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[随筆・俳句] 曼荼羅や 降るは供に 小夜時雨

冬のロンドンにて

 落陽が窮屈な灰色の空から失せ、暗澹たる寒さに包まれた石造りの街並みに鐘の余韻が残る頃、テムズ川のほとりに悠々と屹立する観覧車に私は心惹かれた。そぞろ歩きの市内観光に刺激を与えたかったのもあるが、夜陰を背景に光明を放つ円環から、この荘重な街並みに似つかわしくない、どこか神秘的な佇まいを感じ、その正体を確かめてみたくなったのだ。

 日中に遠目から見た観覧車は、静止した一つの象牙細工の様であった。現代的なデザインが周囲の建造物との親和性を持たないという声もあるが、街角から見たそれは、精巧な装飾を特徴とするゴシック調の建物の中に、遠近法的によく擬態していたように思う。しかし、光輪の縁のみが照らし出され、その内側は軸受のみを残して空虚である夜の様は、時代的なものではない、もっと私の感性の奥底に潜んでいる何かを呼び止めたのだ。

 河岸の柵に凭れ、対岸に聳える観覧車の姿を茫と眺めていた私は、初めはキリスト教におけるハローを連想したが、抱えていた違和感が解消されるには至らなかった。
「考えても分からない時は動くしかない。人間は脚で考えるのだ。」
そう思い立つと、私は乗り場に向かうため、橋を渡り、観覧車を縦に見つつ川沿いを下った。

 夜陰を背にゆっくりと廻り続ける観覧車の様子が目近になるにつれ、私は川風が日中に比べ、冷やかに水気を帯びていることを肌で感じていた。通り雨も近いのだ。折畳傘を失念していた私は乗車券を買うべく列に急いだが、天気のせいか、繁忙期を外していたからか、さして時間を掛けることなく購入することができ、そのままゴンドラ乗り場まで脚を運んだ。

 客を乗せる時も観覧車の廻転が緩むことはない。流線を描く硝子を全面に貼り付けた楕円体のゴンドラは、その広々とした室内の中央に長椅子を配置していた。人は少なく暖房も効いていて快適な室内であったが、ようやく椅子に腰を下ろし、再び脳みそで考え始めた私には奇妙な感覚が目覚めていた。遠目には識別し得なかった、観覧車の軸から上へ下へと互いに連関して一円を支える細い輻が伸びている様が、その中心部から最も遠くに居る者達を泰然と廻していく様が、客室の中にいる私の目には映っていた。観覧車の軸に対し、段々と昇り続ける者の対象点には降り続ける者が居ることが、そして、それが斉しく連繋して起こっていく様が知覚できた。あれほど象徴的であった観覧車の外観が、その内側に居ることでより堅固に、より鮮明に、一つの事象として私の意識に実在するようになったのだ。

 嘱目の風景や事物は、観覧車の廻転によって、変容していく。上昇が頂に達する頃、雨がはっきりとした形を持って降り始めた。硝子越しに見る夜の雨は美しかった。降りゆく雨粒は繊細且つ重厚に飾られた史跡を霞め、硝子を滴り落ちる雫と共に都会の街灯りをちらちらと反射させていた。次第に淡くなる夜の景色は、微光を放つ雨露の一粒一粒によって照らし出されている様であり、窓硝子に弾かれる柔らかな雨音は、夜空全体にも温かく響いている様に見えた。そんなことを感じている折にも、観覧車はゆっくりと、しかし速度を変えることなく廻り続け、やがてゴンドラは下降を始める。

 雨は一時的なもので、直ぐに勢いが弱まり始めた。止ることのない廻転の内より臨む雨は只々美しかった。その時分になって私はようやく、私自身の奥底に潜み、私の意識を観覧車に呼び止めたものの正体が分かった気がしたのだ。
「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観」
どこで知ったのかも分からない金剛般若経の一節が口を衝いて出た。相変わらず、観覧車の光り廻り続ける外観が意識の中にはあった。私は観覧車に曼荼羅を見出していたのだ。

 観覧車を降りる頃には雨は止んでいた。凛然とした寒さを肺一杯に染み渡らせながら、私は再び市内見物に向けて歩き始めた。通り雨がまた降るとも限らなかったが、この時ばかりは雨に打たれることも厭わない気分であった。折角の旅なのだから、寒さも雨も、また一興に思えた。陽光の差さない夜空は全ての観念を黒に統一するからだろうか、街の中心部は日中より活気があるように見えた。一通り街中を逍遥し終えると、テムズ川の対岸にある宿に向かうべく、この日で四度目となるウェストミンスター橋まで戻ってきた。ふと向こう岸に目をやると、観覧車は既に営業時間を終え、止まっていた。

曼荼羅や 降るは供に 小夜時雨

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