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恋愛の先生

とある女生徒から、恋愛の相談を受けた。
いい感じの人が冷たい。もうだめかも、嫌いかも、と。

その相談に対して、共感しつつ、
「それは、相手の【好き避け】なのではないか?」
と答えた。

ちなみに、私は【好き避け】を「すきよけ」と読む派である。


自己紹介として、私は静岡県で予備校講師をしている。

20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので、わずか3年で両親は離婚した。

生まれた時から、社会的階級は底辺スタートであったが、私が恵まれたのはコミュニケーション能力だった。

愛嬌、
依存パーソナリティ、
白黒思考、
適度な距離感の難しさ等、

様々な要因が合わさって私は構成されている。

どういうことか、私は周りに比べて恋愛の経験が多いようだ。

この自分のもつ特性が時に魅力となり、個性として輝くことがあるようだ。

対人関係形成は、他者に比べると、苦手で難しいところが多いが、【恋愛】という分野においての他者理解や分析力には長けているようで、相手が何を考えているか、顔や視線、挙動を見れば、心の中身がそこに書いてあるかのように推測できてしまう。


どうやら、恋に悩む女生徒は、自分と2人の時には優しいのに、学校だと冷たい態度をとるので、不安になってしまったようだ。
だけど、目は合うし……。
だけど、話すと喧嘩をしてしまう……。
意訳するとこういった悩みだ。

私から言わせてもらうと、惚気である。
完全にお互い素直になれない両片思いの【ケンカップル】である。

──本当に嫌いな人に、人は冷たい態度を取らないものである。いい人に見られた方が都合がいいのに、そんな自分の感情をだすようなことをするメリットがないからだ。

伝えるべきか悩んだが、恋愛とは答えを出すことが全てでは無いと思い、心に閉まっておいた。


成熟すると様々なことが俯瞰できるようになるが、その分つまらなさを感じてしまう。自身の恋愛において、もう、あの頃の恋愛のような、何も分からずドキドキしたり、落ち込んだりする青い経験はもう皆無に等しい。
「成熟する」ということは、安定を得ると共に、面白さが半減してしまうものなのかと、まだ青かった自分を羨ましく思い、また、寂しさを感じた。



今日は、進路についての文章を読んだ。「努力・才能・好きが合わさる趣味や、仕事を見つけることって難しいよね。私は、恋愛においては経験があるから、恋愛に関する仕事につけばよかったな。恋愛の先生とか。」と、話をした。

生徒たちは、「なんだそりゃ」と笑っていた。

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