マイクロソフト詐欺で吉田ウーロン太に助けられる
人は誰かに助けられて生きている
普段、そのことに気づかないのは差し迫った危機に遭遇していないからである
だから、誰の助けも借りず生きている、と思えているのなら、それはとても運の良い人生なのだ
だが、詐欺と病気は実際に遭遇するまで、その存在に気付かない
それらは音もなく忍び寄り、気がついたら背後をとられている
そうなってから助けを呼んでも遅いのだが、逆に、全く予期しない人に助けられることもある
話はこのエッセイを始める前に遡る
ノートを始めるにあたり、春キャベツのアイコンをフリー素材から探していた
イラストでちょうどいいものがあったので、ダウンロードを始めた時のことである
パソコンの画面が全面赤に変色し、けたたましいサイレンが鳴り始めた
キーボードのあらゆるキーを押してみたが、サイレンは鳴り止まない
午後11時近かった
夏で窓は開けていた
マンションの他の部屋の反応が気になる
困り果てていた時のことである
画面に「マイクロソフトからのお知らせ」として、パソコン内にウィルスが侵入したので至急この番号に電話せよ、と050から始まる番号が表示された
使っていたのは会社支給のパソコンだったセキュリティ対策は完璧なはず
ウィルスが侵入するはずはないと思っていたが、鳴り止まないサイレンをなんとかしたい一心で電話をかけた
電話はすぐに通じ、マイクロソフトの担当者を名乗る女性が、「安心してください。指示に従って操作すれば、パソコンは復旧します」と片言の日本語で応じた
まずはサイレンを止めなければならない、と言われ、画面上の指定の箇所に言われた通りの文字を打ち込め、と指示された
それまでどのキーを触っても反応しなかったが、なぜかその時はキーボードは反応し、言われた文字を打ち込むことができた
すると、そこから遠隔操作ができるようになったらしく、マイクロソフトを名乗る担当者が遠隔で操作し、サイレンは消えた
担当者は、これが私の名刺です、と画面上に顔写真付きの社員証らしきものを表示した
社員証には女性の名前のほかに、マイクロソフトの品川のオフィスの住所が日本語で記載されていた
社員証にしてはデザインが簡単すぎると思ったが、それがマイクロソフトの社員証だと言われたら信じるしかない
担当者は「あなたのパソコンに何者かが侵入した形跡がある。今すぐ対処しないと、中のデータは全て盗み取られる」と警告してきた
会社支給のパソコンなので、セキュリティ対策万全のはずなのだが、ついさっきまでサイレンが鳴り響いていたということは、その鉄壁のセキュリティを突破されたということになる
対処が必要というのなら、やらないわけにはいかない
担当者は今すぐファイヤーウォールを入れなければならない、と言った
すでにパソコン内に侵入されているのに、今からファイヤーウォールを入れたって遅いだろうと思ったが、担当者の日本語が片言だったのでそのような複雑な話はできそうもないと思ったので、そのまま話を聞いた
それに相手はマイクロソフトの人間だという
マイクロソフトの人がそう言うのなら、それに従うのが最も賢明な選択だと思った
だが、実際にソフトを入れようとすると、会社のパソコンなので管理者権限は自分にない
何かしらのIDやパスワードを求められたらそこから先へ進めない
そんな懸念を抱きながら話を聞いていたのだが、話は意外な展開をみせた
「セキュリティソフトを入れるには4万円かかります」
あれ?マイクロソフトのサポートとしてやるんじゃないの?別途料金がかかるって、どうして?
そんな疑問が浮かんだが、とりあえずこの緊急事態にどうやって4万円をやり取りするのか気になった
「クレジットカードの番号を教えるか、コンビニで支払うか、二つの方法があります」
なるほど、それならすぐに金銭のやり取りが可能だ
だが、クレジットカードの番号を教えるのは怖い
やるならコンビニ払いだな、と思って聞いていたが、それよりも懸念は、金を払ってソフトを入れようとしても管理者権限で引っかかることだった
担当者にその旨を伝えたが担当者はそれには答えず、カードにするかコンビニするかすすぐに決めろと言い続けた
この辺から少しおかしいと感じ始めたが、マニュアルにないことを言われたので、日本語の理解が追いつかないのだろうとも思った
とりあえず今電話に出ている担当者では拉致があかないと思ったので、上司を出せ、と要求した
上司にあたる人間なら、少なくとも日本語はもう少しうまいはずで、管理者権限の件も理解できるはずだ
すると担当者は「今すぐソフトを入れないとデータはどんどん盗まれていきます」と言って、上司を出すことを拒んだ
これは変だ
会社なら上司を出せ、と言われたらすぐに出すものだ
上司とはそういう時のために、普段は何もしないでただ座っているのだ
そこで、あなたは今どこにいるのですか?と聞いてみた
「品川のマイクロソフトオフィスです」
最寄りの駅はどこになりますか?
「・・・・」
オフィスに最も近いステーションはどこですか?
「そのような個人的なことには答えられない」
個人のことを聞いているのではなく、オフィスについて聞いています
そんなやりとりがしばらく続いたあと、「では上司に替わります」と担当の女性の音声は途切れ、「私が上司です」と名乗る男性の声が聞こえた
画面に社員証を表示し、そこには「マイク ミラ(日本)」と書かれ、オフィスの住所と従業員番号、マイクロソフトのロゴがあった
それはそれまでの女性が示していた社員証とはデザインが違っていて、決定的に違っていたのはオフィスの住所だった
マイク・ミラの社員証には「東京都港区港南2−16−3 品川グランドセントラルタ」と書かれていた
セントラルタ?
セントラルタって何だ?
なぜかその部分だけがすごく気になった
吉田ウーロン太が頭に浮かんだのだ
吉田ウーロン太をご存知だろうか?
ふざけた名前だが、脇役として何本もの地上波ドラマにも出演している
以前、「中学聖日記」という中学校の女教師が生徒と駆け落ちするというドラマを見ていた時、エンディングのテロップにその名を初めて見た
シリアスなドラマだったのに、このふざけた名前のせいでぶち壊しだ、と憤った
一体どんな奴なのか検索したら、全く特徴のない顔で、少なくとも「ウーロン太」と名乗るほどの面白い顔ではない
以後、他のドラマでもエンディングのテロップで、時々、その名に出会すようになった
だが、そもそも特徴のない顔なので、どれがウーロン太だったのか、思い出せない
そんな、ある意味、夏の蜃気楼のような存在が吉田ウーロン太である
品川セントラル太
吉田ウーロン太
ジョン・トラボル太
並べてみると、しっくりくる
新日本三景みたいだ
そんなことを考え落ち着きを取り戻した俺は、スマホで「品川グランドセントラルタ」と検索してみた
出てきたのは「品川グランドセントラルタワー」だった
なるほど
あいつらはカタカナが理解できていないらしい
だからタワーの「ー」の部分が文字だという意識がないのだ
形勢は逆転した
「あんたさー、仕事、雑じゃない?」
さっきまで電話の向こうの片言の外人に教えを乞うていた俺はもういない
「お前、カタカナ読めてないだろう」
マイク・ミラは答えない
「ところでさぁ、今日の天気はどう?暑い?」
「暑いです」
やっとマイク・ミラが答えた
「へー、暑いんだ?何度くらい?」
「そんなことは関係ありません。早くソフトを入れないとあなたのデータは盗まれます」
「いやいや、関係あるでしょう。今、品川の気温は何度なの?今日は晴れてた?」
「早くしないとあなたのデータが盗まれます」
「それは困るけどさ、まず気温と天気を答えてよ。話はそのあと」
「そんなことは関係ありません」
「関係あるんだよ、このヤロー」
そう一括すると、電話は切れた
パソコンは遠隔操作されたままのようだったので、ネットの接続を切り、電源を落とした
再度パソコンの電源を入れたら、画面には何のアイコンも表示されなくなっていた
翌日、会社のシステム担当のところへパソコンを持ち込むと
「これは非表示にされているだけですね」と右クリックして何かを押すと、それまで使っていた画面が現れた
システム担当によると、これは「マイクロソフト詐欺」という有名な詐欺らしく、マイク・ミラの写真はYouTubeにも上がっているという
データを抜き取るのではなく、不安にさせて4万円を騙し取るのが目的らしい
「多分、何もされていないと思いますが、念のため預かって調べてみます」
そう言ってシステム担当は、どういう経緯でその詐欺に引っ掛かったかは聞かずに、パソコンを預かった
よかった
春キャベツのアイコンをダウンロードしようとしていたらこんなことになってしまったのだが、それを説明したら「なぜ春キャベツなんだ?」と聞かれるところだった
俺の名は村上春キャベツ
その正体は、まだ妻にしかバレていない
そして村上春キャベツが吉田ウーロン太に助けられたことも、誰も知らない
ありがとう、ウーロン太