戦争がない世界について

ロシアとの「停戦」には、ロシアを利する中身も必要で。

東部2州の独立やクリミア編入の承認で、実質ロシア領として与え、プーチンの「ナチからの解放」が一部達成されたように見えること。

国内の反プーチン派に対して、国民の支持で体制維持ができるように。

ウクライナの中立化だけでは、弱い。

しかし、過去、我々が営む「国家」ができる過程でも「停戦」の度に「領土」を拡大したり、「納税者」を増やしてきた過程があったということで。

例えばヨーロッパ人がアフリカやアメリカ大陸を侵略したときに、先住民、アステカ帝国の人々が「停戦」したいと思えば、彼らの土地をヨーロッパ人に与え、占拠することを認め、食糧を定期的に差し出すなどの約束があったわけで。例えば「皆殺し」を避けるために、侵略者が欲しいものを提供する約束をして、「停戦」した可能性もあり。

我々が営む「国家」、「領土」、「納税」、「国民」ができた過程の一つ。

「アメリカ合衆国」は、そうやって出来た。

だから我々は、軍隊を営むし。

アメリカ人が銃を持つのも「守る」だけではなく、暴力を用いて「停戦」を引き出して、「土地」や「年貢」など欲しいものを得てきた過程があるから。

「国家」を営む我々は、その延長にまだ、いて。

通りで戦争や差別や格差もなくならないわけだし、「食糧」は「貨幣」になったが、その「貨幣」には、暴力で「停戦」までもちこみ「領土」や「納税者」を増やしてきた営みに紐づいた「貨幣」で、差別、暴力も織り込み済み。

その「貨幣」を生きるために必要、無くてはならないとして生きている限り、戦争とも無縁でなく。

幕末にアメリカが軍艦で日本にやってきた時も、軍事侵攻しない条件に市場解放や不平等条約を得たわけで。アメリカ人の末端の人々までも、日本人向けの製品を作り、売ることで、「利益」、「職」を得た。

「貨幣」を使う我々すべてと「軍事力」は無縁では無く、個々の「国家」が誰得、誰のため、に出来たか考えたら、「差別」もあり。

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