見出し画像

孫と会えるかな

「しばらく連絡して来ないでください」と娘からLINEが来た。
やっぱりなと私は思った。また、私が娘を怒らせたからだ。
 
2023年2月、もうすぐ初孫ができる。
嬉しくて楽しみでたまらないのに。

娘が無事、予定の病院でジュニ君を出産する事を毎日祈っている。
初孫をジュニ君と胎名をつけて呼んでいる。

それはジュニ君と会うための第一歩を踏み出したことから始まった。

1月の中旬から、10日間程、娘夫婦の家に泊まりに行った。産後、娘が退院してきたら、お手伝いをする為、家電の使い方や、わんちゃんの世話など諸々教えてもらうためだ。

私の性格は、血液型A型なのに大雑把、洗い物、お風呂の掃除、部屋の掃除といい加減だ。
まぁ、良い加減とも私はうけとっている。

かたや娘は、掃除の仕事をしていたのでプロだ。
娘の旦那も、綺麗ずき。私のやり方では「ごめんなさい」と言うしかない。

何がきっかけだったか、喧嘩のきっかけは忘れたが、娘曰く、自分は産んでもらいたいと思ってなかった。
親らしいことをしてもらってない言う。

確かに、私は、娘が幼稚園の年長の時から小学2年生まで、鬱病で入退院をしていた。
娘にとっては、突然、母親がいなくなったことは
ショックだったと思う。 

小学生の頃の娘の記憶では、私に80点をとっても褒めてもらえなかったという。反省だなぁ。
「すごいね〜80点、頑張ってたものね」 
と、小学校の教員をしていた私は担任していた子には言えたのにだ。

中学生の頃、テストは必ず見せるよう言っていた。そして娘が学年で3位になった時は、褒めた。でも、それは、私が他のお母さんたちから、
「すごいね」と
と言われて気持ちが良かったから。
娘にとっては成績が良くないと自分は価値がないと思ったと言った。

娘が、高校生の頃、不登校になった時、無理に学校に行かせようとした。最終的には公立高校を辞め、通信制高校に転校した。
入学時のお金は、父親が払ったが、その後かかった費用は、娘がアルバイトをして払い卒業した。

大学進学をした娘は奨学金をもらいながらアルバイトもしていた。父親の実家から、大学へと通っていた。

娘にはお金の苦労をかけてばかりで、申し訳ないと思っている。

そして娘の大学進学を機にDV、モラハラ夫と私は離婚した。私は、躁鬱病のため今でも体調を崩す時がある。
娘にとっては母親の住んでいるところが実家にしてあげたかったが、娘曰く実家はないと言う。

ともかく娘に色々言われすぎて私の方がキレてしまった。

「あー母は、何もしてあげられなかったよ。ごめんなさいね。さそがしあなたは立派な母親になり、ジュニちゃんは、幸せだろうね。産んでもらってありがとうって言うでしょね〜」
と睨んで捲し立てた。

娘の顔色が変わり、強ばる。
やってしまった。まただ。
キレたのは今回がはじめてではない。
もう反省しても遅い。口から酷い言葉が次から次へと出てしまった。

私は、その夜は、眠れずイライラ。
翌朝、
「おはよう」と私
「おはよう」と娘と旦那さん

普通に挨拶して、旦那さんを2人で送り出した。
私は大丈夫だなと浅はかにも思っていた。
娘の用意してくれた朝食を食べて、明るく言った。

「次は出産して、退院したら来るね」
と何事もなかったかのように駅まで歩き自宅へと帰ってきた。

そしてあの「もう連絡してくないでください」のLINEだ。

ごめんなさいの返信をしても、もう遅い。
母とは距離をおきたいし、産後、退院してからも世話にこなくて良いと。
旦那さんが、育休を取るから大丈夫、心配しないでくださいの返信も来た。

かなり怒らせてしまった。
ジュニちゃんに会える日は来るのだろか。
もう、こうなったらゆっくり気長に待つことにした。

きっと娘は初めての出産で不安で一杯だったのだろう。だから、母親の私には遠慮なくぶつかってきたに違いない。私に心の余裕がなかった。

笑顔で待とう。
ジュニちゃんが何という名前になるか、楽しみにしている。いつか、必ず会えるよね。きっとね。

最後まで読んでくださった皆様
ありがとうございます😊
皆様に感謝です。愚痴ってたのにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?