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千尋と万尋(ちひろとまひろ)(小説)


ここは病院の小児病棟。


千尋と万尋は

お互いの仕切りカーテンから

顔を出している。

「なんで、男の子なのに、

あんた、万尋なの?」

「男でも女でもいい名前じゃないか」

小学3年生の松田千尋は、

左腕を骨折して入院している。

一方、小学1年生の山本万尋は

サッカーで右足を骨折して

入院している。

「でも、アニメでは千尋は女の子よ」

「だからって、なんで万尋は

女じゃなきゃいけないんだよ」

「・・・なんか、響きが、さ」

万尋は、フンッと腹を立てる。

「うちの母さんが、万里だから、

万の字を使った名前にされたんだよ」

万尋の言葉に、驚く千尋。

「うそ、うちのママ、千恵。

だから千の字を使ったらしいの」

「なんだ、お互い、

似たような事情じゃん」


千尋が入院してきたのは、

3日前。

友達と遊んでいて、

派手な転び方をして、

腕の骨を折った。

「運動神経、鈍いんじゃねーの」

そういう万尋が入院してきたのは、

5日前。

サッカーの試合中に、

相手選手ともみ合いになり、

複雑骨折したという。

「へーぇ、小1の子が、

もみ合いで複雑骨折?

なんかプロみたいなこと

言ってるー」


二人が口をきき始めたのは、

昨日の夕方からだった。

昼食後、隣のベッドで

うなされている千尋が気になり、

万尋がナースコールを押したのだ。

原因は、骨折による発熱で、

千尋は、解熱剤を注射されて、

すぐに楽になった。

その時、ナースが、

二人の名前に気が付いたのだ。

「千尋ちゃんと、万尋くん・・・、

姉弟・・・じゃないわよね。

苗字が違うし」

そこで互いの名前を知りあった

幼い二人は、いろいろと話し始めた。


「お前さ、」

そう言いかけた万尋を

千尋は制す。

「いきなり‘お前’呼ばわりはごめん。

私、あんたより2つも

お姉さんなのよ」

「・・・千尋さん?」

千尋はこそばそうな顔をした。

「それもいや」

「じゃあ、何て呼べばいいの?」

「うーん、松田千尋だからぁ・・・」

「家でなんて呼ばれてんの?」

「・・・ちーちゃん」

ガハハ、と豪快に笑う万尋。

「じゃあ、ちーねぇでいいか?

ちーママみたいだけど」

「あんた、なんか生意気。

本当に小1?」

千尋は自分より一回り

小さい万尋を不審な目で見る。

その様子をみて、

万尋はため息をついた。

「こんな性格だから、

足折られるんだよな。

とりあえず、ちーねぇ、よろしく。

オレは万尋のままでいいよ」

千尋は驚いて万尋を見る。

「足、折ったんじゃなくて、

折られたの?」

「それは、どっちとも言い難い。

わざとではなくても、

相手がオレを憎んで

阻止してきたから折れた」

「相手は同じ学年?」

「いや、年はバラバラ。

オレの足を狙ってきたのは、

年上のヤツだったけど」

「いくつの子よ?」

「さぁ、でもちーねぇより

背は高かったな」

小3で、すでに

140センチ以上ある千尋は驚く。

しかし、万尋はそれ以上、

サッカーの話題には触れず、

違う話しをし始めた。

「ちーねぇは、万尋が、

女の子っぽい名前だといったろ?」

千尋は、うなずく。

「でもね、ちーねぇが女の子で、

千のものを探し当てるんだとすると、

男のオレは万のものを探し尋ねるんだ」

チビの万尋の言葉に、

吹き出す千尋。

「なにを探し尋ねるの?」

「経験とか、未来とか」

相変わらず微笑みながら、

千尋は言う。

「万尋、そういうの、

アンチ・フェミニズムっていうから

気をつけなさい。

女の子に嫌われちゃうわよ」

「アンチ・フェ・・・?

フェニ・・・なんだよ、

もう一回言って」

「やだもーん」

「じゃあ、今後の人生、

オレがモテなかったら、

全部ちーねぇのせいだからな」

「わけわかりませ~ん」


二人は、病室で、

そんな会話を楽しんでいた。

「腕と足、不自由だと

どっちが困るかな?」

万尋が言いだした問題に、

千尋は答える。

「手に決まってるじゃん!

足だったら座ってさえいれば

何でもできるのよ。

トイレだって松葉杖で行ける。

でも、手は何をするにも不便!

まぁ、私は左腕骨折だったから、

字も書けるし、お箸も使えるけど」


それから間もなく、

夕ご飯も終わり、

千尋はベッドから立ち上がり

病室の外のトイレに行こうとしていた。

だが、隣の万尋が、

いい加減にベッドからはみ出して

立てかけてあった松葉杖につまずき、

体勢を崩した。

「あ、ちーねぇ!」

駆け付けて、倒れるのを

ふさぎようもなく、

万尋の手は、千尋に届かなかった。

足さえ怪我していなければ、

運動神経のよい万尋なら、

少なくても、千尋の下敷きになって

クッション代わりができただろう。

しかし、それは叶わず、

万尋の目の前で、

千尋は前のめりに倒れた。

しかも片手が効かない

状態だったので、顔面を

思い切り床にぶつけて、

鼻血が吹き出し、

前歯も何本かヒビが入った。

子供の顔に戻って泣き出した

千尋に万尋ができることは、

ナースコールを押すくらいだった。


後になって、万尋は、

あれほど自分を無力だったと

感じたことはないという。

「目の前で、自分が

ほっぽらかしていた松葉杖に

つまずいて、片手の自由のきかない子が、

前につんのめって倒れたんだぜ」

「・・・つんのめって、って。

あんた、笑いのネタにしようと

してるでしょ」


中学生になった千尋と万尋は、

また、中3と中1として、

同じ学校で出会った。

万尋は、あの頃から

ずいぶんと大きくなったが、

まだまだこれから成長ざかりなのだろう。

日に日に制服が小さくなってくる。

骨折にもこりず、

中学でもサッカー部に入った。

一方、千尋はすっかり

大人っぽくなり、かつての年の差より、

今の二人にはかなり格差があった。

「まぁ、ちーねぇは、

そこで成長が止まり、

オレはこれから、

ぐんぐん成長する。

たぶん、大学生くらいになれば、

もう年の差なんて気にならない」

「無理よ、大学生じゃ。

たぶん、30は過ぎなきゃ・・・」

万尋は大笑いする。

「おやじとおふくろぐらいまで、

ムリ?」

「ムリって、何がよ」

万尋は、いたずらっぽく笑う。

「ちーねぇを、千尋って呼ぶの」

千尋は思ってもみなかったボールを

投げられ、思わず速球で打ち返す。

「一生、ムリ!」

お姉さんぶっていた千尋が、

自分の目の前で転んで、

子供のように泣き出したとき。

あの時から万尋は、彼女を‘千尋’と

呼びたかったのだということを胸にしまう。

そして、まだ12歳の自分。

「鶴は千年、亀は万年・・・」

ぼそりとつぶやく万尋に、

「はぁ?」

と問い正す、千尋。

きれいなお姉さんになったもんだ、

と思う。

前歯にヒビが入ったのに。

万尋は、楽しそうに笑う。

「お互い、これから、

まだまだ先は長いね。

あの病院で出会ってから、

まだ6年。

鶴にも亀にもなれそうにないね」

「なってたまるもんですか」

千尋の冷たいツッコミが

うれしくて、万尋は愉快そうに笑った。

              了


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