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言語は同時に何カ国語まで操ることができるか

私は自分とは異なる文化圏に属する人たちとのコミュニケーションに非常に関心があるため今までに相当数の外国語を習得した。これにより、それらの言語は辞書さえあればある程度までは自由に使いこなせるようにはなった。しかしながら、今現在それらの言語のうち、それぞれのネイティブスピーカーと高尚なテーマ(政治や哲学や文化論など)についてそれほど不自由なく話せるレベルとなると、正直言って数えるほどしかないような気がする。かつては比較的自由に話せていた(はずの)言語でも何年も全く話す機会がないと言語脳が錆びついてしまい、なんとか読解力だけはそこそこ維持できてはいても会話力は極端に低下してしまうのだ(とはいえ、短期間でも学習し直す時間があれば以前のレベルに近づくことは比較的容易だ)。

いったん身に付けた会話力をずっと維持したいのであれば、それらの言語をすべて並行して日常的に使い続けるしかないのだが、そのようなことは、よほど特殊な状況下にある人を除けば事実上不可能だ。いや、その気になれば決してできないわけではないが、その場合、会話力を維持するという、ただそれだけのために膨大な時間とエネルギーを費やすことを余儀なくされるため、他のことが殆んどできなくなってしまう。これでは本来コミュニケーションの手段であるはずの「外国語の習得」が目的化してしまい、本末転倒と言わざるを得ない状況に陥ってしまう。ちなみに外国語(一般的には英語)は比較的流暢に話せるのに肝心要の日本語の表現力に乏しい人が少なくないが、これも決して好ましいことではない。

私自身の経験に照らし合わせる限り、どんなにたくさんの外国語を習得しても(習得したつもりでいても)同じ時期に同時に自由に使いこなせる言語はせいぜい5~6カ国語程度が限界なのではないかと思っている(逆に言えば、特別な才能がなくても5~6カ国語程度であれば「そこそこものになる」ということだ)。だから一般的には自分の不得手な分野(言語)はそれぞれその分野の達人(餅は餅屋)に任せたほうが良さそうだ。なかには数十カ国語がペラペラという人がいるようだが、本当に同時期に並行してたくさんの言語を母国語とほぼ同レベルに操ることができるとすれば、その人物は特定の分野に特異な才能を示す「サヴァンな人」の可能性が高い。

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