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美術館散歩 #13 印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵展

「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵展」に行ってきました。
平日の日中に行ったのですが、かなりの混雑。
印象派の人気の高さがうかがわれます。

パリで生まれた印象派の、その影響を受けて各地で独自に発展していった軌跡をたどる展示となっていましたが、既に多くの方が優れたレビューをあげておられるので、今更その概要を書くのもどうかと思われます。
なので、今回はメアリー・カサットに焦点を絞って書いてみたいと思います。

なお、館内の作品は写真撮影禁止となっていましたので、画像は全てパンフレットと、Wikipediaからの転載です。

メアリー・カサット「赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーブル(母と子)」
この展覧会に展示されていたメアリー・カサットの作品はこの一点
(以下の画像はこの展覧会に展示されているものではありません)

何故、メアリー・カサットなのか?
印象派の絵画を最初にアメリカに紹介したのはメアリー・カサット、その人だからです。

画家を志したアメリカ人のメアリー・カサットはパリに渡ります。
その修行の日々の中で、画廊のショーウインドウ越しに観たエドガー・ドガの踊り子の作品に衝撃を受けます。
この運命的な出会いが、彼女の画業を開かせてくれたのです。

彼女はドガに師事し、印象派展に次々と作品を出展していきました。
そして、人間的にはかなり偏屈で、特に女性に対しては屈折した感情を抱いているドガを、生涯支えていくことになるのです。


ドガとの共作となった「青い肘掛け椅子の少女」



そんな中、たまたまアメリカから遊びに来ていた友人、ルイジーン・エルダーから、購入する絵画について助言を求められたメアリー・カサットは、推しの絵を紹介します。
即ち、ドガの「舞台のバレエ稽古」とモネの「アムステルダムの橋」でした。

エドガー・ドガ「舞台のバレエ稽古」
クロード・モネ「アムステルダムの橋」

この2作品が大西洋を越えて、アメリカに渡った初めての印象派の絵画です。
これをきっかけに、アメリカの様々な画商が、まだ評価の定まっていない(安価な)印象派の作品を買い求めてくるようになりました。

後にルイジーン・エルダーは製糖業で財をなしたヘンリー・ハブマイヤー氏と結婚。
富豪となった彼女は、印象派のコレクターとして有名になっていきます。
アメリカの公立美術館に彼女から寄贈された作品も多く、さらには自身のコレクションを展示する美術館=シェルバーン美術館まで建てています。

1904年、メアリー・カサットはアメリカに印象派を伝えた、その功績に対してフランス政府からレジオンドヌール勲章が贈られました。

さて、生涯独身を通したドガとカサットですが、ふたりの関係はどのようなものだったのでしょう。気になりますよね。
#2「モネ連作の情景展」でも紹介しましたが、原田マハさんの短編集「ジヴェルニーの食卓」に納められている「エトワール」にカサットの心象が綴られています。
もちろんフィクションですが、作家の豊かな感性を感じます。


メアリー・カサット「真珠のネックレスをした桟敷席のリディア(メアリーのお姉さん)」


メアリー・カサット「麦わら帽子の子供」


メアリー・カサット「自画像」

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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