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ニンジャの話 その13 里の館

父は歌がとても上手で家族で車で移動するときはよく歌を唄っていました。鼻歌という感じではなく”熱唱”というやつです。レパートリーも幅広く、歌謡曲、演歌、童謡、浪曲、詩吟と歌ならばなんでもOKというユルさです。
泣けると話題になっていた講演でも唄っていたらしくもはやジャイアン並みのリサイタルです笑。歌があまりにも好きすぎてガンガン唄っていたら、講演先のユニーというスーパーマーケットチェーンでなぜか経営陣に絶大なる信用を得たらしく、なぜか当時名古屋の東海テレビという地方局でユニーが独占スポンサーをしていた日曜朝のテレビ番組”ユニーサンデーショー・歌えちびっこ”の審査員に抜擢され隔週でテレビ出演していました。子供のど自慢番組の審査員として出演するいう話を聞いたときには???と目がテンになりました。しかもこの番組、しょぼいローカルののど自慢番組かと思いきや意外とすごい審査員陣で、アンパンマンの作者のやなせたかしさんや東京藝大を主席で卒業したクラリネット奏者かつジャズマンの藤家虹二さんも審査員をしており、私の父だけがなぜか歌好きの怪しい大学教授という謎番組です。面白いことをやる父だとは思っていましたが、まあ、普通断りますよね、これ。やるところが父らしいです。

かほどに歌が好きだったので父は私にも歌を唄わせようとします。しかも詩吟笑。山部赤人の”田子の浦ゆ”吟じる訳です。小学生が。家の近くに針名神社という古い神社がありまして、父は私をそこの境内に連れて行って練習並びにパフォーマンスするわけです。恥ずかしいったらありゃしない!そして当然ながら子供の頃に刷り込まれたこの詩吟は当然ながら私の頭に刷り込まれていまして今でもソラで吟じれます。やらないけど。

こういう家でしたので我が家は車の中ではとにかくガンガン唄っておりました。小学3年生から始まった古民家再生プロジェクト。名古屋市の自宅から古民家までは片道1時間強かかります。それを毎週のように通うのでそれはそれは大量の歌を唄う訳です。レパーリーも尽きてきて父も同じような歌を唄うのを飽きたのかもしれません。とうとうオリジナル曲に手を出し始めました。それが父が作詞作曲した”里の館”(さとのやかた)の詩です。

里の館の詩

”花が咲き乱れて、小鳥が鳴いてるこの村は
えっちら峠を越えてく村よ
巴川のせせらぎが、ほらほらほら春を呼ぶ”

勝瀬幸貞

素人が作った詩ですし、曲もまあ簡単な曲なのですが、古民家に通う身道すがらを形にしたものです。 父はとてもこの曲が気に入ったらしく僕たちも古民家への行きすがらよく一緒に唄ったものです。(帰り道は疲労困憊しているので唄わなかった笑)2番、3番、4番もあったように思います。確か春夏秋冬があったような。私は一番しか思い出せません笑。この歌があったせいか、はたまた父の頭の中に里の館という言葉が先にあったのかは今となってはわかりませんが、この古民家は段々と私たちの認識は”足助の古民家”から”里の館”へと変わったように思います。歌の力はすごいです。先日書いた青少年育成道場の開催の頃にはすでに「里の館」という名称で父は青年会議所に説明しており、対外的には正式に古民家は「里の館」となりました。そう実はThe Ninja Mansionは2代目の名称で、古民家の初代の名前は里の館だったのです。The Ninja Mansionの名前の由来は後日のNoteに譲るとして、父がつけたこの名前。私たちにはとても愛着があり大事にしています。そのため「里の館」という名称はThe Ninja Mansionの営業を法人化した際に会社名として残しました。これが”株式会社里の館”です。The Ninja Mansion のホームページを見ると一番下にひっそりと”里の館”の名称が書いてあります。

父の刀剣探索から偶然見つけた廃屋は、改修プロジェクトを通じて父に健康を授け、家族と支えてくれた優しい人々のおかげで「里の館」となり、そして40年なりの時を経てとうとう会社となったのでした。

明日にづづく


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