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”動かなければ成功はない代わりに失敗もしない孤独”の居心地のよさ

40代なかばまでまともに女性と付き合ったことがなく、好きになってくれた女性とも少しの諍いに耐えられずみずから関係を断ち、誰を好きになっても中途半端な関わりしかできずに孤独に過ごす男性がいた。

この男性から「相談がある」と言われ、話を聞いた。

「好きな女性ができたんだけど、今までの自分じゃダメだから変わりたい」

初めて、男性の口から変化を求める発言が出て、たいそう驚いたが嬉しかった。

うんうんそうだね、と意気込んで話を聞いてみると、好きになったのは彼が参加しているサークルの先生で、LINEのIDを交換して、趣味の話などを楽しめるくらいの距離感にはなっているそうだ。

それは良かった、少なくとも自己紹介から始めなければいけないようなつながりではなく、これからいかに彼女と距離を縮めていくか、を考えないとね、と話した。

彼の相談とは、

「まず、服装を変えてダイエットもして、外見を今より良くしたい。
それと、人とコミュニケーションを取れるようになりたいんだけど、俺の考え間違ってる?」

というものだった。

彼は、内向的な性格で人と打ち解けることが難しく、サークル内でも誰とも話せずにいわゆる「浮いた存在」になってしまっているそうだ。

自分から声をかけたり挨拶をしたり、というのがなかなかできないらしく、その理由を尋ねると

「拒絶されるのが怖いんだ」

と言う。

聞けば、子どもの頃に周囲から疎まれた経験があり、それを今も引きずっていて、自分から話しかけるのがすごく怖い、と。

大人になっても「拒まれる自分」を乗り越える機会を得られずにここまできてしまい、とにかく「話しかけられるのを待つ」ことが当たり前になってしまったらしい。

今までどこにいてもそんな感じで誰とも深い関係が築けず、彼には親しいといえる友人も、気軽に食事を誘える女友達もいない。

今の問題は、その自分を見た先生が”気を使うように”話しかけてくることで、こんな自分ではいい印象を持たれないし、何とかしたい、と。

私は、

「挨拶も、いざやろうとすると緊張するし勇気がいるよねぇ。
でも、その姿を見てまわりの人も関わろうとするだろうし、関心を持ってもらえるよ」

と言った。

彼は、「時間をかけて彼女と仲良くなりたい」「まずは今の自分を変えないと距離も縮められない」「彼氏がいるかどうかも今の状態じゃ聞けない」と言っていて、「LINEではどんな話をしているの?」と訊くとほとんどサークルの話で個人的な話題はなく、まだまだ敬語を使っての会話になっているそうだ。

プライベートな話題を出せないのは、「どう訊けばいいかわからない」、要はどこまで踏み込んでいいか自信がないから、どうしても”彼女のテリトリー”の話題が中心になる。

彼は、この人の前に好きになった女性のとき、同じくLINEでやり取りできる間柄になってからも女性の仕事の話やわずかな趣味の話ばかり繰り返していて自分のことをほとんど話せず、距離はまったく縮まらないまま、最後は女性から敬遠されて終わっている。

「同じことを繰り返したらアカンで。
最初はサークルの話でも、そこから何とかお互いの情報を出し合えるような流れにして、好きなものとか共通点を見つけないとね」

と私は言った。

が、みずから「俺には成功体験がないから」と言う彼は、その”流れ”すらどう作ればいいのかわからない。ヘタに切り出して拒否されたら、嫌な対応をされたら、とどうしてもそちらに意識が向いてしまう。

しばらく話をしていて、私は気になったことを尋ねた。

「ねぇ、聞きたいのだけど、あなたは今の自分が好き?」

すると、しばらく黙ったあとで、彼は

「好き、というのとは違うけど、自分を大事にしたいとは思う」

とぼそっと答えた。

それはすごくいい考えだね、そうだね、と同意した。「自分をないがしろにしないことが自分を愛すること」と思っている私の気持ちと一致するからだ。

彼には、この年までまともに女性と付き合ったことがないのが大きなコンプレックスになっており、ほかにも体型や身長、年収など「他人より劣っている自分」への劣等感が深く根を張っている。

だから、今まで女性に関心を向けられても待つ一辺倒で、先に女性の好意を見なければ気持ちを見せられないような関わり方ばかりしていた。

「他人に愛されることで自分には価値があると思える」を無意識に抱えている彼は、失敗を重ねるたびに自信を失い、自尊心を育てられず、内に内にこもるようになり、自分から行動することを諦めていた。

そうなってしまった自分について、原因が自分を愛せないことにあるのだと、彼はわずかでも気がついたのかもしれない。

が、自己肯定感について話を続けたとき、彼がこんな言葉を吐いた。

「動かなければ、成功はない代わりに失敗もない。
それが居心地がいい」

居心地がいいって……と思わず息をのんだ。

「でもひとりぼっちだよね?」

「そうだよ、平穏を手に入れたけど、まわりには誰もいない。
でも、それを受け入れるんだ。
一人である自分を受け入れて、それなりに生きていきましょうって」

淡々と彼は話すが、他人との関わりをやめた世界にいるのに、好きな人はできるしうまくいきたいと思ってしまう。その矛盾は何なんだ。

一人を受け入れていないから、好きな人と結ばれることを望むんじゃないか。

昔、私は彼に「安全地帯から小石を投げたって、相手には届かないよ」と言ったことがある。

傷つくことを恐れるくせに、自分の存在をアピールすることはやめられない。そして相手がこちらを見るのをひたすら待つ。それほど人との関わりを欲していながら、刺激のない毎日を居心地のいいものと思うなんて、その矛盾をおかしいと思わないのはどうしてなのか。

どうして、他人を自分の都合よく存在させようとするのか。

彼は他罰的な人間だった。せっかく距離が近づいた女性を、自分が望む100%で愛してくれないからと平気で歩み寄りを拒絶し、簡単にLINEや電話をブロックして遠ざけた。それらはすべて「俺を傷つける彼女が悪い」となっていて、そんな話を聞くたびに私はめまいを覚えた。

その彼が、「動かなければ、成功はない代わりに失敗もない。それが居心地がいい」「負け戦はしないんだ」と口にする彼が、今度は

「理想の自分に近づく努力をしたいんだ」
「嫌いな自分と理想の自分の乖離に耐えられない」
「乖離があるから自分を好きになれない」
「でも、嫌いだからといって自分をないがしろにしていいわけじゃない」
「どうしても自己肯定のできない人は、たたかう相手が理想の自分ではなく他人なのだろう」
「自分のセールスポイントがあったほうがいいに決まっている」

と、まるで「教科書に書かれていたことを覚えてきた」ようなセリフを吐くことに、私は違和感を覚えた。

「コンプレックスは嫌いですか?」と尋ねると「嫌いじゃない」。
「理想の自分でない自分は嫌いですか?」と尋ねると「嫌いじゃない」。

矛盾。

まるで、「こう答えるのが正解」を口にする彼の言葉を聞きながら、私は言った。

「じゃあ、どうして自分が好きだと言えないんですか?」

彼は黙った。それから、

「自分を好きになったことがないから、その感覚がわからない」

と口ごもりながら言った。

「……」

それが実感なのだろう。おそらく、何かで自己肯定感について情報を得たのかもしれないが、それを芯からは理解しておらず、「こうするべきだ」と思いこんで動こうとしているが、結局は自分を愛する姿勢については「わからない」ままなのだ。

それでも、「自分をないがしろにしないこと」と理屈で受け取っていることを、信じたいと思った。誰かを傷つけそうになったとき、うまくいかない現実を相手のせいにしたくなったとき、それが自分をないがしろにすることなのだと、どうか気づいてほしいと思いながら。

成功も失敗もない孤独を「居心地のいいもの」と甘んじてきた彼が、これじゃダメなのだと立ち上がったとき、現実で受ける痛みは相当つらいかもしれない。でもそれが他人と交わることであり、感情の摩擦は避けられないし、自分の都合よく存在してくれる他人などいない。

「まずはみんなへの挨拶からだね」と言いながら、彼がコミュニケーションで小さな成功体験を重ねていければいいなと思った。諦めないこと。本当に変わろうと思うなら、それしかない。

自分を愛している実感なんて、実際は曖昧で形のないものだと思う。何をもって「自分が好きだ」といえるのか、それは、他人の気持ちを想像できることや考えの違いを尊重できること、心の声に従って素直に動くこと、愛情を出し惜しみしないことなど、「心を開いて他人と関わる姿勢」が不可欠になる。

自分を大事にしたいと思えば、他人をないがしろにはできない。

「自分の幸せは自分で決める」と気がついたとき、彼が二度と「動かなければ、成功はない代わりに失敗もない。それが居心地がいい」と思わないようにと願った。

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