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エターナルライフ第18話 婚約 康輔

「それで、いつ日本に帰ってきたの?」
「十年前だ」
「私のお父さんとお母さんが亡くなって、おばあちゃんと暮らしていた頃だ」
「そしておばあちゃんも亡くなって、君はひとりで生きてきた」
「そう。でもこうしてあなたと出会えた」
「でもまたすぐ、ひとりにしてしまうかも知れない」
「大丈夫。あなたと会えて私は強くなれた。あなたは子供の頃からずっとひとりで生きてきたんだものね。さみしくなかったの?」
「まあ、ブラジルに渡ってからは農園で働く連中が家族みたいなものだったからね。それに、ゲリラ闘争に明け暮れてからはさみしさなんて感じる暇は無かった」
「よく生きて帰ってきたね」
「俺は民衆を解放するために命がけで戦ってきたつもりでいた。武力革命が成し遂げられれば、この世界の闇を晴らすことができると信じていた。でも、サンドラと過ごした病院での二年間で、俺は客観的に自分自身と自分を取り巻く世界を見つめ直すことができた。当時、ラテンアメリカを席巻していた内戦や紛争は、結局東西の覇権争いでしかなかったんだ。その結果、罪の無い多くの民衆の血が流された。結局俺は踊らされていただけだったことに気がついた」
「踊らされていた?」
「そう、西側の覇権を阻止したい東側の策略の上でね。俺は正義のために戦っていると思っていた。でもそれは全くの幻想に過ぎないことに気がついた。
ソ連にしても、中国にしても、北朝鮮にしても、革命が成就した暁に民衆は解放されたのか。結局は新しい帝国の新しい支配者が登場したにすぎない。政治体制や経済体制がどのように変わろうと、それを運営する側の人間が変わらなければ結局は同じことだ。人間ってヤツは権力という甘い蜜を吸った途端、際限の無い欲望に絡め取られて、他者を意のままに支配しようとする。そして、その権力を維持、拡大するための抑圧を行い、反対勢力の粛正を始めるんだ」
「難しいことは私にはわからないけど、それでもあなたは人間を信じているんでしょ」
「どうだろう」
「だって、あなたは言ったわ。人を信じる勇気を持つことが大事だって」
「そうだったね。その通りだ。自分自身を犠牲にしても人のために尽くすことのできる人は間違いなく存在する。
俺は理想を求めて旅に出て、挫折して日本に帰ってきた。そして人との交流を避けて、自然の中で静かに生きようと決めてここに住むことにした。でも、一人で生きていくことなんてできない。ここの村人はみんないい人達だよ。お節介でいやになってしまうこともあるけど、困った時には親身になって助けてくれる。
大工さんがいてね。このボロボロのログハウスを直してくれたんだ。とても腕がいいしセンスもいい。そのサッシだって結露もしなければ曇りもしないだろ。外がどんなに寒くてもね。ガラスが二重になっているんだ。ピカピカに直してくれて、請求書を見て驚いた。こんなに安くていいのかと聞くと、ご近所割引さって、同じ地域の仲間から儲ける気は無いんだって言うんだ。そしてこう言った。たぶんいろんな事情があったんだろうけど、ここはいいところだ。ここから新しく出発するんだって」
「素敵な人ですね」
「そう、信頼できる人間は必ずいるんだ。人との出会いが人生を決すると言ってもいい。
俺の尊敬する人物にチェ・ゲバラという革命家がいる。彼はこんな言葉を残している。 “人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことが出来るのはダイヤモンドしかない”  人間は人と人との触れあいの中でしか磨かれないんだ。前にも言ったように、先ず自分から心を開いていくんだ。俺がいなくなっても…」


翌日、久しぶりにふたりで街に出た。食料品などを買い込み、居酒屋で夕食を取りながら、本屋で買ったガイドブックを見て温泉行きの検討会が始まった。
「ご予算は?」
「無上限」
「太っ腹だね!」
「海がいい? それとも山?」
「どっちでも」
「山に住んでるんだもんね、私たち。やっぱ海だ」
「君の行きたいところに行こう」
「ほら見て、ここ素敵!」
彼女ははしゃいでいた。はしゃいでいる理由もわかっていた。遠くない未来に訪れる永遠の別れを封印するためだ。今この刹那に生の歓びを点火するためだ。そんな彼女が愛おしく、また不憫でならない。

彼女の選んだのは伊豆の高級旅館だった。帰りがけに予約の電話を入れると、この時期は空いているのか一週間後に二泊の予約ができた。


家に帰って彼女に切り出した。
「君に頼みがある」
「何?」
「俺が死んだら、遺産を受け取ってくれないか」
「遺産?」
「親と祖父母から相続した金だ。今銀行に残高が五千万ほどある。それと、この家と土地。それが全財産だ。受け取って欲しい」
「そんな…」
「大事なことなんだ。俺には家族がいない。ひとりいた息子も死んでしまった。このまま相続人がいないと国に持っていかれてしまう。だから受け取って欲しい。公証人に遺書を書いてもらって、役場に預けておけば…」
「何で遺書を書かなきゃいけないの? 私を奥さんにしてくれれば遺書なんて書く必要無いじゃない」
「それは、だめだ」
「何で、私たちは愛し合っているんでしょ!」
「君にはまだ未来がある。君の前にはこれからまだ素敵な若者が現れるだろう。君の戸籍に傷を付けるようなことはしたくない」
「私はそんな打算的な女じゃない!」
出て行こうとする彼女の手を取って止めた。
「頼む。わかってくれ」
「もしあなたが余命宣告を受けていなかったら、それでも私と結婚してくれないの? それなら諦める。あなたがしたくないのなら…」
「そういうことじゃ無いんだ」
胸に飛び込んでくる彼女をきつく抱きとめた。
「私頑張るから…。頑張ってあなたを支えるから…」
泣きじゃくる彼女の髪を撫でながら、その額に口づけをした。
「私は、今を全力で生きたい。あなたのいない未来のために何かを担保するような生き方はしたくない。あなたが全てなの。お願い…」
「わかった。結婚しよう」

俺はいままで自分の寿命に半ば執着を失っていた。しかし今、少しでも長く彼女と共に生きたいと強く願った。

エターナルライフ第19話 Sol 美里


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