「いいえ」で会話している。頭が悪かったり、思考が硬かったりと、何らかの原因・要因で尊敬できない人は、自分の人生において無意味あるいはマイナスなので、極力関わらないようにしている。ここまで来ると、信用を取り戻すまでにかなり時間がかかる。ここまでの過程でその人に対して諦めてしまうくらいに、自分がかなり傷ついているからだ。
このように、白黒思考が強いので、50パーセントやグレーが難しく、人の好き嫌いもかなり極端である。
「無償の愛」とはなんだろう。
ずっと一番好きな人であり続ける人だろうか。
理論でなくて、感覚で好きな人なのだろうか。
嫌な面も愛せることであろうか。
頭で考えても分からないし、答えは出ない。
私の好きは刹那的で、理論的で、今までこういう経験がないからである。
「この人いいかも」と思っても、
「喫煙者かあ」(ヤンキー家系から抜け出したい)
「元ヤンかあ」(ヤンキー家系から抜け出したい)
「夜職かあ」(ヤンキー家系から抜け出したい)
「なんかこの人必死だなあ」(周りを蹴落としてまで自分が1番になって安心したいのか。余裕なくてかっこ悪いぞ。)
と、マイナスなところが見えると、燃え上がっていた恋もどんどん鎮火していき、
一緒に過ごす時間の長くて私の話をうんうん聞いてくれる上司(既婚者)の方が好きだわと、「いいかも」の対象がコロッと変わってしまう。
今年の目標は、
・外装の美にとらわれない恋愛
・理論でなくて感覚の恋愛
・無償の愛以外に軽々しく好きを伝えない
・「好き」という言葉に重みをもたせる
である。
また、自分なりの「無償の愛」の納得解を探していきたい。
余談だが、私はスピリチュアルは信じていない。
しかし、スピリチュアル自体は好きな私は、
「ゆうた」の呪いにかかっていると信じている。
最初に付き合った男の子が「ゆうた」くんだった。
その後、「けんた」「ゆうすけ」「ゆうみ」「たいち」「ゆうたろう」「たかし」……。
そのくらい、私が今まで付き合ってきた人は「ゆうくん」や「たあくん」なのである。何となく自分の運命の人は「ゆうた」君なんだろうなと感じている。
よくある名前であるし、単なる偶然だと思っているのだが、いい感じになりかけていた、「ひろき」や「きょうご」はどうしても上手くいかない。(主に自分が冷める。)
これは一体なんなのか。
「無償の愛」を見つけて、「ゆうた」の呪いから脱したいものだ。
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