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球磨人吉蔵元アーカイブズ 2001〜05(7) 渕田酒造本店

2005年5月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開
2005.05.06 by 猛牛

寿福酒造場に別れを告げて、次ぎに訪れたのは人吉市から球磨川を下って八代へと向かう道すがらにある、球磨焼酎の西端の蔵『渕田酒造本店』さんだ。

さて。この『渕田酒造本店』さんについては、横浜焼酎委員会のいでさんが素晴らしいレポートをすでに残されており、わてが蛇足を加えるまでもない。だから特に印象に残った点を記すに留めたいと思ふ。

西に向かって球磨川の右岸を下る。突然瀟洒な橋が見えて左岸に渡ると、そこは同蔵の商品名ともなっているJR一勝地駅だった。上記写真は橋から川下を眺めた風景で、目指す蔵は橋を渡ったところにある駅の右側にあった。

応対していただいた大女将さんの渕田勝子さんである。

いでさんのレポートの通り、蔵見学の申し込み時や実際にお邪魔した際にも「うちは小さい蔵ですから」「ようこんな小さな蔵に来ていただいて」とのお言葉が聞かれた。

いえいえ。だからこそお邪魔したかった、拝見したかったのであります。

蔵はとてもこじんまりとしている。狭くまた仕込みの最中のため極めて雑然としているが、それがまたいかにも気持ちイイのだ。お邪魔した時は蒸米の最中で、蒸留器と冷却器の間から蒸気が吹き出していた。

ゆっくりお話を伺う間も無かったので不明だが、たぶん右がご主人だろうか。お二人で蒸米の作業に専念されていた。

右はその蒸した米を延べる「床」。いでさんのレポートにあるとおり、この床の上で熱い米をほぐして冷まし、種付けに最適な温度まで持っていく。

もう少し時間があったら種付けまで見れたかもしれないが。

蒸された米の香りが、ブゥ~~~~~~~ン!と鼻を襲う。ああ、いいねぇ、この空気が。タマラン。寿福さんにしても、渕田酒造本店さんにしても、“焼酎屋”という原風景がそこに立ち上るように思えてくるのだ。

上が製麹室の入口。 渕田勝子さんの写真でも見えるように、古い石積みの壁となっており、歴史を感じさせる。また仕込みや一部貯蔵は甕で行われている。 一般の人には見た目キレイではないのでちょっと気になっていたのだが、ご一緒したある若い女性にどんな印象か聞いてみた。

「はい。とても癒されるって感じがします」

彼女は真顔でそう答えた。

はい、わてもそーなんですよ、癒される、のです。だから蔵にお邪魔するのがI Can't Stopなんです。ほっと、するんですよ。

渕田酒造本店さんの当日の仕込みは米焼酎だったので、写真の一次もろみ(酒母)の色はクリーミー・ホワイト。 ぬぅあんとも良か香りがしていた。

これが同社の代表銘柄である『園の泉』へと転生するのだ。

さて、いでさんの先のページでは『園乃泉』だが、最新ラベルでは『園の泉』となっていた。

蔵の一番奥の院らしき場所に、樽が置かれていた。これにたる貯蔵物の『一勝地』が眠っているのだろうか。

とにかく蔵内は繁忙を極めているため、ゆっくり話を伺えなかったのは返す返すも残念であり、申し訳なくも思った。

とにかく、昔ながらの造りをされている渕田酒造本店さんの風情には感動してしまった。

渕田酒造本店さんでは、古くからのレギュラー『園の泉』の他にも、『一勝地』など多彩なラインナップがある。上記画像の右端にある赤い瓶は、芋焼酎だ。昔作っていたので、再び製造を始めたという。

試飲してみた。わてが結局お土産に選んだのは『園の泉・古酒40度』である。これは常圧の球磨焼酎らしいスモーキーとでもいうか不思議な香ばしさがあって、もう断然旨い!。直燗で温めてかっ喰らって「常圧のフレーバーを全身に浴びたいぃぃぃ!!!」と切に思ってしもうた。それくらい良か味だ。

ちょっぴりほろ酔い加減でふと上を向くと、いかにも古くからの蔵らしい屋根や梁の構造が見えた。漏れる日差しが、ほの暗い蔵の内部を照らしている。

なんだか、ここだけ、時間が止まったような気がする。そういう感慨を覚えさせることが、球磨焼酎の聖地“焼酎盆地”の魅力なのかしれない。

お暇の時間である。

蔵を辞去して、ふたたび車に乗る。球磨川を下って下って、結構な距離を走りながら八代市へと降りていく。ふぁ~~~~、時計の針が駆け足で進むふだんの現実に、戻らんとなぁ。なんだか後ろ髪を引かれる思いで、筑前へと進路を北にとったのであった。


(了)


■2022年追記:2020年の「令和2年熊本豪雨災害」で渕田酒造本店さんも被害に遭われた。多くの蔵元が被害にあった中で、立地が球磨川の最下流にだったがために甚大被害3蔵元のひとつとなってしまった。原酒樽は蔵の奥の高いところにあったために難を逃れたが、復旧には相当なご苦労があったと聞く。

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