空を夢見て
空を見上げていた。悠々と飛ぶドラゴンを見上げていた。
ぼくにはどうして大きな翼がないのと、お母さんに聞いた。
お母さんはちょっとだけ目じりを下げて、優しく笑った。
「私たちは、生き残るためにあの子たちに空を譲ったの」
ぼくにはさっぱりわからなかった。
空を見上げていた。悠々と飛ぶドラゴンとその上に乗る人間を見上げていた。
最近、空を飛べるドラゴンが人間と仲良くしているらしい。
人間は赤い鞄を提げていて、青い空によく映えた。
口や体に紐なんかつけられて苦しくはないのだろうか。
そんなことを考えながら、森に木の実を探しに行く。
空を飛ぶ大きなドラゴンは、その大きな体を動かすためにたくさんのお肉を食べないといけないらしいが、小柄な僕たちは草花や木の実だけでも十分に生活できるのだと、母さんが言っていた。
母さんは元気にしているだろうか。独り立ちしてからしばらくは時折母さんに会いに帰っていたが、最近はめっきり帰っていない。
そんなに頻繁に帰ってこなくても大丈夫だよ、と言われたのだ。
「よう、チビドラゴン。久しぶりだな」
大して大きさの変わらない、カラスのジェネルがしゃがれた声で鳴く。
「久しぶり、珍しいね君がここに居るの」
「最近この辺りに魔女が越してきたらしいから、警告しに来てやったんだ。魔女はドラゴンを捕まえて薬の材料にしちまうって話だからな」
ケラケラと陽気にふざけている彼も、実は友達想いのいい奴だ。
「ご忠告ありがとう。気を付けるよ。君はその魔女には会ったの?」
ジェネルはうなだれながら首を振る。
「会いてえんだけどよ、そいつ色んな所をうろうろしていて、全然家にも帰ってこないんだよ」
近くにあった赤い花をもしゃもしゃと食みながら、そうなんだと相槌を打つ。
この花はまだ食べ頃じゃなかったな、なんて考えていたら、ジェネルが突然大声をあげる。
ぐえっと変な声が出て、足が地面を離れ、身体をぶらぶらと揺らされる。
「なんだ、ドラゴンの幼体かと思ったが、違うのか」
緑の瞳と目が合って、後ろでジェネルがこいつだこいつだと鳴き喚く。
ポイっと投げ捨てられて、危うく木にぶつかるところだった。体勢を立て直すくらいの一瞬であれば、大空を飛ぶには役に立たないこの小さな翼も使い物になるのだ。
一安心したら、口からぼっと火が出る。
こちらに興味をなくし、この場から立ち去ろうとしていた魔女が、踵を返したかと思うと目にもとまらぬ速さで歩み寄る。
「お前、火が出せるのか!?」
顔が近い。とっても近い。怖い。そう思って木の陰に隠れる。
「さっきから君は何なんだよ。急に掴んできたり、投げ捨てたり……。失礼だよ」
「コミュニケーションが可能なのか……?」
「だいたいのドラゴンは可能だと思うよ。よっぽど幼いドラゴンじゃない限りね。君は魔女の割には世間知らずだね」
「ごめん。私は魔女だけど、半人前なんだ。魔女の修行中に師匠が死んじゃったから」
しおしおと肩をおとして、うなだれる。
「魔女や魔法使いなんかは、だいたいの生物とコミュニケーションが取れるよ」
「お前、もしかして魔法に詳しいのか!?」
勢いがよすぎて、唾が飛んでくる。汚いからやめてほしい。
けれど彼女の瞳は純粋そのもので、長生きする魔女や魔法使いと言えど、この子は見た目の通りまだ幼いのかもしれない。
そよそよと吹く風に小さな翼がかすかに揺れる。
「僕はそれほど詳しくないけど、詳しい人なら知っているよ。ついておいで、案内するよ」
木の上のほうの枝にとまりこちらをうかがっていたジェネルが、一枚二枚と羽を落としながら、僕の頭上をついてくる。
「おいおいお前、正気か? このよくわからねー女をどこに案内するんだよ」
ジェネルの声は聞き取れないのか、魔女は目をキラキラと輝かせながら、鼻息荒く後ろをついてくる。
「アネスのとこだよ。アネスは長生きしている魔法使いだからね。弟子は取ってなさそうだけど、お人好しだし頼めば面倒見てくれるかなと思って」
「あんな愚図のとこに行くのか! お前は本当に物好きだな。俺はごめんだね。まぁ頑張れよ」
そう言ってジェネルはどこかへ飛んで行ってしまった。ジト目でその後姿を見つめながら、ため息をついた。
しばらく歩いていたら、「遅い!」と魔女に言われて肩に乗せられてしまった。そのまま、彼女に道を指示しながら歩くこと30分ほど。
複雑に自然に木々に囲まれた奥に、小さな池と畑、庭のある二階建ての一軒家が現れる。
「なんだこれ。すごいな。どうなっているんだこれ」
魔女は顔をあちらこちらへ向けて、一向に家に向かおうとしないので、肩から飛び降りて、家のドアをたたく。
「はーい。アポなし訪問は困るんだけど、誰だい……?」
おずおずと顔を出したアネスは相変わらず顔色が悪い。それに人間の目の高さでしゃべるから、僕のことが目に入ってない。そのまま扉を閉めようとする。
「アネス、僕だよ僕。下を向いて」
火を吹きながら声を張り上げれば、彼は片手に持っていたフラスコを落としそうになりながらも、こちらに気が付いた。
「チビ君か。珍しいね突然来るの。それにお客さん連れかい?」
「ごめんね突然。最近ここに来た魔女がいるんだけど、半人前らしくてね。よければ、ちょっと面倒見てあげれないかな。僕らと話せることも知らないような子なんだ。たぶんうんと若いよ」
口をへの字に曲げて、一歩身を引いたかと思うと、ドアを閉めようとする。すかさず隙間に入り込んで、それを阻止する。
「いや、無理だよ無理。弟子なんてとったことないし、教えられるようなことなんて何もないよ!!」
首が取れそうなほど何度も横に振るから、少し心配になる。
とりあえず落ち着きなく動き回っている魔女を呼び寄せて、アネスに紹介する。
「そういえば名前聞いてなかったね」
「ミーナだ。東部の山間の村のはずれに師匠たちと住んでた。私は捨て子で、偶々魔力があったから師匠の弟子になれた。師匠はほかにもたくさんの孤児を育てていたけど、私が唯一の弟子で、末っ子だった」
「東部の山間の村のはずれに孤児を引き取って住む魔女……。あぁ、もしかしてヤーヤさんかい?」
「そうだ。知っているのか!?」
ミーナの距離の近さにアネスは若干体をのけぞらせながら、ぎこちなくうなずく。
「僕の師匠とよくやり取りしていた人だったんだ。師匠が亡くなってから、めっきり連絡を取らなくなってしまったんだけど、そうか、亡くなったのか。……良い最期だったかい?」
「あぁ。突然だったけど、静かに穏やかに、海に呼ばれて消えていった」
魔女や魔法使いは死ぬとき、肉も骨も何も残さない。生涯の多くの時間をあらゆる場所を満たす自然界の魔力――マナを取り込み、自身の力として使う魔女たちは、身体が徐々にマナと同化していくのだ。
ヤーヤの最期を語るミーナの表情は、穏やかで静かな湖面の揺らぎのようだった。
「そうか。それならよかったよ。君は何年ヤーヤさんのもとにいたんだい?」
「12年。3つの時に拾われたから今年で15になる。でも、魔女の修行を始めたのは10歳の頃だから、5年も経ってないんだ。基本的な魔力の事と、魔法書の読み方、簡単な薬の調合ぐらいしかわからなくて」
顎に手を当てて考えこむアネスを見て、もう大丈夫だなと確信する。やはりこの魔法使いはお人好しなのだ。
とんとん拍子で話が進み、ミーナは無事にアネスの弟子となることになった。
最初は顔を真っ青にして聞く耳を持とうとしなかったとは思えぬほど、凛とした真剣な表情でミーナに今後について話している。
暇になったけど、挨拶もしないで帰るのも悪いなと思って、来客用のソファでひと眠りすることにした。
「チビ君、チビ君。ごめんね、長い間待たせて。それとミーナを連れてきてくれてありがとう。魔法は正しく使うことが一番だから、未熟な子には指導者が必要不可欠だ。僕が師匠のような指導者になれるとは思えないけど、とりあえず頑張ってみるよ」
「アネスならきっと大丈夫だよ」
一つあくびをしながら励ましの言葉をかけると、そうだといいなと頬をかいた。
ミーナが仮の住処にしているところから荷物を運ぶというので、手伝いを申し出た。小さな体に似合わず、僕らは力があるのだ。
アネスから借りた台車に荷物を載せて押して歩く。
これぐらいなら朝飯前だ。
「ありがとうな。本当に助かったよ。これで私も師匠みたいな立派な魔女になれる!」
「立派な魔女になれるかどうかは、君の努力次第だからわからないけど、頑張ってね」
「努力するに決まってるだろ! 君にもたくさん手伝ってもらったし、アネス師匠にもお世話になるんだ。絶対に立派な魔女になるよ」
ぶんぶんと腕を振り回しながら、宣言するその姿は初めて出会った数時間前と比べると、気力に満ちている。
師匠が亡くなって、これからどうするかずっと不安だったのだろう。それが解消されて本来のミーナらしさが戻ったのだと思う。
「なぁ、お礼がしたい。何か私にできることはない?」
「お礼なんて気にしなくていいよ」
「師匠からお礼はちゃんとしろって言われてるんだ。絶対何かしたい。何かないのか!」
前に立ちふさがったミーナは、聞くまでどかないと全身で語っている。
本当に別に何もないし、気にしなくてもいいのに。森では助け合って生きていくもので、僕はそれをしたまでだ。
そう言い聞かせようにも、全く聞く耳を持ってくれない。どうしようかと、ため息をつきながら空を見上げると、赤い鞄を持つ人間を乗せたドラゴンが通りがかった。
「空を飛んでみたい」
ポツリと言葉が零れ落ちた。
「空?」
ミーナも空を見上げ、僕の視線を追う。
「あの郵便のドラゴンみたいに?」
「郵便は別にどうでもいいけど、僕らは飛べない種類のドラゴンだからね。空は憧れの場所だよ」
ミーナは黙って歩き出した。自分にはできないことを言われたからか、諦めたのだろう。
荷物を運び終えて、それじゃあまたねと森へ帰ろうとしたらミーナが大声で僕を呼び止める。
「絶対、空を飛べるようになるから。絶対、絶対絶対なるから、その時は一緒に空を飛ぼう!! それまで少しだけ待ってて!」
力いっぱい宣言して、その気迫で何となく炎のオーラが見える。その姿が可愛らしくて、笑みがこぼれた。
「わかった。期待しているよ」
今度こそまたねと別れを告げて僕は自分の家に帰る。
アネスは高いところが苦手で、空を飛ばないからすっかり忘れていたけれど、魔女や魔法使いは本来空を飛べたなと干し草のベッドでまどろみながら、思い出した。
その日は、赤い鞄を提げた人間を乗せるドラゴンの隣で、ミーナの肩の上に乗って空を飛ぶ夢を見た。
僕の小さな翼はひくひくと羽ばたいていた。
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