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インドで「生きる伝説」の日本人、佐々井秀嶺氏に学んだ激動の時代を生きる上での5つの教訓

皆様、あけましておめでとうございます。
本日は、先日訪問させていただいたインド仏教徒の最高指導者佐々井秀嶺さんの元での学びについて、綴らせていただきます。
皆様は、仏教がインド発祥ということは耳にされたことはおありかと思いますが、「佐々井秀嶺」という名を耳にしたことは少ないのではないでしょうか?
約50年前、想像を絶する環境のインドに単身降り立ち、44年間、一度も帰国せずに貧しいインド人のために奔走し、絶滅の危機に瀕する仏教を復興させ、当時約60万人程度だった仏教徒を約1.5億人程度まで広げたインド仏教の最高指導者です。詳しくは、こちらの記事をご覧くださいませ。

今回、佐々井さんの元で、得度された小野さんに無理をお願いして、インド仏教の聖地ナグプールに足を運ばせていただきました。数日間、行動を共にさせていただき、感じた点を備忘録として、簡易的に記させていただきます。
どれも極めてシンプルであり、この瞬間から実践できることにも関わらず、忙しいから、恥ずかしいからという言い訳にまみれ、実践できていない事だなと痛感させられました。一人でも、佐々井さんの生き様、人としての在り方に何か感じていただけるものがあれば幸いです🙏

1.周囲への心配り

1.5億人のインド仏教徒のトップである佐々井さんですが、いかなる時でも、周囲への気遣いを決して忘れません。御歳87歳を迎える状況でも、一日中目の回るようなお勤めを日々実践されていらっしゃいます。ただ、ご自身も体力的に厳しいにも関わらず、決して周囲への配慮を欠かすことがありません。
常に長時間の移動中の車内でも、「〇〇さんは、調子はいかがですか?」という具合に、こまめに、心配りをされています。自身がチームを持たせていただいた際、ここまで、ご一緒させていただいている方々への心配りをできていたのか、反省させられます。そして、人は「自分のことを見てくれている。自分はこのチームにおいて、必要な存在と感じられる」という自己重要感の充足を求めているという事に改めて気付かされます。

2.愛らしさ

佐々井さんとご一緒させていただいていると鋭い眼光で、厳しく仲間を叱咤するシーンも多々ありますが、時折、純真無垢で無邪気で柔和な笑顔を浮かべられます。皆様の周りにも、普段厳しいけど、時折見せる子供のような無邪気さに魅了されるリーダーがいらっしゃることは思いますが、近しい感覚です。
厳しさ、優しさのギャップの振れ幅に、その方の人格、人間性の多様性が垣間見え、普段の厳しい表情がほぐれた瞬間、その場をあっという間に平穏な空気感に包み込む魅力を持たれております。改めて、世界共通語である「笑顔」の持つ効用に気付かされました。

3.志を持つ

インド仏教を広め、一人でも多くの方が精神的に安楽を得られる場所を創るという使命感の元、日々全身全霊をかけてお勤めをされております。佐々井さんは良く、「私は使命感で生きている」「毎日死に物狂いで生きている」という表現をされますが、まさに「使命=命を使う」対象を明確に定められ、日々を全力に生きていらっしゃるからこそ、滲み渡る気迫、言葉の重量感を感じることができました。
加えて、アントレプレナーとして重要な「最前線で行動し続ける泥臭さ、周りを巻き込む人間力、心の底から願うビジョンを描く力」等の要素を内包されている方だなとつくづく感じました。
また、佐々井さんは、日本の若者達が使命感を持ち、生きている人が少ないことを危惧しており、「 そのような使命感に迷う状態の若者からご相談をいただくことがあるのですが、佐々井さんであれば、まず最初の一歩としてどのようなアドバイスをされますか?」とお聴きしたところ、「まずは、人の事云々ではなく、己が使命感を持って生きること(自分が使命感に生きていないのであれば、なぜ使命感がなく生きている人を救える)」という至極真っ当なお言葉を頂きました。まずは偉そうな事は言わず、愚直に命の使い道を研ぎ澄ませていければと感じました。

4.継続すること

佐々井さんが、インドの地に降り立った約50年前、ヒンドゥー教の中で敷かれているインドの身分制度であるカースト制度の中で、奴隷のカーストにさえ入れないアウトカースト(不可触民と呼ばれる)の方々は井戸の水すら汲むことを禁じられ泥水をすすり、仕事は死体処理、トイレ掃除等の過酷な労働しか選べず、高カーストから理不尽な理由で殺されても家族は訴えることもできなかった時代がありました。それでも何かにすがらずには生きていけないと、自分たちを差別するヒンドゥー教の神であっても、信じて祈っていた現状があったそうです。
佐々井さんは、そのような過酷、非情な現実に直面しているインドの方々を目の当たりにして、見なかったことにはできなかったと仰ってました。自分が立ち上がり、「あなたたちも同じ人間である、仏教はヒンドゥー教と違い、人類皆平等である」と唱え続けるのだと使命感を芽生え、愚直に地道に謙虚に50年もの間、ただただ目の前の方の心を軽くする活動をされておりました。
その結果、上記の写真の通り、地域の方々の思考、行動、習慣を変容させ、毎日心を整える安らぎの時間、地域の方々と交流できる場で、心通う人々でできたコミュニティに帰属できている心の安寧を与える。
佐々井さんが暮らすナグプールの地域では、すれ違う老若男女の方々から「ジャイビーム!(インド仏教徒の挨拶の言葉)」と大変気持ちよくご挨拶いただきます。一人の熱狂、地道な活動が、地域社会を一変させていることにただただ驚かされます。

5.利他に生きる

佐々井さんは、どこに行っても、皆の人気者。求められれば、それが誰だろうと、どこだろうと向かわれる方です。常に目の前の人のために、何ができるかを考え、動いていらっしゃいます。
自身が仮に余命を言い渡された際に、佐々井さんであればどのように生きますか?という問いに対し、「利他に生きる」と一言仰ってました。呼吸をするように、常に、この50年間の間、目の前の人のお悩みを解き続ける、この利他心が、今の佐々井さんを創り上げているということに感銘を受けました。
1日が終わる頃、「今日は誰の悩みを解決できたのだろう?」という問いに対し、答え切れないモヤモヤ感を早く払拭したいなと痛感しました。

最後に

佐々井さんからは、こちらでは書き切れないほどの多くの学びを頂きましたが、どれも幼少期から、周囲の大人から一度は言われたことがある極めてシンプルな内容でした。ただ誰でもできることを誰にでも真似できないくらい圧倒的にやり続けることで、周囲の信望を得られることを行動を通して拝見させていただきました。
そして、私利私欲、淀み、混じり気のない極めて純度が高いご自身の内側から湧き出る使命を心底願われ、目の前の助けを求められている方をその方の社会ステータス、経済状況等で打算的に捉えず、真摯に向き合われている姿に、自身も含め、多くの方が「この方のようになりたい、この方と共に時間を過ごし、心清らかに生きたい」という想いを募らせるのだろうなとしみじみと感じました。

今回頂いたご縁、ご恩をしっかりと目の前の方からお返していければと思います。何かしらお困りごとがあり、私でお役立ちできそうなことがありましたら、お気軽にDMいただければと思います。

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