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第二の青春を輝かせる
「お母さんも初めてみたら、楽しいかもよ」
そう言って私にnoteのアプリを教えてくれたは娘だった。
アカウントの作り方をLINEを通して教えもらった。
名前は、noteのアカウントを作った日、昔買った
「花日記」という本の私がnoteのアカウントを作った日の花の名前にした。悩みに悩んでアカウント名を決めた。決め手は、花の形がユニークで、花言葉が、「洞察力」物事の本質を見抜く。
良い。これに決めた、ピーんとくるものがあった。
私は、書く事は好きだけど得意ではない。でもワクワクしてきた。
中学生の頃、可愛いくてよく夏休みに遊んだ
いとこの女の子が脳腫瘍で亡くなった。
彼女が入院した時、死んでしまうとわかり、
お風呂場で隠れて泣いた。千羽作りをしたが渡せず、お葬式では涙が止まらなかった。
彼女が亡くなった後、私の愛読書「アンネの日記」を真似してH美ちゃんへとの書き出しで、
毎日日記をつけ始めた。
天国にいるH美ちゃんに嬉しかった事、悔しかったこと等、書き続けた。
高校生の時の日記は、詩の形に変わった。
私の作った詩と、エレクトーンが上手いと仲良しの友達で曲を作っていた。
その中の1曲が、当時NHKで、放送していた
「あなたのメロディー」という番組に採用され、
TVに出た。(40数年前)私の歳、わかちゃうかな。
出演の手紙が来た時は、びっくり、飛び上がって喜んだ。
「何度目かの春」私の失恋の経験をもとにして
東京に行ってしまった彼が何度目かの春に帰ってくるのを駅でワクワクしながら待つという歌だった。(木綿のハンカチーフ)に似てたけど、
私たちの歌の方が発表は、早かったかも。
思い過ごしかな。
味をしめた私は、アンパンでお馴染みのやなせたかしさんの発行していた「詩とメルヘン」にずっと投稿していた。
採用はされず、でも短大時代まで続けていた。
元夫との結婚は、お互い読書好きで、好みの作家がにていたからだった。
偶然にも彼はギターで曲をつくり、私は詩を書き続けていた。
2人で作った歌を小さな喫茶店で、歌ったこともある。(ほとんどお客さんは友達、またその友達だった)
日記は、書き続けていた。
娘の幼い頃は中断したけれど。
育児日記はつけてなかったなぁ〜反省。
本を読んで感想をノートに書いたり、TSUTAYAで借りたDVDの感想を書いたり、Netflixで観たドラマの感想を今は書いたりしている。
日記も書いている。
離婚後20冊にもなっている。
書くことは、心が解き放される。
誰にも見せないノートの中の私は自由だ。
書く事が好き、得意ではないけれども。
発表の場が欲しくなった。
そんな時出会えたnoteだ。
皆さんのスキ❤️は、私を励ましてくれる。
ありがとうございます😊
50代から自分の夢を見つけたいと、
NHKで昨日、放送されていた。
80代の女性が70代で出会えた使用済み切手のちぎり絵が素晴らしかった。
やっとす自分の夢、好きな事が見つけられた。
死ぬまで続けたいと言われていた。
好きな事、夢は、見つけられる。
私はnoteと出会えた。
これからも、感じた事、子育ての事、教師だった頃の事、病氣の事、etcを書いていきたい
第二の青春は、noteから始める。
ワクワクするこの気持ち持ち続けていこう。
自己紹介文のつもりが、なんだか逸れてしまい
ました。
これからも宜しくお願いします。
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