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天神祭の人魚(小説) 3/4話

さすがにそれから
しばらくは人魚のことが
頭から離れなかった。

幼い頃のぼんやりした記憶が
れっきとした形となって
目の前に現れたのである。
 
こんなお伽噺を信じてくれる人は
いそうもなかったので、
誰にも話さなかった。
それは幼い頃と同じだ。
 
でも幼い頃の僕はどうして
話さなかったのだろう。
今よりはずっと打ち明け
やすかっただろうに。
 
そして僕の記憶から全く変わって
いない人魚の姿が気になった。

君は昔のままだけど、
僕はずいぶん大きくなったんだよ。


僕は彼女に触れてみたいと思った。
水の中で、彼女の肌はきっと
凍えていることだろう。


仕事をするようになっても、
僕はこの祭りを心待ちにしていた。

 
春の大川も美しい。
 
秋の大川もすばらしい。

しかし夏の大川はいとおしいのだ。
 
その上、昨年のこともあり、
僕の胸はひときわ高鳴っていた。


今年は仕事が終わってから
会社の人たちと祭りに繰り出した。

いつもよりちょっと遅い時間だった。

祭りはまさにその盛りである。


同僚が、東京から来た女の子に、
祭りの説明をしていた。


「途中から学問の神様を奉るよう
になったけど、もともと天神さんって、
農民に雨をもたらす火雷神だったらしい」


「へぇ、だからこの“火”なんでしょうね」


その雷神という言葉が僕の耳をかすめた。

人魚が空を仰いて言った“龍神様”とは
雷神のことだろうか。


人混みをかき分けて天神橋を
渡っているうちに、
今年もまたお約束のように
連れとはぐれてしまった。

いや、さっきの天神祭と同じ様子をした
全く別の空間にいるという気がした。

まるで同僚たちが忽然と
姿を消したかのように思える。

さっきと同じ外観の別世界。
 
まわりの喧騒も心なしか
遠のいたような気がする。

まわりの人々には僕の姿は映っていない、
そんな気さえした。


・・・ちゃぽーん・・・


喧騒の中で響き渡る水音。
 
僕は思わず川辺に駆け寄り、
鉄柵に身を乗り出して大川を見渡した。


綿菓子を持って走る子供、
 
浴衣姿のカップル、
 
川を行き来する船・・・。

時が止まったかのようにそれらは
僕の目の前で黙り込み、
僕は水の音だけを聞いた。


そして水の中から現れた、
見覚えのある姿。
白い肌、燃える瞳。


僕は一直線に大川に飛び込んだ。
真夏とはいえ、
我ながら何て無茶をするのだろう。


一方、僕が後にした世界は、
僕の後ろでなりをひそめてしまった。
 
これは本当にいつもの天神祭なのだろうか。


 
そして僕は川の中で人魚をつかまえる。

彼女の肌はやっぱり冷たかった。


「君はいったい・・・」


僕らは去年出会った川下の
コンクリートに腰をおろしていた。

途中まで出かかった質問がのどに
つっかえてしまう。
 
彼女の豊な乳房に目がくらみ、
この世の者とは思えない白い肌に
息がつまり、
そして尾を時々見え隠れさせながら
水しぶきを光らせて
遊んでいる姿に言葉を失った。
 
目の前に突きつけられた現実。

でも、現実って一体何なんだろう?


「・・・どうしてここにいるの?」


僕の質問に人魚は鈴の鳴るような声で
答えてくれた。


「・・・遠い昔、龍神様に恋して、
この川に身を投げたんです・・・」


「龍神様って?」


「この土地を守っておられた神様です・・・
永遠に実らぬ恋だとわかっているのに・・・」


人魚は悲しそうに目を細めた。
篝火の炎を反射して、
その黒い瞳は燃えさかる
赤い炎そのものになる。


僕はその赤い瞳に何かを感じた。
心が、体が、強い何かでひっぱられ、
すごい勢いで時を
さかのぼっていくような感覚。
 
一方、人魚は遠い目をして、
そろそろ暗黒の深まった
夜空を見上げた。


「・・・ずいぶん長い間、
追い続けているんだけれど・・・
いまだに伝わらないこの想い・・・」


さみしい歌を唄うかのようにそう言うと、
彼女は、あっ、と声を上げた。


「龍神様、待ってください!」


そして、しなやかな肢体をくねらせ、
喜々として水の中に飛び込む。

空を見上げると、一陣の稲妻が
夜空の奥深くで炸裂した。


僕はあわてて再び人魚の後を追う。

しかし人魚が雷神の後を追うのと同じくらい、
僕が彼女の後を追うのは無理だった。


目が眩むような花火の光に気が付くと、
僕は大川のほとりに横たわっていた。

           続

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