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「自分のせいで苦しんでほしい」と願う人が本当に怯えるもの

依存体質の人の特徴に、「自分がいないせいで相手はつらい思いをするはずだ」と思い込む一面がある。

試し行為を散々やって翻弄される相手を見てきた人ほど、我慢が尽きて「もういい」「関わらないで」と言って離れていかれた後でこう”願う”。

「そうは言ってもどうせ自分のことを忘れられないだろう」
「あんな態度は今だけ、どうせ未練があってまたこちらに向かってくるに違いない」
「あんなことを言っても苦しむのはどうせ向こう」

「どうせ」という斜め上から相手の状態を見る感覚、「どんな態度をこっちに見せていてもいずれ苦しむのはそちらなのだ」の開き直りは、言葉にしなくても周辺の言い方でわかる。

・「だって、今までもそうだったんですよ。
来週あたりにまた連絡が来そう、困ったなぁ」
・「俺は別にこのままでもいいんですけどね、今までも後で泣きついてきたのは向こうだし、大変だろうなって思うんですよね。
俺がいないと」
・「今までこんなことを言っていたんですよ。
それで離れていっても一時しのぎですよね、どうせまた苦しくなって戻ってくるのに」

これらは実際に依存体質だなぁと感じる人が口にした「試し行為を続ける自分を嫌って離れた相手についての感想」で、”繰り返した”が特徴だ。

自分に愛想を尽かして一度は離れた相手がまた戻ってくる、それを目の当たりにしているから”次”が来ても「どうせまた関わってくる」と思いこんでいるのだ。

で、のんきに”次の”連絡を待っていたけど待てど暮せど音信不通、

「え、本当に離れていったの?」

と不穏な予想を感じると一気に焦燥に襲われ、「まさか」「そんなはずはない」「きっと悩んでいるはず」と相手の状態を自分の都合のいいように決めつける。

連絡が途絶えて久しくなればこちらからLINEするなんてことは勇気がないからできず、後はもう「ひたすらつらさに耐えて相手からのコンタクトを待つしかない」のが依存体質の人の末路だ。本当によく見る。

自分は”今まで通りに”受け身でいても相手のほうから関心を向けてくる、その勝手に設定した前提が壊れたと知ったとき、依存体質の人は

「自分がいないせいで相手はつらい思いをするはずだ」

と願う。

自分なしで幸せに過ごす相手を想像したくない。
もう別の人間とセックスしている現実を想像したくない。
相手のなかに自分がいない事実を想像したくない。

己の振る舞いがダメだったせいで関係はとっくの昔に切れているのに、なぜかまだ続けられるもの、と思い込むのは願望でしかない。

自分からは絶対に連絡しないのは相手に心を開いていない証拠なんだけど、それには気づかずひたすら「こちらに関わりたくても我慢している相手の姿」を確認したがる。

こういう人が次にするのが「SNSのチェック」「周囲の人への聞き込み」で、相手のブログなどに日参しては自分に言及している言葉を探し、共通の知り合いに「そういえばさぁ」と軽い調子で相手の名前を出して消息を知りたがる。

知りたいのは相手がどう過ごしているかではなく、「自分に関心を向けているかどうか」のみであり、すでに新しい恋人や親密な関係の人がいる、とつかんだ段階で一気に愛情を捨てようとする人も多い。

「相手が自分を好きでいたからこちらも好意を向けていた」のが依存体質の人の恋愛で、相手のなかに自分はもういない、とわかると猛烈な喪失感に襲われ、そのショックから逃げるためにすべての関心をなかったことにしたいのだ。

自己完結の恋愛は「愛されない自分」「未練がましい自分」を見たくないからで、喪失感の反動で「今すぐ連絡したい」「会いに行きたい」の衝動に駆られることも少なくないが、その先にある「ふたたび傷つけられる己の姿」を実感すると動けない。

そのときに思い出すのが「自分の理想通りに振る舞わない相手をいかに責めてきたか」「満たされずにいじけてあえて相手を傷つける態度を見せてすがってくるのを待ったか」など、「相手の愛情を何度も踏みにじってきた自分」を目の前にするから「好きだなんて二度と言われない現実」もまたよくわかる。

振る舞いの結果が己に返る、この現実を知らずに相手の愛情を大事にしないから、「本当に苦しむのは相手ではなく自分自身」になり、その後長い期間孤独に苛まれる。

「自分ばかりが愛情を向けること」に耐えきれず、こちらに無関心な相手の状態を受け入れることができず、

「自分がいないせいで相手はつらい思いをするはずだ」

と思い込むことで痛みから逃げるのだ。

この未練を年単位で引きずる人も本当に多くて、その後ほかの人に目が向いても気持ちの切り替えができていないから最初から依存させてもらうこと全開で関わってしまい、手ひどく振られるなんて話もよく聞く。

人と向き合うことがそもそも「こちらを受け入れているかどうか」で決まるので、ちょっとした態度でも過剰に「こっちに気があるに違いない」と受け取ってしまい、すぐに”以前と同じ”試し行為をに走る。

未練があるが頑なに認めようとせず、「この人でうまくいったから」とほかの人にも無意識でやってしまうことが、本当に痛々しいなと思う。

「自分が消えても苦しまない人」の存在こそ、依存体質の人には絶望になる。

究極はこれで、己の価値をどこまでも他人任せにしているのが、幸せな恋愛ができない原因なのだろうなぁと。

長年”俺につきまとっていた”女性が離れていき、「せいせいした」と言いながらその女性の話題を不意に出すある男性を見ていて思ったことが上に書いた話。

私に「何か困っていることはない?」という体で連絡してきて、会話の内容がいつの間にか近況からその女性の現在について流れることに気が付き、「ああ全然会ってないわ」と答えると白けたように早々に切る姿に窮屈さを覚える。

実はその女性とはたまにLINEで話すくらいの仲なのだが、これをそのまま言うと絶対に次は会話の内容を聞き出そうとすることが容易に想像できて、私がストレスなのでやめた。

未練は見抜かれるし、誰かを利用することに躊躇がない姿は焦りを勘ぐられるのだ。

正面から「○○のことだけど」と口にできない臆病さ、他人を使ってでも情報を得ようとする執着心、己こそ関心が深いのに「自分がいなくても困らない相手」を見ることが恐ろしいから安全地帯から小石を投げるやり方しか選べない。

こうやって他人と対等に関われない姿が損を招く。

「自分のせいで苦しんでほしい」と願う人は、「自分が消えても苦しまない人の存在」にこそ怯えるって話。

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