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大分+長崎+佐賀  蔵元アーカイブズ 2002〜05(3) 佐賀・鳴滝酒造-1

2003.05.04 by 猛牛  文中敬称略

■古舘氏の丁寧かつ詳細なデータ、記述に圧倒!

猛牛:『聚楽太閤』と言えば有名ですたいね。うちの隊長も大ファンなんですばい。
隊長:そうなんですよ。
古舘:どうもありがとうございます。うちはほんとずっとお酒、お酒、お酒で来て、なかなかこう焼酎に力を入れることが少なかったんですけども。こういう機会をいただいてうれしいですね。
隊長:『聚楽太閤』は本当に旨いんですよ。
古舘:ありがとうございます。

けんじ:大吟醸は有名ですね。鑑評会で金賞を6年か7年連続・・・。
古舘:はい。6年連続取りました。なかなか蔵のおやじが真面目というか、ぜんぜん妥協なく造ってますんで。それだけの酒質が出てくるという感じがします。

猛牛:(古舘氏よりいただいた資料「全仕事」レポートを見ながら)・・・ここまで書いていただいたら、もう改めてお伺いすることも無いんじゃないかと。ありがとうございます(^_^;)
全員:ははは
古舘:文章をだっーーーと打ちましたので、読んで解っていただけるだろうかと。
猛牛:すごく詳細ですばい。ありがたいです。

「全仕事」でご覧いただいた通り、古舘氏の記述は丁寧かつ細かく臨場感溢れるものだった。氏のお人柄を表しているようだ。

■「やるしかない!」と古舘氏、ついに立つ!

猛牛:実は今回ですけんど、こちらのけんじさんに書いていただいた『ヤマフル』の稿をご覧になって、それがひとつのきっかけになったということで、大変ありがたい話だと思っております。
古舘:そうですね。正直言って、粕取に関しては、私自身が飲まれている時を知らなかったということ。それと売れ行きを見ても毎年毎年ずっと落ちていく状況で、特に気にもしていなかった商品同然だったんですね。

猛牛:古舘さんは失礼ですけんど、いまおいくつで?
古舘:いま36歳です。会社に戻ったのが27ぐらいですから、まだ高々10年くらいしかなっていませんので。
けんじ:では、他の所にお勤めになっていたという・・・。
古舘:はい。私は教員を昔やってましてですね。5年ぐらいで蔵に戻った次第で。
けんじ:どちらの方で?
古舘:東京の方におりました。

けんじ:その、35度の商品については2002年に在庫を割り込まれていたわけですか。
古舘:はい、そうなんです。粕取の場合は最低でも1年は寝かさないといけないので、もうこれが無くなったら止めるか、今の内に造るか、という判断をするところでした。

けんじ:これまでは、その在庫の分とご購入された分のブレンドだったということですが。
古舘:ええ。今うちにある在庫はですね、調べたら昭和53年に最後の醸造をやった当時のものみたいです。それが粕取とは言えないくらいに味わいが非常に大人しいものだったんです。今回の再開分もやはり粕取焼酎にしては大人しいと思ってますけども。それで、粕取らしさを出すために4~5年前ですかね、その時点で2~3年物を購入して味を調整してブレンドしていたのが現状だったですね。
猛牛:昨年お問い合わせ申し上げた時のお話が、そうやったですね。

猛牛:粕取焼酎の醸造経験のある蔵人の方はまだ多くいらっしゃるんですかい?
古舘:はい。当時を知っている蔵人さんたちは、まだ5~6人居ります。ただ当時のもろみの経過簿とか資料がぜんぜん見つからなかったですね。とにかく覚えている知識でやるしかないと。16年ほど経ってますが、一日でも早く行えば、記憶がしっかりしている間にやれるだろうと・・・。それでやるなら即今年と勝手にきめちゃって(^_^;)。取りかかってから、実際にやれるだろうか?といろいろと調べたりしたのが実状ですね。

けんじ:杜氏さんは唐津からですか?
古舘:はい。唐津のちょっと先の湊というところから来て貰っています。「肥前杜氏」として昔から有名なところです。ただうちの杜氏からすれば、焼酎造る気はまったくないと(^_^;)
一同:はははは(^_^;)

隊長:そうでしょうね(^_^;)
古舘:「良かばってんが、焼酎は臭いの強かけんがぁ、蔵の中には入れんばい」と言いながらも、こうこっちもドキドキしながらもうやってましたね。もろみに関しては、まあ成分分析もそうですけれども、もろみの状貌と香りですよね、あと味ですか。変な感じになってないかというのは、これは経験が無いと解らないので、そういうものを見ていただくという形で随分協力していただきました。
一同:なるほど
古舘:ほとんど自分として知らないまんまに、でも言い出しっぺとしてしょうがないんで、みんなに協力してもらいながらも「これはおい(私)がするっちゃけん」と自分で温度管理からなにからの判断をしなければならなかったので、経験者にとても助けて貰ったと思ってます。

猛牛:いただいた画像のデータにしても、1日目から始まってとても詳細やったですね。
古舘:はい。大きな派手な変化が無いんで。酒だと大きく泡が立ったりとかあるんですが、写真もよく見ないと変化が解りにくいですね。ただもろみを引き出す写真があったと思いますが、最後の最後まで、白いきれいなもろみなんですね。
猛牛:写真全部使ってよかでしょうか(^_^;)? 企業秘密とかは?
一同:ははは。
古舘:いえ。なにも秘密とかはありません(^_^)。ただ、今回の数値とか方法とかは絶対的なものではないので、これがネットなどで公開されて教科書みたいに誤解されるのは本意ではないので、それだけは説明していただきたいですね。大筋では間違っていることはないと思いますが。

■出始めた粕取焼酎への関心。しかし減退する蔵の意欲。

猛牛:今回の情報をオープンにして、少しでも認識が高まるとうれしかと思いまして。
古舘:粕取に関して言うと、ここ2年ぐらい、都市部からの問い合わせとか欲しいという声が増えていたんですよ。
けんじ:そうですか・・・。
古舘:結構珍しい焼酎が欲しいんだろうな・・・という感覚ではあったんですが。他には「粕取焼酎」とご指名で問い合わせがちょこちょこ来るようにはなっていたんで。なんとなくそういう感じで興味が出始めている部分があるのかもしれないと思うんですね。

けんじ:でも・・・醸造を止められる方が多いですよね・・・このタイミングでですね。例えば・・・まぁ・・・いま焼酎が売れてる時代じゃないですか?・・・まぁ・・・それで継続されるところも多いと思うんですが・・・粕取に関してはまったく・・・もう今の段階で切っちゃう、在庫が無くなった段階で切っちゃうと・・・というところが多いですよね。
古舘:そうですね。
隊長:確か『○○○』さんも止められましたねぇ。
古舘:その蔵の方ともよく組合で会うじゃないですか。会った時に「今度粕取に賭けてみようと思うっちゃん」と私が言ったら、「確かに美味しいですもんね。でもありゃ作業的にもちょっと大変だし、自分たちはもうやりたいとは思わんです」と。なんと言っても清酒の需要が落ちていることが最大の要因なんですね。とにかく粕が無いんです。

猛牛:資料にもお書きになられてますばいね。「『ただでさえ足りんとけ』という冷たい視線に気付かぬ振りをしました」と。
一同:はははは(^_^;)
隊長:まさに(^_^;)
古舘:いやぁ・・・(^_^;)

けんじ:粕は・・・その・・・こちらでは、どういう需要が・・・多いんですか?
古舘:漬け物ですね。あと、こちらでは絞ったばかりの板粕に関して言うと、粕汁とかすぐ食べるのも若干ありますが。ほとんどは奈良漬け用の漬け粕ですね。いまは5キロ千何百円かで売れるんですよ。となると、1トンで幾らかなぁ~なんて計算してると、も絶対それで売った方が儲かるわけです(^_^;)
渡邊:ですよね(^_^;)
古舘:だから、機械もたぶん、うちはたまたま残ってて、補修の範囲で使えましたけど。新たに入れるというのは、ほんと時代の流れでどうしようもないかも知れませんが・・・致し方ないかもですね・・・。

けんじ:我々は・・・ほんとまったく趣味の世界で・・・「粕取まぼろし探偵団」を始めた訳ですけども・・・そういう風に・・・ほんとにいろいろ粕の値段を考えた場合、ほんとまったく割に合わない・・・商品ですよね(^_^;)
古舘:ええ。いまだに、いまだに「どうなんだろうな」というのは非常にありますね(^_^;)

■唐津における、かつての粕取焼酎需要の実態とは?

けんじ:『ヤマフル』はですね・・・いただいたグラフを見たら、1970年代はけっこう本数は出てますよね、需要としては?
古舘:はい。売上としてはですね。
けんじ:これはどうだったんですか?需要者としては?・・・たとえば唐津の方・・・たとえば漁師の方、あと唐津くんちとか・・・炭坑もありましたよね。
古舘:はい。ありました。需要としてはやっぱりその農家の方が多かったんではないでしょうか。私はその当時を全然知りませんでしたので、社長に聞いたら、社長もほとんど知らないと(^_^;)
けんじ:そうですか(^_^;)

古舘:ですが、言葉として「田植え焼酎」や「盆焼酎」、ま、「田植え焼酎」が“早苗饗”にあたると思いますけども、そういう言葉はあったと。やっぱりお盆に、その暑気払いじゃないですけども、ちょっと甘味を添加して飲む風習があったらしいということですね。
一同:なるほど。
隊長:北部九州の各地に、暑気払いで焼酎を飲む風習があったようですね。
古舘:そうですね。まぁ、現実問題として、今そうやって飲まれる方がまず少なくなったですね。それと売れる時期は奈良漬けを作る6月とかには、ポツポツポツと出ます。うちでも奈良漬けを漬けますけど、粕取を撒いて酒粕に漬け込むんですが、もう出来上がった奈良漬けの香りや味が全然違うんです。そういう部分で、けっこう売れるのだと思います。

■蔵にとって難問の蒸留粕をテーマに、しばし。

猛牛:蒸留粕は、肥料として引く手あまたで、あっという間に持ち去られたとありますばってん、いかがやったとですか?
古舘:蒸留粕は処理にいろいろと問題がありますんで、農家の方にお話を伺ったら、もういくらでも持って帰ると。すぐに無くなってしまいました。なんかスイカとかあの辺の作物に良いらしいですよ。
隊長:ほぉ~、スイカですか。

渡邊:どういう形で出るんですか、粕は?
古舘:粕自体はですね、形というかですね、おが屑を水に濡らしたような感じですね。なんていうんですかね、サラサラという感じではなくて・・・
渡邊:ちょっとベタッという感じですか?
古舘:たとえば、蒸篭からこうガーーンとひっくり返しますけども、ちょっとこう形は残りながらも、パカッとヒビが入って割れていくというかですね。水分をかなり含んだ状態。
渡邊:(蒸留粕の写真を見ながら)はぁ。でも、焼酎粕から比べたら、はるかに水分は少ない状態ですね・・・。
古舘:はい。ベチャベチャという感じでは無いです。

けんじ:それこそ宮崎の焼酎蔵の・・・というか、宮崎だけでは無いですけども・・・今最大の課題が焼酎粕を・・・その・・・どう廃棄するか、ですね。
古舘:そうですね。
渡邊:ま、大手さんはプラント建てて処理できますけど、どうしても問題ですね。
古舘:はい。海洋投棄自体がまかりならぬということになりますからね。私が修行で醸造研究所に行っていた時ですが、そういえば蒸留粕で“ふりかけ”作ってましたけどね。あれは美味かったですけどね。
渡邊:ま、ほんとに乾燥させれば、充分肥料とか飼料とかいろいろ転用は出来るんでしょうが、その乾燥させる技術が相当お金が掛かるというか・・・。

隊長:黒酢なんてのは、どうなんですか? 泡盛の方では相当造っているみたいですが。
渡邊:ええ。造ろうと思えば造れるんですけど。造るとすると、それはそれなりにまたタンクとか設備がどうしても必要になってくるんですね。
隊長:健康を考えて、毎日飲んでるんですよ。
猛牛:隊長、それ以上元気になってどげんすっとですか?(爆)
一同:はっはっは!

古舘:沖縄では、黒酢を造るために泡盛を増産していると言いますよね。健康飲料として人気が出ましたからね。
渡邊:焼酎粕は芋だったり麦だったり、麦だと比較的やりやすいでしょうが、芋が入ってると難しいですね。米焼酎だと比較的やりやすいのかもしれませんが。
隊長:でしょうね。

■『ヤマフル』の原点、蔵の歴史を伺う。

けんじ:あの・・・『ヤマフル』という・・・名前はどこから?
古舘:はい。「ふるや」という屋号から来てまして、名字が古舘ですから。『聚楽太閤』という「太閤」自体はもう1890何年か、明治の頃に商標申請して取ってるんです。当然、江戸時代には太閤という名前では売れなかったろうなぁと・・・。
隊長:そりゃ、そうでしょうねえ(爆)
一同:はっはっは!
古舘:うちの名前は「ふるや」「ふるや」と出てきますし、おそらく清酒レッテルを『ヤマフル』なり『ふるや』で、ああいう形で出していたものと思います。

けんじ:創業は・・・何年ぐらいに・・・なられるんですか?
古舘:創業はですね、えっと、この会社自体は30年前に企業合同で3社が一緒になったんですけども、鳴滝酒造でいいますとそうなんですけど。一番中心になってます太閤酒造ですと1705年 (宝永2年)ですかね。文書が残ってまして、酒造株買い求め酒造り云々という文言です。少なくともそれ以前からやっていたことは間違いないです。

けんじ:太閤酒造はもぅ・・・あのぉ・・・唐津の駅前だったですね。
古舘:はい。JR唐津駅前で造ってましたね。小売り部はまだそこにあります。あそこはもともと海なんですね、昔に遡れば。水的にも塩分が高いので、そこで造っていた時にも、他から水を汲んでいたんです。で、企業合同したときにどこに移るかという時に、ここが一番水がいいと、それでここに決まったんです。
猛牛:移転は何年やったとですか?
古舘:昭和49年です。ちょうと29年前になりますか。

■もろみの品温にまつわる、温度管理について。

渡邊:このもろみの温度って言うのは、20度以上に上げようと思えば、上がりますか?
古舘:はい、上がりますね。実際ですね、もろみというか粕の力というか、特に当初もろみの流動性というのは無いんで、もう放っておくともっともっと上がります。26度とか27度まで上がりますね。
渡邊:はい。
古舘:うちが実際それをやったんです。表面温度を測りますね、一番表面と10センチくらい下を測って、それが20度を超えないようにと。で、当初は最初は15度を下回らないようにと考えていたんです。
渡邊:はい。

古舘:ふと思って、ぐっと差し込んでみたら、もう26度くらいありましたかね。
渡邊:中の方が、どうしても上がりますよね。
古舘:そうですね。まぁ、均等にしようと思って混ぜてみたり、まぁガス抜きを控えて底の発酵を押さえようとしたりしたんですけど。なんか、本で調べた範囲では、もろみ温度は20度を上がらないようにした方がいいと、ちょっと書いてましたですね。

渡邊:ま、うちでは2次仕込みの後ですけど、28度から高くても32度で止めるようにしていますが。うちと比較すると遙かに下の温度でされてますよね。
古舘:どちらかというと、冷え込みの方を心配した方がいいのかな。その20度が26度になった、27度になったと言って、ん~~~ん、とりわけどういう影響が出るかは、自分自身もよく解っていないんですけども。
渡邊:逆に低い方が止まってしまいますからですね。
古舘:そうですね。止まってしまったら、恐いです。最後の方は、なんせ微弱でも発酵を継続させるのに必死だったんです。完全に止まると恐いですから。

渡邊:では、逆に温めたりとかはしなくて良かったんですか?
古舘:えーとですね。12日目くらいでしたか。外気温度によってもろみの温度が影響を受ける時期が出てきて。で、今年の場合はもう遅かったんで、その場合で外気温が13度から15度あったことが多かったんで、特に心配していなかったんです。
渡邊:なるほど。
古舘:ま、袴をはかせて、胴巻きを巻くぐらいですね。ただ、もう清酒の造り自体が少なくなっていって、どっかの時点で造ろうと思った場合、新鮮な粕が必要になるんで、たとえば1月中に仕込みが終わるという場合は、外気温が7度とか8度になります。その場合はもうさらに毛布を巻いたりして10度以下に落とさない努力は必要になると思います。

けんじ:だいたい・・・粕取焼酎の仕込みというのは・・・そのぉ・・・いつ頃されていたんですか?
古舘:昔は、そうですね、清酒の仕込みが終わってからでしょう。よほど人手が余ってないと、清酒と平行してはしなかったんではないかと思います。
けんじ:はい。
古舘:ま、今回の試験的再醸造については、いろいろとデータを取ってますけども、16年前の醸造を知っていらっしゃる社員さんに聞いたら、もう適当なんですよ。私が、温度がどうとか水具合がどうのとか、検査したりとかしていると、「なにやってるんだ?(-ー;」と。
けんじ:はい。
古舘:もう結局、粕をポーンと放り込んだら蓋をしてそのまま、とにかく何もしないと。それで3月ぐらいに仕込んだら、6月くらいですか、そろそろ絞ろうかというのが、その当時の実状だったようですね。

けんじ:昔はなんか・・・粕をタンクに入れて密閉して・・・まんま置いてて・・・夏に近づく頃に・・・思い出したように「さ、やろうか!」・・・だったみたいですね。
古舘:そうですね。うちもその状況とまったく一緒だったようです。今回、いろいろとやって、たぶん解りませんけど、こんなに手を掛けられた粕取も無いんだろうなと思うんですよ。子どもの一人っ子以上に手を掛けられているんではないかと。
一同:う~~~ん。そうですね!

古舘:ま、これだけ手を掛けて良いかどうか解らなかったんですが、まず最初ですから。やれることを、とにかくやろうと、で、データをきっちりと取ったんですね。
けんじ:なるほど。

■器具の状況について、さらに詳しく。

猛牛:器具のことですばってん、なんか方々に転がっていた状態やったそうで。あの蒸篭とかは素材はアルミですか?
古舘:はい。アルミだと思いますね。
猛牛:別の止められた蔵元さんの例ですと、器具の補修が出来ないちゅーのが理由と伺ったことがありますばってん。
古舘:うちも、土台とかは木製だったんですね、それはもう完全に腐って間が開いてしまってとても使える状態じゃなかったんで、それだけはもう見本として鉄工所さんにお願いして新しく作り直したんですけども。
猛牛:はい。
古舘:木だったらやっぱり、もう雨ざらしか風ざらしなんで、もうダメですね。
猛牛:はい。

古舘:私自身が、なんかな?これ?なんの器具だろう?と思っていたものだったんですよ。粕取ということが頭自体に無かったもんですから。倉庫の奧に蒸篭が4段重ねてあって、棒がドーンと置いてあって、まぜ板の大きいのがその辺に立てかけてあって・・・。
猛牛:なるほど。
古舘:で、こう色々探してみたら、こう、みんなが集めてきてくれてですね、「あ~!あった!あった!」とか言って。これで全部ですか?と聞いたら、「お!これで全部やん!」と。これなら出来るばい!と思ってですね。はい。
猛牛:そうですたい。

古舘:さすがに一から道具を作り直すことになっていたら、さすがにちょっとやっていなかったでしょうね、正直なところ。はい。そう自分でも思います。
猛牛:今はもろみ取りの吟醸粕取が主流ですばってん、あえて正調粕取を、というところに我々は勇気づけられますばい(^_^;)
一同:ははは(^_^)

■正調故の籾殻の香りと、時代性について。

けんじ:正調ということで言えば・・・籾殻を入れられるってことは・・・風味を決めちゃう訳ですよね。
古舘:籾殻の匂い、焦げ臭がどれくらい付くかってことが、まぁ、籾殻の混入量によると思うんですけど、アレ系(笑)の味と匂いになるのは間違い無いですね。
けんじ:それこそ、昔の焼酎本とか見てみると・・・第一次焼酎ブームの頃に時代の流れとは合わなくなってきたと・・・そこで籾殻の匂いをどうするかって言う・・・試行錯誤されていたようで・・・大変興味深いんですが。
古舘:そうですね。

けんじ:販売本数のグラフを興味深く拝見していたんですが・・・80年代からに売上が下がってきているじゃないですか?・・・これは、焼酎ブームと関係があるんですか?
古舘:はい。それは関係あります。うち自体がですね、1985年になって米焼酎の販売を開始しているんですよ。たぶんその、社長の性格からして、先走ってやるんじゃなく、ある程度流れが出来てやる人なんで。いろいろな焼酎が出てきて、もろにその影響を被ったんじゃないかなと思いますけどね。

けんじ:こちらの居酒屋さんを見ていると・・・佐賀県はそれこそ宮崎産の『くろうま』のような減圧の麦焼酎が多いですね・・・筑後から佐賀県にかけては・・・よく見ます。あとは・・・『天照』とか。
猛牛:ほんと、多かばいねぇ。
古舘:はい。
けんじ:それらが・・・この時期に入り込んで来たんじゃないかと・・・思ってるんですが
古舘:唐津は、特に「くろうま」が強いです。とにかく強い。
猛牛:goida君と一緒に佐賀は回りましたばってん、ほんと強いですばい。

古舘:清酒の場合は、おかげさまで「太閤の酒があったら、他はいらん」と地元では言って貰えるまでになったんですが。逆に、焼酎で言えば「くろうまがあったら、他はいらん」という感じになってますね。
けんじ:なるほどですね。

◇   ◇   ◇

■というわけで、試飲である

プロである渡邊専務、碩学のけんじさんを交えてのお話、色々な情報が飛び交って、熱の入ったものとなったが、ここで一休み。実際に蒸留された40度のサンプルを試飲させていただくことに・・・。

『太閤』の180ml瓶に入ったサンプルが窓際の棚の上にあった。 これである。これなのである。どれだけ飲みたかったことか(T_T)

けんじさんの目がギラリと輝く。

まさに10数年ぶりに古舘氏の執念によって甦った『ヤマフル』の最新作だ! 待ちに待った瞬間がやってきた。

けんじ:では・・・・。

じっくりとじっくりと香りを確かめて、ゆるやかに口中に流し込む。

けんじさんは、暫く沈黙したままである。

猛牛:けんじさん、どげんしたとですか?
けんじ:あ、いや。まず旨い、旨いとしか言いようがないんですよ。

う、旨いです、これは!

けんじ:ヨーグルト系のというか、そんな香りがするんですよ。面白いなぁ。それに、手を掛けて造られた分、後味が爽やかですよね。甘いです。素晴らしいです。

わても飲む。普通1年間寝かせるのだが、これは蒸留して間がない。ガス臭がグッと来て、この香りがまず良い。もちろんこれは商品化時には抜けているのでご安心を。とはいえ、この香りにハマルと後戻りが出来ないと、個人的には思ふ。

けんじ:ガス臭が抜けたら、まだ華やかになるかもしれませんね。
古舘:はい。そうなると思います。
渡邊:これ、本当に旨いです!
けんじ:素晴らしいですね。ふぅ~~(~Q~;)

まだ濾過もしていない状態であり、旨味の成分が残っている分、サンプルは濁っていた。それがまた旨いんだけどねぇ~(*^^*)

浮遊物の除去について、古舘氏と渡邊専務の意見交換がひとしきり続いた。

古舘氏の話では、濁りがあると、なんかおかしいっちゃないか?とお客さんが誤解するそうである。旨味成分を残しながらも、どの程度まで透明度を追求するかが今後の課題といふ。

ちゅーわけで、今度は実際に蔵の内部をご案内いただくことに。いざいざ!

(佐賀・鳴滝酒造-2に続く)


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