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諸見浩二のコラム(4)


福岡市博多区須崎問屋街にある居酒屋『古賀家』

■『焼酎楽園』 2004年8月 北部九州焼酎・泡盛リポート4

博多っ子女将の焼酎戦歴 小料理屋の最前線を覗く

北部九州での焼酎受容の実態を探るレポート、第四弾目の今回は、これまでの大型チェーン店から一転。生粋の博多っ子・美人女将が切り盛りする小料理屋における博多っ子の焼酎受容の実態に、小生肉薄してみた。

今回取材に伺ったのは、『博多山笠』追い山決勝点がある須崎問屋街に店を構える『飲み処喰い処・古賀屋』さん。

「山笠があるけん博多たい」と全国的にもその名を知られた、まさにご当地のシンボルとも言うべき『博多山笠』が、怒濤の如くゴールする道筋に面している。毎年7月、水法被としめこみに身を固めた博多っ子の熱気が大団円を迎える場所だ。

『古賀屋』さんの女将は、古賀悦子さん。家代々の男達が山笠をかいてきた(担いできた)、文字どおりの博多っ子である。店は平成10年に開店して今年で7年目。地鶏や魚介類の刺身、モツ鍋など、新鮮な食材を使った博多ならではの美味い料理が手頃な値段で味わえる“良か店”。そのため客層は地元のみならず、“お袋の味”を求める転勤族のサラリーマンなども多い。

さて。博多と言えば元来は清酒文化圏であるため、古賀さん自身の好みは長年親しんでいる清酒。酒量も相当にイケル口で、清酒そのものへの造詣も深い。

しかし焼酎ブームの波動が、博多の中の博多、須崎問屋街周辺にも波及していることが、2度に渡る取材で明らかとなった。まずは同店におけるこれまでの焼酎戦線の拡大、その経過を見てみよう。

❶急激に拡大した焼酎の品揃え

開店当初のラインナップは『魔王』『富乃宝山』『伊佐美』『村尾』『森伊蔵』らのこだわり系に加えて、レギュラーの『島美人』でスタート。途中『佐藤』が加わる。その他酒類では、酎ハイ・ワイン・ウィスキー・ブランデー・梅酒が並ぶ。酒類の出数構成比で見ると「ビール:清酒:焼酎:その他」の分類で「3:3:3:1」の割合だったという。

それから7年後、「ほんと、焼酎を飲まれる方が増えたわねぇ」とは昨年末取材時での古賀さんの言。焼酎ユーザーの増加に伴って、こだわり系では『萬年(白・黒)』『いも麹芋』『純黒』『佐藤黒』『萬膳』『紫美』『紫』『たなばた』『中々』、レギュラー系では『黒霧島』『黒伊佐錦』『白波』『黒白波』『雲海』『ほ』とラインナップも急増。構成比では「3:1:5:1」と焼酎が一気に拡大した。

❷先住『島美人』に新参『黒霧島』が猛追

これまで福岡県の焼鳥屋および居酒屋での芋焼酎浸透に、鹿児島県出身者や転勤者によるオーダーが大きな影響を与えている。つまり「故郷の焼酎を飲ませてくれ」というご依頼が市場拡大に伏流水のように作用していたのだが、『古賀屋』さんもその例に漏れない。

 レギュラー銘柄では珍しく『島美人』が定番化しキープ数も多いが、これはお膝元長島出身の常連客に頼まれて導入したものが他の客に波及した結果という。しかし長年寡占状態だった『島美人』も、昨年から『黒霧島』が急速に伸びてキープ数では追い抜かれてしまった。

❸甘い味わいで芋焼酎が攻勢

ここ1〜2年の全体的傾向として、お湯割りの甘い風味と健康志向で、同店でもとりわけ芋焼酎ユーザーが増加した。米や麦など芋以外の焼酎愛飲者が芋焼酎にスイッチングしてしまった例も極めて多いという。

古賀さんも「芋の甘い香りと味が受けている」と語る。芋は匂いが強いと敬遠していた頑固な米焼酎好きの地元飲兵衛が、コロリと芋焼酎信者に転向したこともあるそうだ。現在オーダーの主流は芋焼酎のお湯割りが多くを占めている。

❹レギュラー銘柄も枯渇した加熱状態

昨年12月の取材から5カ月後、急激な変化がこの福岡市場にも押し寄せてきた。芋焼酎ブームの過熱化の進展に昨年の原料芋不作が追い打ちをかけ、商品が手に入らなくなったのだ。こだわり系のみならず、これまでスーパーにドカン!と並んでいた大手のレギュラー系焼酎さえも入手困難な事態に立ち至ってしまった。「こんなことは初めて」と古賀さんも驚く。

 昨年の時点で予想されたことではあったが、これまで拡大していた福岡での焼酎戦線もある意味臨界点に達したと思える。今年の芋の作柄が気になって仕方がない。

❺清酒は、焼酎の伸長で共存状態に

福岡と言えば清酒。小生の子供の頃など、地元メーカーのテレビCMが夕方の晩酌時間によく流れていたものである。そう、筑紫の國は清酒の国だった。そしてそうであるが故に、かつては、熟成させた酒粕に籾殻を混ぜてセイロで蒸す“正調粕取焼酎”の根拠地でもあった。

普通酒の酒粕を使った正調粕取焼酎は普通酒の需給バランスでその命運が大きく左右されるため、清酒と焼酎の協調関係が極めて重要だ。というのは、普通酒が売れず造られず、原料となる酒粕がさらに減少すれば、正調粕取焼酎は消滅する以外に残された道は無いからだ。

清酒王国の全盛期から早30余年。『古賀屋』さんでは乾杯のビールの後には多くの来店者が焼酎を飲み、清酒を頼む客は相対的に減少しているのが実状ではある。しかし古賀さんは清酒の良さを少しでも知って欲しいと来店者にその魅力を熱心に語ってファンを維持。清酒と焼酎の共存状態を保っている。

酒を伝統文化として捉えた場合、清酒と焼酎は対立するものではなく“共存”の関係にあると思う。だからこそ、焼酎ブームが最高潮を迎えた博多のど真ん中で古賀さんが果たす清酒啓蒙の役割は決して小さくはない、と小生は実感している。

❻伝統の祭にも焼酎が浸透

「山笠の時は、各家の“ごりょんさん(御寮さん=商家の嫁)”が山をかく男衆のご飯の炊き出しはするのね。でも酒の準備は若手の男衆の仕事。昔から祭に清酒は欠かせないでしょ?でも、いま男衆が飲むのは焼酎が多いのよ。山笠の世界も焼酎派が増えているわね」と古賀さん。極めて象徴的なエピソードである。商人の町として中世以来の歴史と文化を誇る博多だが、伝統の世界にも焼酎は浸透している。

今回はこれまでのデータ中心の内容ではなく、小料理屋さんでの“焼酎生活実感”というスタンスでご報告させていただいた。

なお本レポートは小生の都合により一時休止させていただくが、中〆の感想を少々書かせていただきたい。サイト開設から4年、本格焼酎がここまで支持者の層を広げるとは想像できなかった。瞠目である。本格焼酎のさらなる発展を祈るばかりだ。


■2022年追記:もう18年前なので時効ということでいいですよね。
連載中止は「小生の都合により一時休止」というのは本当ではなかった。実は、連載を中止したいと編集長から連絡が入ったのである。編集長が仁義を切るためにわざわざ福岡にお越しになったので逆に申し訳なく思ったのだが、来福されて中洲でお会いした時に言われた理由が、編集部に”諸見、あいつは霧島の手先だ”と抗議が来たことだったと。
ま、霧島さんの手先ならある意味”ウハウハ”だったかも知れないが、当然何の関係も無い。知人の業界関係者にどう思うか尋ねてみたら、酒屋筋から圧力があったのではないかと言っていたが・・・事の真偽は不明である。

連載については、ある種自分自身のためのパブだと判断して稿料は一切いただかなかった。今になって思えば、懐に入れておけば良かったと思う(笑



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