石油王のGTR
カネはどれくらいあればいいのか?
このことをきちんと定義できる人は、自分の行動に迷いがない
逆にいうと、自分のやっていることに確信を持てないのは、「カネはどれくらいあればいいのか」ということを定義していていないからである
この話で肝心なのは「定義」である
実際にいくら必要なのか、という試算ではない
産業革命以降、それまでになかった人間が生まれた
賃金労働者である
賃金労働者は自分の時間を売って、それをカネに変え、我々のほとんどはその末裔だ
持っている時間全てをカネに変えたらいくらになるか
それがその人の価値となったので、時間の限り働くというのが美徳となり、カネはあるに越したことはない、というのが疑うことのないコンセンサスとなった
そのコンセンサスによって、人は休日でさえも効率的に過ごすようになった
休日は仕事のための充電期間となり、準備期間となった
それは時間がカネに変えられるからであり、時間がカネに換算されるようになった時点で、我々の時間はすでに奪われてしまったのだ
ではカネがある人間には時間はあるのか?
この問いに対する明確な回答がある
これを見て欲しい
なんだかお分かりだろうか?
日産のGTRである
普通と違うのは、ボデイが金で覆われていることだ
問題はこれを誰がやったのか、ということだ
正解は石油王
記号のような金持ちである
俺はこれを見た時、カネを使うのも大変だ、と憐れみさえ抱いた
カネは使う場がなければ、ないも同然
カネがある奴らはカネを使うのに忙しく、多分、自分の時間もないのだろう
このGTR、エンジンルームにも金メッキが施してあるというが、石油王自らがエンジンルームを開くことはないだろう
だがそうまでしないとカネの使い道がないのだ
そんなわけで、カネを得るために時間を奪われ、カネを使うのに時間を奪われる
時間とは命
結局、我々はカネに命を奪われ続けている
そこで最初の問いに戻る
カネはどれくらいあればいいのか?
これを自分で定義しなければ、カネに命を奪われることになる
自分の場合、マンションの管理費と食費が賄えればそれでいい
今の生活が継続できて、要らないものが要らないとわかると、時間が自分の手に戻ってくる
そんなわけで、今日もポルシェは要らないな
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