連載⑥ 対応力 20代通院時代 その3
1995年2月、学生時代の吹奏楽の経験を活かせないかと、広島の録音録画会社に就職。おりしも阪神淡路大震災の直後でしたが、上半期は東京や北海道の出張もこなし順調でしたが、内勤の仕事で行き詰まり年末に退社。
この時、仕事はただ単に好きなだけではダメだと痛感させられました。
1996年夏、市内の鉄工所に就職。パソコンを使っての現場への生産指示の仕事でした。1992年当時から抗うつ剤の服用を継続していましたが、勤務先の社長夫人から「薬に頼ってるようじゃダメ!」と指摘され、症状も薬も予備知識がない状態で、その言葉をそのまま真に受けたのが大間違いでした。
今でこそ、ウツ病と双極症の区別はつきますし、対応が全く違うというのも常識ですが、残念ながら当時は全くの無知で、軽い気持ちで服用を止めました。双極症の患者に普通の抗うつ剤を処方するのは禁忌なのですが、それ以上に薬の服用を止めると躁転という大変厄介な状態に陥る危険が高まります。
私の場合、夜中に車を乗り回し、ヒッチハイクまがいの外出で警察に保護されたり、家の中を荒らすようになりだし、家族も手に負えなくなりました。
つづく
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