『行ってこい 八千代伝』の向こう側
■『行ってこい 八千代伝』。
これは、平成16年10月に蔵を30年振りに再興し蒸留を再開した八木酒造合名会社(現八千代伝株式会社)の代表、八木栄寿氏が復活までの道のりを記した冊子である。以前大手出版社のMOOKに掲載した文章を再録したものに追稿が2編増補されており、後半は商品カタログにもなっている作品だ。
わてがこの冊子の存在を知ったのは、『醸界タイムスWeb版』2006年3月24日付の記事だった。「八木酒造 復活に感謝の思い」、その記事の一節がわての目にとまった。
このサイトをやってきて、ひとつ思っていたことがあって、それは「本当に酒の物語を飲兵衛との接点で語り得る(語り売れる)のは個人酒販店さんではないか」という想いぬぅあんである。それは、全国的に有名な名の売れた酒屋さんだけではなく、たとえ町の片隅にある名も無き店であっても。
もちろんディス屋や大手GMSが他種多量な商品を(往々にして)安価に提供している意義は否定できない。その恩恵を被ることもわずかだが、あることもある。が、しかし、何か違う気がずっとしていた。
それは粕取探索を精力的にやっていた2002年、筑前市内で、もう店を閉じるという70歳代のある個人酒販店店主さんにお会いしたことが発端だった。
最後に残った僅かな在庫を「行ってこい」と渡してくれたこの大将、やるだけのことをやり努力できるだけ努力しての結果として廃業を選択された、であらふ。その心中をわて如きが推察できないが、もうすでに楽隠居の年齢を過ぎお孫さんとの生活が待っていて、けっこう幸せなリタイアを迎えられた人だったかも知れない。
わてが大将と話していて、酒販店稼業ウン十年の歴史に裏打ちされた様々なエピソード、個人的体験談を通じて語られる地域の今は失われた生活史が「宝」に思えてしかたなかった。
◇ ◇ ◇
また昨年秋のこと、筑前南部のある町に行った際、ぶらりと入った鄙びた酒屋さんでもさらに想いを深くした。
その店はバス停横にあって外壁もくすんだ何の変哲もない店構え、中を覗くと、角打ちカウンター横のテーブルで常連客と思しき爺様がチャンポンをズズズ!と啜っていたのだった。「オモロイ店やなあ」と思って入店、棚に地元正調粕取焼酎が一種類ある以外は、わてにとって関心のある銘柄は無く、地元の需要に沿った一般的銘柄ばかり。いかにも“町の酒屋さん”である。
しかし、安い地酒カップと魚肉ソーセージというわての角打ち定番メニューをオーダーし、もう70才は近いと思われる大将に話を向けると、これが滅法面白い。結局、カップ3杯、ソーセージ3本で2時間居続けてしまった。
地元市場の動き、周辺蔵元の過去・現在・未来、蔵の地元酒販店への対応、これまでの店の取組などなど、公の場では書けない話が大将個人の私怨を交えてゾロゾロと出てくる。
まさに地元酒文化史、生活史の生きたアーカイブ、名も無き者たち・腹に収まり形失われる酒たちの語り部であった。
◇ ◇ ◇
ここで、「日本は大国というが、年間に3万人もの人が自殺する国になってしまった。酒販店経営者の自殺も増えている」という八木栄寿氏の先の一言が、痛く響いてくるのである。
いま、酒の世界のみならず拡がる「規制緩和」「自由化」「民営化」「構造改革」というタームの隠れた真意を考えれば、それは個人(または中小経営)の生活圏を縮小・収奪し、大資本へ富を集中させる(労働分配の一極集中)ということなのだなと、わては強く思っている。そして縮小・収奪の対象となっているのは、地方の貧乏サラリーマンであるわて自身もけっして例外ではない。
言葉から言霊を奪う今様のフレーズでいくなら、今後もさらに「酒造と酒販の集約化による徴税の効率化」が進行、とでもなるのだらふか。そういえば、同様な節目が遠い昔あった気がする。それも個人・家庭・共同体の生活圏の縮小・収奪が伴っていたものだったが。
◇ ◇ ◇
わては、これからも、さらに、“町の個人酒販店さん”に行くつもりである。多少値段が高くても買う。角打ちがあるなら、飲む、喰らふ。そう、思っている。
■「あなたの夢に付き合う気はない」
※本稿の主旨は本稿筆者の個人的感想であり、同冊子に綴られた内容とは無関係です。
(1)支援法:国の中小企業経営革新新支援法のこと
(了)
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