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諸見浩二のコラム(5)

福岡市西区金武校区の郷土料理「鶏めし」


『焼酎楽園』 2005年4月 北部九州『焼酎人國記』
--本格焼酎 その「生活の酒」としての有り様を訪ねる--

【ケース1:福岡市近郊篤農家】

福岡市西区金武校区。ここは九州最大の商都・天神から直線距離で20㎞ほど西に位置した農業地域である。市街化が極度に進んだ同市だが、この金武校区では現在も農業が盛んだ。高級ブランド米『百年米』をはじめ、大根・春菊・ほうれん草・蕪・苺・葡萄など、極めて美味な高付加価値作物を栽培している篤農家が多い。

 さて、小生が本連載の初回に当地を訪ねたのには訳がある。昨年8月、この金武校区から西にひとつ峠を越えた今宿地区の海水浴場で二年ぶりに花火大会が催された。実は家内がこの大会主催者とご縁がある関係上、小生“助っ人バーテンダー”として見物客にお酒を給していたのだ。そこでお酒の嗜好について二年の空白期間に起きていた大きな異変を目の当たりにすることとなったのである。

 大会の常連客でもある金武校区の方々だが、02年まで清酒ばかりだったオーダーが、04年では乾杯のビールの後は「芋焼酎を!」と声が掛かるのみ。最後は「焼酎だったら何でも良いから!」と相成っていたのだ。
 元来清酒王国の福岡県、しかも保守的というイメージが強い農業地域で清酒から焼酎へ一気に嗜好がスイッチしていた。それがなぜ、どのようにして起こったのか?

元来清酒王国の福岡県、しかも保守的というイメージが強い農業地域で清酒から焼酎へ一気に嗜好がスイッチしていた。それがなぜ、どのようにして起こったのか?

 そのメカニズムを解明するため、金武校区にお住まいの焼酎党五名にお集まりいただいた。最長老であるK光S代喜さん(70)を筆頭に、N山I昭さん(60)、U尾S太郎さん(57)、K光K成さん(54)、S水G義さん(49)と、生まれてこの方当地で篤農一筋というシニアな皆さんだ。ではお話を伺ってみよう。

■週に飲む日数、量は?

今回お集まりいただいた方々は、揃いも揃って酒豪である。かつて集落の寄り合いでは湯飲みになみなみと注いで酌み交わし、燗付けが間に合わないと清酒一升を瓶ごと温めるという豪快な酒。齢を重ねて減ったという晩酌だが、現在も週に7日は2合から3合の焼酎を嗜まれる方が多く、ヘビーユーザーといえよう。

■これまでの愛飲したお酒は?

皆さん概ね清酒とビールが二本柱で、比較的若い方ほどウィスキーが戦列に加わってくる。さらに『赤玉ポートワイン』も挙げられた。

これは数年前に筑後の焼酎蔵で伺った第二次世界大戦後の酒嗜好の変遷、正調粕取焼酎衰退のプロセスと重なる。また、これまで焼酎を敬遠していた理由ついては大きく二つ、「清酒と比べて焼酎は“格下”だったから」と「ツンと来る臭いがきつく嫌だった」という意見に集約される。

■現在までの焼酎歴は?

焼酎を愛飲している期間だが、「10年前に『森伊蔵』がまだプレミアで五千円ぐらいだった頃から飲んでいた(N山さん)」という方もあれば、「半年前から飲み始めたばかり(K光S代喜さん)」というビギナーもあって多士済々。四名の方がここ数年の間に焼酎に転じており、最近は「飲むのは焼酎ばかり」という声が多い。

■最初に飲んだ焼酎は?

『さつま白波』『ダイヤ』という具体的な銘柄を指す方もあれば、「芋」「イモ・ソバ」という原材料名での回答もあった。総じて、福岡で一般的に店頭化されているものが手にされている。中には、金武校区から山一つ越えた同じ西区周船寺の正調粕取焼酎『池田』を挙げた方がいた(N山さん)。

余談だが、清酒の牙城だった金武校区で唯一焼酎が登場する晴れの場があった。「早苗饗」である。

田植えの時期、遠くは玄界島から渡ってきた早乙女たちが苗を手に作業に従事した。辛い田植えの慰労の場「早苗饗」で振る舞われたのが今は亡き『池田』だったという。

N山さんは「あれは本当に旨かった」と頬を弛ませた。K光S代喜さんは50年前を振り返り「早苗饗の料理はあそこの村は豪勢、あそこはケチった、なんて噂になったもんだ」と往時を懐かしむ。しかし農業の機械化と共に早苗饗の習俗は消滅し、正調粕取焼酎も数を減じていく。「ひとつの文化が終わったんですよ」とN山さん。

■現在の愛飲銘柄は?

三名が『黒霧島』。また残る二名は『雲海』(U尾さん)、「イモ・ソバ」(N山さん)を挙げる。霧島ブランドの浸透度が高い福岡都市圏ではあるが、農業地域にまで“黒キリ”旋風が波及する段階となった。宮崎焼酎が「生活の酒」となって福岡に根付いている。

■焼酎愛飲の理由やきっかけは?

本題である。「体調を考慮して」「生活習慣病のためにやむなく」との声が圧倒的に多く、一番の動機となっていた。カロリーが低く脳血栓の溶解など体にも良いというマスメディアの情報に接し、それが焼酎愛飲への大きな弾みになったという。

関東や関西でも健康のために焼酎を飲むというユーザーが増えたが、福岡でも事情は同じだ。特にシニア層では、健康維持は切実なテーマ。当初敬遠していた焼酎だが、多少深酒しても焼酎の方が翌日も爽快で体が軽いと、長年清酒党だった全員が認める。健康志向こそが保守的な農業地域でも焼酎受容を加速させていたのだ。

■焼酎を選ぶ基準は?

受容拡大のもう一つのカギが選択基準にあった。回答は「今の焼酎は香りも良くなって飲みやすい(U尾さん・K光K成さんなど)」という“味+香り派”が三名、「先輩の勧めで清酒から焼酎に変わり、今は焼酎を愛飲(S
水さん)」という“口コミ派”が三名、“価格で選ぶ派”が一名。昔と違って焼酎の風味が洗練されて親しみやすくなったとの声は全員共通である。「品質の向上」も見逃せないファクターだ。

■どんなお店で買いますか?

全員が地元の酒販店とし、内一人がディスカウンターを加えた。ちなみにこの地元の酒店、角打ちコーナーがあり、長老を“横綱”として地域の有志が番付順にカウンターに立つ序列があるとのこと。イイ話である。

◆変わらないもの、変わるもの。

宴たけなわとなった頃、出席者の奥様から差し入れが到着した。校区の各家庭で伝承される郷土料理「にわとり飯」である。地醤油『ヤマタカ醤油』で煮た金武産地鶏をそのまま地元産米に混ぜるという市内でも珍しい“混ぜご飯”だ。この「にわとり飯」の比類無い美味さは、この金武校区に地域文化が今だ強固に遺っていることを教えてくれる。

とはいえ、人と職、人と食との関係に村落共同体の有り様が色濃く滲むこの地にも、本格焼酎の波はひしひしと押し寄せていたのだった。


■2022年追記:『楽園』への寄稿は、その他唐津、壱岐などでの取材もあったと記憶しているが、原稿が残っていない。本誌を見るしかないが、もう手持ちの全冊や新聞など掲載紙は、しばらく前に思い切りよく捨ててしまっていた。

この西区金武での取材は「早苗饗」と正調粕取焼酎の受容実態を聞くことが出来て、本当に有意義だった。お話を伺っている時にある方がおっしゃったのだが、田植え応援のために玄界島からアルバイトで渡ってきた早乙女たちと、苦役からの解放感からか、ちょっとした愛の交歓行事があったという。「かみさんには内緒やけどな・・・(ニヤリ)」と呟かれたのだが、農村地帯の民俗世界のパノラマが広がるような、いい話だと思った。

そして宴席に供された郷土料理「にわとり飯」は、他にはない、店でも売っていない、金武の個人のお宅でしか食べることができない逸品なのである。集落の各家庭の味があって、誰それの奥さんが造ったのが一番!と評判が広まるのだ。これは地域の集まりなどで差し入れで持ち込まれることがあるが、その価値を知っている者は争って掴んで食べる。知らない人はその騒ぎをポカーーンと見ている。そんな人でも食べるとその騒ぎの輪に加わる。

また食べたいんだけどね、無理か。


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