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『夢は竜馬の如く世界を駆け巡る』    第3章『いよいよアメリカが近づいて来た』

南部ミシュシュピー州に行く

山籠りをしてから何日が過ぎたのだろう。               毎日定刻通り朝目覚め、夜眠りにつく日々。本だけは手元から離れることはなかった。街からは適当に隔離され、久しぶりに味わう『快適さ』『心地良さ』しかし、その当時はそう思えなかったと考える。

 テレビもラジオもない文明とは程遠い生活であるが困ることはなかった。時に大阪の古本屋街に行って留学に役立つ本を探すことになった。特に英語に関しては本屋に行ってNHKの英会話の本を買った。語学の勉強は1人で行うのは少し無理があると思って、週に2回生徒3人と英語だけしか話せない米国人に英語を習うことにした。その英会話仲間である日本人の奥様から誘いを受けて子供と久しぶりに楽しく遊んだ。しかし、高い授業料の割には外人の教師から習っても英語力は少しも進歩しない。           冬が近づいて来た。アメリカに留学していた日本人英語教師に英会話を習うことにした。私、若い新聞記者と主婦と3人で一緒に習うことにした。  英語がうまく話せる様にはならなかったが、米国ビザも取ることにした。 1)アメリカの北・南・東・西地域のどこで勉強したいか?      2)次にどこの大学の英語語学校を選択するか?           3)授業料はいくらか?                       当時は英語語学学校の載った本を手に入れて、語学学校のある大学を探すことにした。通信は手紙とファクスだけだった。不便極まりない状態だった。今はインタネットで調べてメールで送ることができる。         英語のできない生徒は、ほどんど業者にお願いしていた。 

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(1)寒いのが苦手なので、南の暖かいところに決めた。      (2)授業料も安く、8週間ごとに終了する州立南ミシュシュピー大学の英語語学学校に決めた。(ハチティーズバーグ市)地方の人口5万人その内 学生が約1万人の大学である。何度か手紙の行き来がして米国大使館でビザを取るようにと指示がきた。確か大阪の米国大使館に行ってビザを申請したと思う

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ホノルル空港に到着

 日本を離れて六時間後、ハワイ州ホノルル空港            現在のダニエル・イノウエ空港に着いた。
君は分かるだろう。ホノルルは、もうアメリカである。ここで米国への入国審査・税関検査が行われる。機内から出ると同時にホノルルの熱砂が顔を覆うのに気づいた。                         『何と云う熱風だろう!』                      気の弱い私だ。見知らぬ国への旅立ちとなると、体も変になる。前日まで風邪を引いて寝込んでいたのだ。しかしながら、この熱さである、風邪も吹っ飛んだ思いがした。すぐに浮かんだのは『何故か分からないが、母親への感謝だ!ありがとう』と呟いた。

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 入国監査官はとても親切で、ほとんどの監査官は日本語を理解できる人で下手な英語を使う機会はなかった。これからはアメリカ本土英語の国だ。 私は監査官と流暢に英語を話している自分の姿を思い浮かべながら、全ての検査を終えた。学生ビザの検査に約1時間余り、全ての検査が終了するまで約二時間待たされることになるが、別に何の苦痛もない。        この日は、日本人の留学生らしい人を空港内で約六十人余り見かけたが別に話すこともなかった。この先、何が起こるか、分からないが、期待を込めて、何度もお礼を言いたい心情だ。ホノルルでの待ち時間はほとんど自由に使えない。全ての検査を終えるのに余裕時間は失った。すぐに、次のカリフォルニア州ロサンゼルス行きの国内線の搭乗口に急ぎ走ることになる。

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