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宮崎蔵元アーカイブズ 2002〜07(7) 宮田本店 醤油と焼酎の接点

大堂津を流れる細田川

■前説

2003年、前年まで福岡市に住み一緒に粕取焼酎探索に回った若い友人が宮崎市へと移住、7月には市内で結婚式を執り行った。その式に参列するため宮崎に飛んだのだが、折角だからと蔵巡りへ。

お邪魔した内の一軒が、日南市大堂津にある「宮田本店」さんである。宮田本店さんは全国でも珍しい醤油と焼酎の兼業蔵なのだ。

公式サイトによれば、同社は1804年(文化元)と歴史のある蔵だが、そもそもは酢屋としてスタート。1921年(大正10)から焼酎の製造も始め、1928年(昭和3)からみりん・醤油の製造にも取り組んできた。現在は七代目の宮田育紀氏が蔵を担っている。

もう随分前だが、宮崎在住の友人から、宮田本店さんが10年以上長期貯蔵していた醤油をいただいたことがある。もったいなくてすぐには使えず、さらに寝かせていただいたが、都合15年は貯蔵したことになろうか。南九州、特に日南の醤油は壮絶に甘いと聞くが、その超長期貯蔵醤油はスッキリとした味わいに練れていたのがとても意外だった。

この時の蔵訪問では同社の焼酎『日南娘』に限らず、醤油の受容・嗜好についても合わせて話を伺うことが出来た。その内容を改めてご紹介したいと思う。


2003年8月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開 2003.08.02 by 猛牛

■大堂津のもうひとつの蔵・・・「宮田本店」さんを訪ねる。

日南市大堂津・・・この港町は古澤醸造のあの古澤昌子様詣での聖地だ。しかし、6月に横浜で開催された『本格焼酎大選集』でも話題となったもう一軒の蔵元さんががんばっていらっしゃる場所でもある。その蔵とは「宮田本店」さん。

店先にお邪魔して驚いたが、意外や意外、昌子様の御屋敷から50mと離れていないところに「宮田本店」さんはあった。

大堂津はのどかな漁港である。蔵の真後ろには細田川が流れている。太いのに細田川とはこれ如何に?・・・「山田君、座布団持ってってくださいょ。ははは」(円楽)

さて、今回の訪問だが、事前にアポを取っていなかった。石原けんじ大佐と次の予定をどうするかを話していて、宮田本店さんの名前が飛び出した。それで『日南娘(ひなむすめ)購入を理由に店に突然お邪魔することになった訳で。すんません。

同店の主力商品である『日南娘』は、今年の鑑評会で賞を取り俄然注目された商品。先の横浜でイベントでも、関東の熱心な焼酎ファンがブースに押し寄せていた。わても飲んだが、確かに旨いんでありまする!

というわけで、ぜひとも潜入させていただこう・・・ちゅーことに。


■元々が味噌醤油蔵。現在も店頭に商品が・・・。

ずっと以前、けんじ大佐より宮田本店さんの話を聞いたことがあった。味噌も醤油も造っている蔵元さんで、蔵付き酵母もそれぞれのものが混じっているらしい、面白いところなんですよ、と。その話の通り、わても興味が湧いてしまったん。

玄関から中にはいると、すぐ右に陳列の棚が見える。右下に『日南娘』や皮むき芋焼酎『銀の星』などがあるが、それ以外はすべてが醤油や味醂などの商品が並ぶ。こういう風景は初めて見た。全国的にも珍しいんでは無いやろうか?

宮田本店の創業は江戸時代の文化年間(1804~1817)。味噌醤油蔵としてスタートし、幕末に焼酎製造を開始したということだ。(注:以下も公開時の原文ママ)

この時代と言えば文化文政期。現代に至る大衆文化に多大な影響を与えた人々や作品が交差している。喜多川歌麿が没し、雷電為右衛門が引退、都々逸坊扇歌、初代古今亭志ん生、河竹黙阿弥、国定忠次などの著名人が生まれている。「南総里見八犬伝」の初巻や「北斎漫画」初編が刊行されたのも同じ。

焼酎造りのきっかけとなったのは、幕末当時の主人が江戸に上った折、道で落とし物を拾ったこと。宿の軒先にそれをぶら下げて持ち主を待っていたが、やって来た人物が焼酎造りを知っていた。主人にお礼にと造りを伝授したというのである。まさに合縁奇縁か。


■奥の院へと一歩一歩、蟹歩きの3人。

けんじ大佐が事務所に声をかけた。出てきていただいたのは宮田育紀社長の御母堂でいらっしゃる大奥様。「すんませんが、焼酎を買いに来たとですが」と来店目的を表明する。内心、「あのぉ~、蔵ば見せてもらえんですか!」と口から出かかったが、我慢。

宅配便をお願いすると、大奥様が「ひとまず、事務所へどうぞぉ」とお招きくださった。「んじゃ、お邪魔します」とわてら3人、ニンマリとした表情。

広告看板「ハネムーンの心ち」
広告看板「男は度胸」

通していただいた事務所で、面白いものを大佐が見つけた。右に掲げたブツである。

いいねぇ~、これ!

中でも「日南娘をのむと ハネムーンの心ちです」というコピーが。

“フェニックス・ハネムーン”と呼ばれ新婚旅行のメッカであった、往時の宮崎・日南の風情が甦る出来映えだ。

以前拝見した原田酒造さんのプレートと共に「重要焼酎文化財」級っす!


■隠れアイテム登場! 35度古酒『ホワイトリカー版・日南娘』!

商品購入の際、大奥様から「何度がいいですか?」と確認があった。地元では20度が中心だが、わてとしてはやはりキックの強い25度が欲しいところ。最近商品の引き合いが急増したのか、蔵在庫も少なくなっているとのお話。その時突然、大奥様がポツリ。

大奥様「実はねぇ・・・35度の『日南娘』もあるんですよぉ・・・」

「ええ?!」。目を剥いたのは、けんじ大佐である。大佐の膨大な情報量とネットワークをもってしても、『日南娘』35度の存在を察知していなかったのだっ!

大奥様「でもねぇ・・・ホワイトリカーのラベルなんですけど・・・いいかしら?」

今度は3人とも「ええええ???」、ぬぅあのだ。ホワイトリカー顔の地焼酎とは??

さっそく拝見させてもらうことに。

大奥様は、倉庫に積まれたP箱の奧から、瓶を取り出そうとされた。

この35度「ホワイトリカー版」の在庫量は多くないとのこと。地元の梅酒・果実酒需要のために造られているという。どんなものなのか、心が細波立つ。

さて、そのブツとはこれである!

『日南娘 ホワイトリカー 35度』 中身は『日南娘』の古酒

マツユカ「かわいい! かわいいですよ、コレ!」
猛牛「おおお! こげんなんがあるとですたい! 面白いにゃ!」
けんじ「はぁ・・・こういうものがあったとは・・・凄いっすね・・・」
猛牛「かわいいねぇ。リカー面の『日南娘』とは・・・」
マツユカ「この果物がかわいいですよね」
猛牛「まさにレアアイテムちゅーかね(爆)」
けんじ「いいですよ、これは。果物の写真がいい」

猛牛「35度と言えば、原酒ですたいねぇ」
けんじ「知りませんでしたよ、これは」
猛牛「どうしてこんなラベルしてんでしょうねぇ?」
大奥様「あのですねぇ・・・こちらのお客さんは、梅酒とかを漬けるときは『“ホワイトリカー”じゃないとダメ!』っておっしゃるんですよ。ホワイトリカーって、もともと焼酎のことでしょう? 同じなんですけどねぇ(^_^;)。それに、こういう果物が載ったラベルじゃないと“違う”言われて、買ってもらえないんです」
猛牛「そういう既成概念があるとですねぇ・・・。解るよな気もしますばい」

日南では、梅酒などの果実酒を漬ける場合、「ホワイトリカー」として括られる果実の写真入りラベルのものでないと、消費者が受け付けないというのだ。あの典型的なラベルのシズルが、いかに人の心に「果実酒造りは斯くあるべし」という概念をしっかりと植え付けていたかが判る。

大奥様「だから、この果実の写真が入ったもので出してましてねぇ。“焼酎”らしく無いでしょぉ? でも、こうしないと地元では売れないんですよぉ」

お堅い焼酎ファンから、それこそ“イケマセン”などという意見も飛び出すやも知れぬ。しかし、大きな漁港があるといっても、人口もそう多くはない日南。その中で蔵として生き延びるには、小なりとは言えこのような“マーケティング”活動が必要なのである。

一見作為的。しかしこのラベルは、地域の人々の暮らし、生活感に育まれた作品なのだ。わてにとっては尊い「民俗的資料」ぬぅあんですにゃ~。素晴らしいです!

ラベルもそうだが、この中身・・・けんじ大佐の勘では少なくとも5年は貯蔵されていたものではないかと言ふ。ホワイトリカー面した「5年古酒」かもしれない。なにごとも、表層で物事を判断してはならんですばいねぇ。


■大奥様のご好意で、蔵見学させてもらえることに・・・。

35度「ホワイトリカー版『日南娘』」の購入手続きを終えたところで、大奥様が「良かったら、蔵をご案内しましょう」とお言葉をかけていただいた。さっそく、後ろについて蔵内へと進む。

焼酎用の甕と大奥様
焼酎用の甕
味醂の甕

宮田本店さんも、甕壷仕込みである。

上中二枚が焼酎の甕。一番下がみりんの甕で同じ場所で仕込みが行われている。甕壷の数から見て、石高もそんなに多くはない。

ちなみに上画像のご婦人が大奥様で、長年蔵の世話をされてきた。

大奥様「焼酎造りは大変ですぅ。わたしもねぇ、すこしは楽がしたいですよぉ(笑)」

麹室

建築から相当の年数が経っているという麹室

大奥様「うちはですねぇ。この真ん中の『床』に布を敷いて、そこで種麹と麹米を混ぜるんですよぉ」
けんじ「こちらも完全な手麹ですね。珍しいと思います」

床を囲む壁には温度調節用のヒーターが設置されていた。現在は仕込みが始まっていないので、中はご覧の通りである。

蒸留器

猛牛「蒸留器を撮影させてもろうて、よかですか?」
大奥様「はいはいぃ、どうぞ、どうぞぉ」

この蒸留器も、潤平さんのところと同様に面白い形をしている。特にワタリから冷却器の部分は、これまであまり見かけたことが無いタイプ。

色艶から見て、相当の年代物のような感じがする。

大奥様「うちは味噌も醤油も造ってるでしょ? 焼酎のことを考えると以前はそれでいいのかな?と思ってましたが、今では“それでいい!”と思うようになりました」

兼業蔵の焼酎としてのポジションを肯定的に捉えるようになられた、ということなのですにゃ。それも個性です。


■大奥様のお言葉にさらに甘えて、醤油蔵にも突撃!

「良かったら、醤油蔵にもご案内しましょぉ」と大奥様。こりゃチャンス!とさらに突撃を続行ぉ。焼酎蔵と事務所から道を挟んで対面にある醤油蔵にご案内いただく。

石のブロックが積み上げられた蔵の造り。シャッターが開いているので、醤油のもろみの匂いが通りまで流れている。大奥様の先導で蔵内へ。入口そばに『宮の鶴』のネーム入り軽トラが鎮座。マニア垂涎のアイテムの登場である! ま、宅急便で気軽に送れるサイズでは無いが・・・。

築80年となる醤油蔵の外観 地元産出の椱原石を使ったアーチ型の入口が特徴的。
『宮の鶴』サインが入った軽トラ

もろみの前に立つ。虫避けネットの向こうに、もろみがじっとりと眠っていた。あの醤油蔵独特の匂いが立ちこめている。とても甘い香り。

大奥様の話では、醤油の場合、1年もろみを貯蔵して絞るし、造りにも大変手を掛けているといふ。まさに手作りの醤油蔵である。

さて。日南の醤油だが、これがまたメチャ甘だ。前章で飫肥城で食った飫肥天がえらく甘かった話をご紹介したが、醤油も例外ではなかった。けんじ大佐は、もしかしたら鹿児島の醤油よりも甘いのではないか?と、その相対的ポジションを語った。

大奥様「地元のお客さんは、例えば今年の造りが去年より甘くても、クレームは無いんですぅ。でも、ちょっとでも辛かったら『味が違う!』とお叱りを受けるんですよぉ。甘い味が好きな土地柄でしてねぇ」

虫除けのネットが見えるもろみの貯蔵槽

大奥様「醤油造りでも息子に言うんですよぉ。他からもろみを買って絞れば、うちも楽ができるじゃないかって。蔵の仕事はキツイですぅ。

でも、息子が絶対に首を縦に振らない。他からもろみを買えば、確かに楽だろうって。でも、それだと製造業ではなく“それは販売業者でしかない”じゃないかと。息子も頑固なんです。

焼酎造りも同じですねぇ。息子はけっして楽をしようとしない。私は歳だから楽をしたいですがねぇ(*^^*)」

宮田社長の造りに対する一徹な姿勢を、御母堂の口から伺うことが出来た。見ず知らずの訪問者のわてらに、大奥様は色んな話を聞かせてくださった。得るところが多い会談だったと思う。やっぱりお邪魔して良かったと、心底思ったんでありまする。

大奥様「以前は、味噌と醤油がこの蔵を救ってくれたんですよぉ。・・・でも、こちらでも醤油や味噌の世界は、大手が進出してるでしょぉ・・・。今では、焼酎がこの蔵を救ってくれてますぅ。面白いものですねぇ」

人生の多くの時間を蔵と過ごされた大奥様が語るモノガタリ。わてはなにも言葉を継ぐこともできず、頷くだけだった・・・。


(了)

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