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黄色いバラ(小説)

「おい、ホァンローズ、
なんでお前の名前は長いんだよ」

敦也は、放課後、同級生の彼女を
いつものようにからかっていた。

「だから、苗字で呼べばいいじゃない」

「苗字ってどっち?」

10歳の敦也たちにとって、
ローズの存在は謎が多かった。

「先生に聞けばいいじゃない、
バーカ!」

気の強いローズは、
他の女友達といっしょに帰って行った。

そばで聞いていたサトシが
呆れて言う。

「敦也、ちょっかいの出し方が
子供っぽすぎる」

「ちょっかいって、オレ、別に・・・」

そう言いかけた敦也を、
トオルは鼻で笑う。

「ローズは敦也なんかに興味ないよ」

彼女を呼び捨てにするトオルを、
敦也はにらんだ。

「軽々しく名前で呼ぶなよ」

「ほーら、苗字と名前、
わかってるくせに、
ガキっぽいからかい方して」

敦也はそう言ったサトシに、
「うるさい!」と、
体当たりを食らわした。

そんなサトシも今では大学教授になり、
妻子とアメリカに住んでいる。

敦也自身も、商社マンとして、
バリバリ働いてきた。
上の息子はもう来年から高校生だ。

 
35年前のことをふっと思い出して、
敦也はトオルのことを考える。
トオルは本当にローズのことが
好きだったんだろうか。


Rose Huang は、父親が中国人で、
母親がイギリス人と日本人のハーフで、
つまりはクォーターだった。
父親の仕事の都合で日本で生まれ、
日本で育った。

 
父の苗字、黄(ホァン)は、
学校の名簿では「き」と発音されたが、
誰も彼女を「き」さんとも
「き・ローズ」さんとも呼ばなかった。

先生が公式に彼女を何と
呼んでいたかは憶えていないが、
全体的にホァン・ローズか、
ローズと呼ばれていた。

 
日本に住んでいるのに、
日本語名がないのは、
当時不便だったに違いない。


高校生くらいになってから、
地域のうわさで聞いたが、
ローズの母親は、バラの花を
娘の名前につけたかったらしい。
が、「バラ」はおかしい。
どうして桜やユリやつつじは
名前としてかわいいのに、
バラはかわいい響きではないのか。

今考えれば、日本古来の
花かどうかの違いで、
たとえば、チューリップだって、
和名はないのだが、母親は、
バラの花にこだわりがあったらしい。
それは英国紋章がバラだとか
そういったプライドも関わりが
あるのかもしれない。

 
とにかく、ローズと名付けられた
その少女は、母方のイギリスの血を
濃く受け継いで、
お人形のようにかわいい子だった。
ブラウンの巻き毛に、
白い肌、細くて長い手足、
日本人離れした高い位置にあるウェスト、
そしてキラキラ輝く大きなブラウンの瞳。

モデルだってできたかもしれないが、
厳格な父が、許さなかったのだという。

 
敦也とサトシは、同じ高校へ上がり、
二人ともよく学び、よく遊び、
大学への進学を決めた。

が、トオルは、不良仲間と関わるようになり、
だんだん学校にこなくなり、
高校を中退してしまった。

そんなトオルのうわさを聞いたのは
10年ほど前の高校の同窓会でのことだった。
10代で悪いことばかりしていたトオルは
20代半ばで、祖父母のいる田舎に引っ越し、
それから農業を引き継いでいるという話だった。

 
一方、中学校から、
インターナショナル・スクールに
通い始めたローズのうわさは、
今更知る由もなかった。

 
敦也は、10歳の頃を思い出す。


体育の授業が終わり、
教室に向かうころ、
ローズが友達の肩を借りながら、
保健室に入っていった。
どうも体育の時間にねんざしたらしい。
かなり気になったが、
敦也はそのまま教室に帰った。

その日、清掃当番と、
図書室当番が重なり、
敦也はめずらしく、遅めに
学校を出ることになった。

下駄箱のところに行くと、
ローズが家の人の迎えを
待っているのか、
廊下の隅で、先生が用意した
椅子に腰かけていた。
足首には、やはり湿布と包帯が
巻かれている。

 
敦也が一歩踏み出そうとしたとき、
ローズが、フラフラと立ち上がり、
物陰に、誰かいるのがわかった。
その時、ローズが誰かの唇にキスした。
軽い挨拶のようなキス。
しかし小学校ではありえないようなキス。

敦也は心臓がバコバコいって、
思わず、階段側に隠れた。

物陰に立っていたのはなんと、
トオルだった。
トオルはやさしくローズを椅子に
座らせると何か言った。
ローズの「Bye・・・」の声だけが
聞こえた。

トオルが帰るのと同時に、
ローズの父親らしき人が、
彼女を迎えにきた。
ローズは父の頬にも軽くキスしていたが、
さっきのキスとは違うものだった。

敦也は、トオルの後を追うでもなく、
しばらくその場を動けないでいた。

 
わずか10歳にして、ローズとトオルは
早熟すぎたのかもしれない。


敦也はその後、トオルに真相を
尋ねることができないまま、
中学・高校へと進み、
サトシにもこのことは告げず、時を過ごしてきた。

 
そして、思えば、自分の下の娘のメイサは
今年で10歳になる。
昔だって、あんなことがあったのだから、
今の子供はどんな生活をしているのだろう。

メイサは、結婚前、キャビンアテンダントを
していた妻に良く似て、美しい娘だった。

もうすでに、トオルのような男子の唇を
奪っているなどと想像だにしたくなかった。

そんなメイサが、ある日、
妻と一緒に買い物に行って、
いつものように、
山ほどの衣服や靴やカバンを
持ちかえってきた。

敦也が、美しくて家事も
子育ても上手な妻に、
ただひとつ文句を言うとしたら、
彼女のお金使いの荒さかもしれない。
しかし、それは一度も敦也の収入を
越えたことはなく、それも計算の
うちなのだと思うと、
逆に頭が下がる思いである。

「パパ、今日ね、ママと、
こんなもの買ってきたの」

いつものように、戦利品を、
父に自慢する娘を見て、
敦也は、ハッとした。

メイサの瞳が、あの、
懐かしい色で輝いている。

「メイサ、その瞳・・・」

父のうろたえようが嬉しかったのか、
メイサは輝くような笑顔で答えた。

「ママと相談して、今日はこれで
過ごしていいってことになったの」

メイサが振り向いた妻の瞳も
ブラウンの大きな瞳だった。

「カラーコンタクト、どう?
メイサは、せめて、高校生に
なってからだけど。
二人で、試着したのよ、キレイでしょ?
もったいないから今日だけは、
このままでいいでしょ、あなた?」

妻の言葉と、娘の瞳が、
敦也を、35年前のあの頃に引き戻した。

かわいい娘、ローズ。
ブラウンの瞳。
そして、決して手にいれることのなかった
ブラウンアイで、最愛の妻と娘に
見つめられるこの瞬間。

メイサはローズとなり、
甘い言葉で自分を誘惑する妻のが、
あの頃のローズとトオルとそして、
物陰からのぞいていた自分と重なり、
敦也は軽い眩暈を感じる。

ああ、自分はこんなに、
ホァンローズを愛していたのかと。

妻と娘を足したくらいに、
ホァンローズを愛していたのだと。

「・・・黄色いバラ、か」

敦也のつぶやきに、
メイサは首をかしげる。

「何、それ?バラのお花?」

「・・・いや、メイサとママのことだよ。
まるであの頃のお花のように、
きれいで大切で・・・」

妻はすでに会話の中にはおらず、
敦也とメイサの言葉が続く。

「パパは、そのお花、今でも大切?」

まるで、あの頃の、
ホァン・ローズが、
語りかけているようだった。
敦也は目を細めて、昔のローズと
目の前にいるメイサを比べる。

「・・・そうだな、大切だけど、
今のパパにはメイサとママの方が大切だな」

メイサは、ローズのような笑顔で
深くうなずいた。

                    
              了

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